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【インタビュー】
アメリカと日本、知のかたち
― シカゴ大学図書館・奥泉栄三郎さんに聞く ―
山田 秀樹
【解説】
奥泉栄三郎氏は、1940年群馬県に生まれ、慶応義塾大学を卒業後、同大学図書館、メリーランド大学図書館(アメリカ合衆国、ワシントン首都圏)を経て、84年よりシカゴ大学レーゲンシュタイン図書館東アジア研究図書館に勤務する、日本研究部門の主任司書である。2004年には、第一線で活躍されてきたことが評価され、プロゴルファーの青木功氏や宇宙飛行士の毛利衛氏などと並んで「日米交流150周年記念外務大臣表彰」を受賞している。また、司書としての仕事と並行して御自身でも研究や本の監修に携わっている。日本語で読めるものとしては、インタビューのなかでも出てくる『初期在北米日本人の記録』監修のほか、論文として「『トラ・トラ・トラ』の行方とその周辺――歴史家ゴードン・W・プランゲの叙述手法」(日本出版学会編『出版研究』30号/1999)、「資料解題 占領下教育関係雑誌目録総覧・解題(1〜16)」(明星大学戦後教育史研究センター編『戦後教育史研究』1号/1984〜9号/2005〔継続執筆中〕)などがある。明星大学や法政大学の客員研究員でもある。
言うまでもなく、大学図書館は研究・教育を支える最大のインフラのひとつであり、私たち大学出版部の刊行物が一堂に収蔵された、知の宝庫である。その図書館、しかも日本とは異なるアメリカの図書館で長く日本の学術書に接してきた奥泉氏に、日米の図書館や学術出版について縦横に語っていただいた。奥泉氏が語るアメリカの大学や大学出版部の姿は、氏の所属大学を反映して全米トップ・クラスの状況に傾きがちであるかもしれない。山本俊明氏(聖学院大学出版会)が指摘するように、苦境に陥り売却を余儀なくされる大学出版部もあらわれはじめているのである(「アメリカ大学出版部の現況」『大学出版』50号)。
しかしながら、日米の事情に通じた専門家の目に映る日本の諸相は、私たちに示唆するところも大きいと思う。ここに掲載した記事はインタビューの要約版に過ぎないが、読者の皆様の参考になれば幸いである。
(聞き手・構成 東京大学出版会・山田秀樹)
シカゴ大学とは?
―――シカゴ大学は緑が多く、広大なキャンパスはゆったりとしていて、良いところですね。
日本にも大きなキャンパスを誇る大学がいくつかありますが、シカゴ大学の大きさはそれらを上回るでしょう。趣のある建物もあり、日本人観光客も訪れています。110余年前のシカゴ万博の跡地です。
―――大学の特徴は何でしょうか?
経済学を中心としてノーベル賞学者を数多く輩出していることで有名ですが、大学院以上の教育や研究活動に重点を置いた、典型的な私立の大学院大学と言えると思います。4000名の学部学生に対し院生9000名の構成で、多くが博士課程に進みます。ちなみに、講義は1学期10週間程のあいだに20冊前後の文献を読み込み、最後にレポートの提出を求めるなど、ハードな内容ですので、学生は学期中は勉強漬けです。私の子供2人もここを卒業していますが、結構、絞られたらしいですよ。
―――奥泉さんは、海外の図書館に長いあいだ勤務するという、日本人として珍しいキャリアを築いてこられましたが、どのような経緯でシカゴ大学に着任されたのでしょうか?
私は大学時代、当時としては珍しい「図書館学科」というところで学びました。これは第2次大戦後、GHQ(占領軍)の政策により出来たものです。アメリカ並みの充実した図書館への整備と人材養成が、新生日本の発展につながると考えたのでしょう。GHQは、図書館学科の開設先として東京大学などにも打診したようですが、紆余曲折を経て、最終的に慶応義塾大学が受け皿となりました。当初は、先進諸外国向けに明示するため、日本図書館学校(Japan Library School)という呼称も使用されておりました。
大学卒業後、そのまま慶応の図書館で働いておりましたが、1年間の予定でメリーランド大学図書館に派遣されました。当初は、派遣研修期間終了後、慶応に戻る予定だったのですが、そのままメリーランド大学に残り、結局10年いました。その後シカゴ大学に移り、いまに至っております。
シカゴ大学図書館について
―――そのシカゴ大学図書館ですが、非常に大きな、要塞のような建物ですね。シカゴ大学図書館、とりわけ奥泉さんがいらっしゃるレーゲンシュタイン図書館(Joseph Regenstein Library)とは、どのような図書館なのでしょうか?
