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読書の周辺
日本社会の中心と周縁
長谷川 公一
●出版地を略すのは
論文などで文献を挙げる際,外国語の文献の場合には,ケンブリッジとか,フランクフルトとか出版地を記すことが多い。書誌データとしてはむろんそれが望ましい。しかし日本語の文献の場合には,出版地は略すのが慣例になっている。いうまでもなく,ほとんどの場合,出版地は東京だからである。わざわざ文献ごとに東京,東京と記してあると,ペダンチックすぎて鼻につく。
出版文化に限らない。日本の文化や社会は,外国と比較してみると異常なまでに東京中心主義的である。このことは,今さら指摘するまでもないことのようだが,私たちがふだん「常識」として疑わずにいることで,冷静に論理的に考え直してみると「異様な」,外国には例をみないか,きわめて稀な首都中心主義の事例は多い。
●上りと下り
列車には「上り列車」と「下り列車」がある,これは日本人の常識だが,世界の常識ではない。日本流に東京駅を起点に「下り」,東京駅を終点に「上り」というような露骨な中央集権思想を標榜している社会はほかにあるだろうか。外国の友人や留学生などにたずねたが,いまだに見つかっていない(読者がご存知ならご教示いただきたい)。上り列車と下り列車は日本社会の価値の中心がどこにあるかを端的に示している。
upは北へ,downは南へを示すという英語の用法がある(例えば,サンフランシスコから南のロサンゼルスに行くときは,go downになる)。仙台発東京行が下り列車で,仙台発札幌行が上り列車ならスジはとおる。外国人の日本語学習者にとって,あるいは日本に来た外国人にとってもっともわかりにくい概念の一つが列車の「上り」「下り」である。本気で地方分権をいうならば,まず「上り」「下り」という東京駅中心主義を廃止すべきである。
●郵便番号の秘密
もう一つのわかりやすい事例は郵便番号である。あるとき名古屋に住む友人から,仙台の郵便番号が沖縄県のと近い数字だが間違っていないかという確認の問い合わせがあった。確かに宮城県は980番台,沖縄県は900番台である。東北地方と沖縄県が,なぜ似たような郵便番号なのだろうか。両者に共通する社会的属性は何だろうか。
郵便番号が900番台から990番台の県は,沖縄県と宮城・山形・福島・新潟・富山・石川・福井県である。なぜか原発の立地県が多い。稼働中の日本の原発51基(もんじゅ・ふげんをのぞく)のうち31基は,これらの県に立地している。宮城2基,福島10基,新潟7基,石川1基,福井11基である。軍事施設と原発という現代社会の二大危険施設がこれらの郵便番号の県に集中しているのは単なる偶然ではあるまい。その答えは,これらの県の日本社会における周縁性にあろう。
宮城県よりさらに北の青森・岩手・秋田の各県と北海道は000番台である。原点としての0というよりも,1000番台という意味だろう(授業のときに,こうコメントすると学生がどっと笑った)。さらに周縁的な地域ということだろうか。ちなみに九州は800番台である。
原点の100番はもちろん東京都千代田区である。皇居の位置する千代田区千代田が100-0001,皇居外苑が100-0002,大手町が100-0004,丸の内が100-0005,霞ヶ関が100-0013,永田町が100-0014……。郵便番号は,日本社会の価値の中心がどこにあるのか,どこが周縁的な地域なのかを示す指標である。
たまたま手元にアメリカの郵便番号簿がある。郵便番号は五桁。ボストンなどのあるマサチューセッツ州ほか北東部の諸州が00000番台で,原則的には南西部にいくにしたがって番号が増え,カリフォルニア・オレゴン・ワシントン州の西海岸三州とアラスカ・ハワイが90000番台である。かならずしも原則ははっきりしないが,日本のように価値の中心ほど若い番号というわけでは決してない。
●1区はどこ
もう一つの例は選挙区である。旧制度でも,新制度でも,衆議院の1区は県庁所在地を含む選挙区という決まりになっている。各県で北から順に1区というわけではない。旧1区が複数に分かれる場合,県庁所在地を含む方が新1区で,旧1区内の隣接する区が新2区,離れるにしたがって3区・4区となった。旧1区が4区までで終わったら,旧2区は5区・6区……となる。つまり単純化していえば,県庁所在地から遠くなるにしたがって,選挙区の番号は増えるのである。
例えば北海道の網走市内の主要部は郵便番号093番台,市内周縁部は099番台,衆院選の選挙区は北海道12区である。こうして網走市民は,日常的に自分たちの地域の周縁性を刷り込まれていくのである。
マスメディアもこのようなコメントはしないし,日本中のほとんどの市民はおかしいとも思わずに,このような完璧なまでに貫徹した中央志向的なシステムにおとなしく従っているのである。