ここレーゲンシュタイン図書館は、シカゴ大学の、いわゆる本館図書館にあたります。鉄道事業で成功した富豪レーゲンシュタイン家の寄付と国の援助をもとに、1968年に新築・竣工されました。地上5階・地下2階の巨大な建物のなかに、現在650万冊ぐらいの蔵書がございます。
―――シカゴ大学図書館の特徴は何でしょうか?
シカゴ大学には、レーゲンシュタイン図書館のほかにもいくつか図書館がありますが、ほかの大学ほど図書館がいくつにも分かれておりません。人文・社会科学系の本は主にレーゲンシュタイン図書館に集中しております。これは、いくつかの図書館に分散させてしまうことから生じる非効率を防ぐためです。本館に集中させることで、利用者はひとつの図書館で多くの本を手にすることができますし、運営も効率よくできます。
また、得てして図書館は、蔵書が増えていきますと、キャパシティーの問題から古い本を倉庫に詰め込んでしまうこともあるのですが、シカゴではそのようにはしておりません。と申しますのも、倉庫に本を詰め込み、必要に応じて取り寄せるというやり方では、書棚を自由に廻るなかから生まれる、本との偶然の、新しい出会いという貴重な機会が失われてしまうからです。基本的には、蔵書はすべて開架です。利用者には、図書館内を自由に探索してもらうことで、いつでも、どこにでも本の森に分け入っていただくようにしておりますし、新しい本との出会いをしていただくよう図っているつもりです。
―――羨ましいですね。私が利用する東大の本館図書館は、開架はごくわずかです。
ただ、このような方針をとっておりますので、シカゴ大学と云えどもキャパシティーの問題が出てまいりました。現在のスペースでは、近い将来満杯になってしまうのです。そこで、今年の秋から図書館の増築工事が始まります。2009年には新しい姿として披露できるでしょう。単一屋根の図書館棟としては世界でも最大級になる予定で、最新のコンピューターによる出納技術などが導入されます。
ところで、調査研究を深めるためには揃えておきたいのですが、頻繁に利用されるわけではなく、何より多額の購入資金が必要ゆえ頭を悩ませるものに、「大型・高額資料」があります。そこで、北米の主要諸大学でお金を出し合って、共通の会員財産として大型資料のセットなどを購入し、保管・利用しようという動きが出てまいりました。この制度は比較的長い歴史をもっています。幸い、シカゴ大学がその拠点に選ばれまして、キャンパス内に専用のビルを建て、購入した大型資料はそこで保管し、資金を拠出したすべての大学が利用できるようにしております。それが、研究図書館センター(Center for Research Libraries)と呼ばれている施設です。そこには、例えば『朝日新聞』や『ジャパン・タイムズ』などの創刊以来のすべての号が、マイクロフィルム版として保存されています。そのあたりも、日本の大学図書館には見られない特徴的なメカニズムでしょうか。
日本研究部門の司書として
―――奥泉さんが所属する東アジア研究図書館(East Asian Library)は、名前から窺いますと東アジア関係の文献を集める部署かと思いますが、ここにはどのくらいの和書があるのでしょうか?
和書だけということになりますと、およそ21万冊です。量としては、何とかアメリカのトップ・クラスに入るぐらいだと思います。
―――具体的には、司書としてどのようなお仕事をなされているのでしょうか?
日本研究部門の主任司書として、日本研究に資すると思われる文献を選定・購入し、その管理・運用業務をしております。また、日本研究専攻の博士課程学生などの論文執筆指導や助言などもしております。あとは、レファレンス・サービスといわれるものですね。
―――海外にいらっしゃると、日本の本の情報があまり入ってこないようにも思うのですが、どのようにして情報を収集されているのでしょうか?