●中心と周縁
価値の相対的な中心性と相対的な周縁性に,日本社会はきわめて敏感である。中心に近いほどエラく,周縁に位置するほど価値が低い。しかもその尺度は,中心との社会的な距離という一元的なものさしである。叙勲制度や天下りシステムにもっとも露骨な官尊民卑,「中央」という言葉の使われ方などなど例は枚挙にいとまがない。
新幹線で栃木県の小山をとおるたびに苦笑することがある。地方銀行員の子どもだった私は,少年時代を,郵便番号999-6100番台の,山形県境の奥羽山脈の山懐の小さな町で過ごした。その町の子どもたちの三十数年前の常識は,県庁所在地の山形市も,たまたま隣家の親戚のいる小山も,宇都宮も「東京のような都会」だった。自分たちの手の届く範囲の「いなか」と,簡単には行けない「都会」とに世界は基本的に二分され,しかも子どもたちの心的世界では東京に近いほど都会性が強かった。
日本社会の一極集中的な構造の打開が叫ばれて久しいが,誰も,本気で取り組もうとはしていない。実は,日本社会の根本には,このような社会的な諸価値が中心点へと一元的に収斂していくとともに,そこから価値が放射状に拡散していくというメカニズムがある。地方が評価されるのは,中心部の有力者や外来の有力者(例えば柳田國男やラフカディオ・ハーン)が,地方を評価した場合である。
地方のメディアが,独自にはなかなか発展しにくい理由もここにある。CNNの本拠はアトランタであって,首都ワシントンでも経済活動の中心ニューヨークでもない。
しかもこのような中心と周縁のダイナミクスは,前近代以来,日本社会に根深く存在してきた思考様式や行動原理のようだ。「東下り」,「都に上る」,今にも残る「都落ち」という言葉がある。
●『奧の細道』の美学
「心許なき日かず重るままに,白川の関にかかりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」便求しも断也。」『奧の細道』の白河の関の下りである。よく知られているように,『奧の細道』は歌枕をたずね歩く旅であった。
たよりあらばいかで都へ告げやらむけふ白川の関は越えぬと 平兼盛(拾遺集)
都をば霞と共に出しかど秋風ぞ吹く白川の関 能因法師(類字名所和歌集)
奥州,みちのくは「道の奧」であり,「白河の関」は,いわば「異境」への入り口だった。だからこそ,芭蕉は旅への決意を新たにするのである。
例えば,日本各地の盆踊りや寺社仏閣,温泉なども,事実の歴史的当否は別として,そもそもの由来・縁起は,京や奈良の都にゆかりとする場合が多い。弘法大師や行基などの都からの高僧に由来を求めたり,京から来た姫君の無聊を慰めるためにはじまった盆踊りとするなどである。
各地に残る落人伝説も同様である。今はひなびた僻村に住むが,そもそもの先祖は平家の落人だったなどとする伝説である。実証できない場合が多いというが,柳田國男は,このような落人の末裔たちの心理を「均霑努力」と呼んでいる。現在の貧しい境遇を,京にあった当時の先祖の栄光と落人としての宿命によって心理的に補償しようとするメカニズムである。
根拠地を中心化する このような例をとおして思うことは,本来,地域主義や地方主義の基盤であるはずの,地方そのものをそれ自体として価値化する思想や文化が,日本社会ではいかに乏しく,根が浅いか,である。
いなかをいなかたらしめているのは,「いなか」という,「周縁性」という意識そのものである。そして郵便番号や列車の上り下り,選挙区などに代表される各種の制度化された刷り込みの機構がある。
それぞれの拠点を,根拠地を中心地として価値化する思想と実践,地方の時代は,そこからしかはじまるまい。その意味でも,芭蕉的あるいは柳田國男的な外からのまなざしを脱し,内側からのまなざしで東北の文化の多元性と普遍性を再発見しようという赤坂憲雄氏の『東北学へ』全三巻(作品社)は貴重な仕事である。
●大学出版部の使命
大学出版部協会に加盟する会員・準会員24出版部のうち,東京都以外に所在するのは9出版部,37.5%である。三分の一以上が地方に所在することの意義は大きい。大学出版部の活性化は,日本の出版文化,とくに学術書出版の東京中心主義を是正する意義ももっているのである。
21世紀の半ばぐらいには,日本でも出版社の地方分散がすすみ,文献挙示の際に出版地の併記が必須となるような時代がはたして来るのだろうか。
筆者は誕生三年目の東北大学出版会の理事の一人である。専任スタッフは一人,あとは教員を中心とする素人集団である。制作から営業まで何もかも試行錯誤の歩みではあるが,新刊書が刊行されるたびに,奥付けに記された,
〒980-8577 仙台市片平2-1-1
の出版地の住所がまぶしい。
(東北大学教授)
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