紀伊国屋書店・丸善・日本出版貿易などが定期的に日本の新刊情報を流してくれますし、例えば東京大学出版会の『UP』や丸善の『学鐙』など各種PR紙誌も毎月送られてきますので、それらを見て日本の出版動向をフォローしております。また、日本に詳しいシカゴ大学の教授陣とも情報交換しております。ノーマ・フィールドさんなどは、いつも日本内外の最新の研究動向を的確に教えてくれます。
最近では、卒業して日本に帰った先生などからも、最新の情報をもらっています。ファックスやメールを使いますから、速いですね。毎年、日本へ集書旅行にも出向いています。
ただし、問題は、これらの情報をどのように利用するかということです。収集した多くの情報のなかから、日本研究にとって、シカゴ大学にとって、有益と思われるものを選択し、図書の購入をしていかなくてはなりません。この、評価・判断の作業は非常に大事ですし、同時にとても難しいことです。
―――奥泉さんは、司書としてのお仕事のほかに、御自身も研究・執筆を進めていらっしゃいますね。
私自身いくつか調べものをして、その成果を纏めております。日本語で読むことができるのは、大きなものとして、ひとつは在北米日本人の生活・交流などの記録の集成・監修があります。『初期在北米日本人の記録』(北米編25巻・ハワイ編9巻、文生書院刊)として第1期の刊行が終了いたしましたが、現在、第2期がスタートしています。軽く100冊を超えるシリーズになるでしょう。ふたつめは、戦後占領期の日本で発行された出版物を網羅的に収集した「プランゲ文庫」の紹介・分析です。研究成果は、各種専門誌に発表しております。そのほかに、浅田栄次についても調べております。
―――「浅田栄次」とは聞きなれない名前ですが、どのような方なのでしょうか?
若い方は御存知ないかもしれませんが、シカゴ大学開学以来の博士号取得第1号(1893年)は、浅田栄次という、旧約聖書学や言語学(ヘブライ語など)を学んだ明治の日本人留学生でした。いまでも、毎年の「シカゴ大学カレンダー」には、6月26日は浅田が博士号を取得した日として記されております。浅田は帰国後、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)開校に尽力し、自身も英語の教鞭をとるなど日本の英語教育を切り拓いた先駆者なのです。彼に関する多くの資料を、御遺族からの御提供もあり預かっておりますので、それらを分析しながら彼の生涯とその時代を追いかけているところです。
日本の図書館、アメリカの図書館
―――日本の大学図書館を、どのように御覧なられていますか?
文化が違いますので比較は難しいのですが、第一に日本の大学図書館は、司書制度がはっきり確立していないように思います。例えば日本では、図書館に勤務していた方が、数年後、人事異動などで大学の別の部局、たとえば学生課などに移っていた、ということがよく見られます。図書館の建物は立派になっていますが、その中で働いている人は、請求された文献を書庫から運ぶだけの人になってしまったりで、図書館の機能を活用させるような人材が育ちにくいと思います。第二に、大学当局や関係個人に意欲が足りない。
―――アメリカの大学図書館は違うのですか?
アメリカでは、「ライブラリアン(Librarian)」として専門職になっております。少なくとも私たちは、ひとつ文献の問い合わせがあると、それに関連する文献について紹介したり、補足説明したりします。学歴もさることながら、彼らには、やる気・職業倫理、創意工夫、それにサービス精神があるのではないでしょうか。
―――学生への指導とともに、図書館の積極的活用・活性化の推進役になっているのですね。
そういうことですね。これは私が考えていることに過ぎませんが、将来研究者になろうとする人は、例えば数年間、図書館協力員(仮称)として、本や資料の調べ方を学んでみてはどうだろうかと思います。「図書館協力員」になりますと、専門外の分野にも否応なく接しなくてはなりませんが、そうして広く様々な分野に接しておきますと、早くから専門分野にタコツボ化してしまう最近の学問や研究教育の弊害を防ぐことができるでしょうし、図書館にある資料を余すことなく活用する術を学ぶことができます。豊かな蓄積と大きな可能性を秘めた図書館を最大限に活用しないのは、非常にもったいないことです。
日本の学術出版、アメリカの学術出版
―――最近の日本の学術出版について、何か感じることはございますか?
日本の出版物を隈なく見ているわけではありませんので直感的な印象になってしまいますが、昔は、岩波書店や東京大学出版会など良い版元のものであれば、まず間違いなく内容も優れているということで安心して購入することができました。一流の出版社は、編集者のスクリーニングもしっかりしていたことの表れかもしれません。しかし、最近、その安定感は少しずつ崩れ、良書の比率が少しずつ下がってきているように感じるときがあります。読者の志向変化に対する、過渡期現象とでもいうのでしょうか。
また、アメリカで博士号を取得した論文を日本語で出版しようとする場合、著者が日本では無名ということで、大手の出版社からは出版を断られ、個人でやっているような小さな出版社から刊行されるというケースがあります。これは論文の内容以前のところで判断されてしまっており、如何なものかと思うときがあります。
―――日本の大学出版部について、何か感じることはございますか?
アメリカの各大学出版部は、自分の大学とは切り離して考えているところがありますが、日本の大学出版部はこの点やや違うという印象を抱いております。日本の大学出版部は、大学の補助機関的な存在になっていると思うのです。下請け的組織ですね。アメリカでは、編集者が目を光らせて、自分の大学に関係なく全米から原稿を集めてこようとします。Universityの根幹にあるUniversalの考えが入っているのです。
また、若い研究者を発掘し育てるという意識が、アメリカの大学出版部上層部には強いのですが、日本はやや負けているような気がします。ちなみにアメリカの場合、若い研究者がモノグラフを出版するというのは、大変なことです。彼らは、ポスト・ドクターなどの身分でハーバード大学など一流大学に行き、出版に向けて論文の修正に励みます。そこでは一応生活も保障されます。うまくいけばハーバード大学出版局から、それがダメならプリンストン大学やシカゴ大学の出版部から、それもダメなら例えば日本研究ならばハワイ大学出版部から、という具合に野心を秘め、磨きをかけた論文を持って大学出版部にアタックするのです。彼らは職を得るために、業績発表の絶好の機会である出版に全力を注ぎます。一流の大学出版部からモノグラフを出版できるというのは、いわば学知の特権階級に加入するようなものですから、それをめぐる競争は熾烈です。アメリカって凄い処ですよ。
アメリカ社会を生きる
―――ということは、アメリカ社会は堅固なヒエラルヒーというよりは、公平な実力主義なのでしょうね。
そうありたいのですが、現実は違います。アメリカは日本以上に揺るぎがたいヒエラルヒーが存在している代表的な国です。ただアメリカは、“見せかけ”が上手ですので、例えば誰でも大統領になれるかのようなイメージを作り上げ、周りを信じ込ませてしまう力があります。しかし実際は、こちらではよく“ガラスの天井”と言われるのですが、天井が見えるのでそれを目指して上に昇ろうとするものの何故か遮るものが邪魔をして昇ることができない。出自・学歴・経歴が決定的な影響力を持つ社会なのです。
―――そのようななかで奥泉さんがアメリカで長く活躍されてきた、その秘訣といったものは何かあるのでしょうか?
アメリカでは本当にいろいろなことが起こりましたが、全くのよそ者である私を理解し、助けてくれるアメリカ人がいたということだと思います。上司にもアシスタントにも、それにこの図書館の利用者にも、恵まれてきた半生です。その点は感謝しております。
よく判りませんが、秘訣らしきものは、家族があったこと、戦後の貧しい時代に「アメリカ式図書館学」を学んだこと、これに尽きるでしょう。若い頃は、学校で教わったことくらい役立たないものはないと思っておりましたが、いま振り返ってみますと、無駄ではなかったのですね。無駄の効用に気付かされた思いです。
―――最後に、今後の夢や展望をお聞かせください。
いままでの生活スタイルを変えることなく、司書としての仕事を続けながら、研究・執筆を進めていきたいと思っております。教授をはじめとして専門職に就いている者は、大学から必要ないと言われてしまえば翌日にでも辞めなくてはなりませんが、逆に言えば、必要とされている限り、いつまでも働くことができます。いわゆる日本の“定年退職”というものがないのです。現在の生活スタイルを維持するためにも、先ずは健康に気を付けて、ライブラリアンとして日本研究関係の蔵書構築(和書・洋書)の充実を図りながら、自分の研究・執筆を前進させていきたいと思っています。
(2006年8月15日)
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