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【インタビュー】
取次の近代と出版流通の未来
― 東京大学大学院・柴野京子さんに聞く ―
【解説】
柴野京子氏は、1962年生まれ、株式会社トーハンを経て、現在、東京大学大学院情報学環博士課程在学中、相模女子大学非常勤講師も務める。取次に勤務していた経験を生かして、出版流通を歴史社会学・メディア論の視点から研究しており、今年7月には、修士論文に加筆修正を加え『書棚と平台――出版流通というメディア』(弘文堂)として刊行した。同書については、「これまで出版流通について書かれた最も優れた作品である」(箕輪成男氏)、「本の未来を考えるとき、本書が示唆するものはたくさんある」(永江朗氏)など多くの反響を呼び起こしており、今後の出版を占う際の必読文献であることは間違いないだろう。
出版流通をめぐっては、高い返品率の一方で配本が読者のニーズに応え切れないなど、取次を中心として様々な課題を抱えている。各所で議論が活発に交わされているなか、いまに至る流通の来歴を冷静に分析することかた始まった今回のインタビューは、出版の未来を考えていくうえで示唆に富んだ論点が散りばめられていると思う。読者の皆様の参考になれば幸いである。
(聞き手・構成 東京大学出版会・橋元博樹/山田秀樹)
書籍流通と雑誌流通の歴史
―――日本の書籍と雑誌は、同じルートで流通するという、世界的にも例のないシステムであると言われます。このたび刊行された『書棚と平台』のなかで、柴野さんはそのふたつを丁寧に腑分けして書かれていますが、書籍流通がどのように雑誌流通に吸収されていったのか、その歴史を概観していただけますか。
一般的にどこの国でも書籍と雑誌は別物で、雑誌は新聞と同じ扱いです。実は日本でも、もともとはそうでした。今、当たり前のように書籍と雑誌が同じ本屋で売られていますが、歴史的にはそうではなかったのです。
雑誌というのは明治になってから登場した近代的なメディアでして、新聞と同じように西洋からもたらされたものです。その知的インフラを日本の国内で流通させていくことが、最初から計画的につくられていく。それは鉄道のシステムと一緒になっており、非常に分かりやすい。中心は東京にあって、中心から外側に同じように一律に行き届かせるということが、最初からミッションとなってつくられたのです。
一方、書籍というものは中世からありました。そこから連綿と続いているわけで、もともと地域的に限定された中規模の流通システムがあったのです。それが戦前までは何らかの形で引き継がれていた。この、全く違う文脈のふたつのものがあったということを、まず押さえておく必要があります。
それが変化していくのは、日本では書籍も雑誌も全部出版してしまおうという大きな出版社が出てきたことが大きいと思います。欧米の場合、出版社は雑誌なら雑誌社として育っていきますが、日本は総合出版社という形で育っていくところに特徴があります。なぜそういう形になったのか。おそらく一気に近代化が来たからだと思うのです。そのなかで、書籍づくりと雑誌づくりの両方のノウハウを持つ博文館などの出版社が出てきます。博文館は『日本大家論集』という雑誌からスタートした出版社ですが、のちに共同印刷となる博文館印刷所や、小売と卸の東京堂も設立し、近代最大の出版コングロマリットに成長しました。そうした中で徐々に流通部分が吸収・合併されていきますが、それが最終的に大きな塊になるのを推進したのが、雑誌の流通システムを担った人たちです。彼らとしては、自分たちが生活できるようにするための産業組織をどうしてもつくらなければいけないわけで、初期の段階で一生懸命やるのです。その際、書籍を一緒に巻き込んでしまおうというベクトルが働くのです。
ただし、書籍は全部が雑誌に同調したわけではありません。表向きは、定価販売など都合のいいところは乗っかっていくのですが、基本的には別物であったと思います。
というのは、雑誌は当初から発行者と流通業者は別なのです。これに対して書籍は作った人が売るということで、同じ人・組織が担っていく。そういうビジネスモデルが後まで残るので、雑誌のように流通の部分だけが大きな産業組織として形づくられていくことがなかったのです。
―――確かに、老舗の本屋さんは歴史的に出版部を持っていますね。
例えば京都の出版社はそうですよね。京都の、とりわけ専門書を扱う歴史ある出版社は、自社の出版物を自社で売るという形態が残っている。雑誌と違うところです。
―――その後、『大正大震災大火災』(講談社)がひとつの契機となり、書籍流通が雑誌流通の中に組み込まれていくのですね。
そうですね。直接の契機は、関東大震災の翌年、大正12年に『大正大震災大火災』という本を講談社がつくり、そのときに書籍のインフラが震災で打撃を受けていたので、雑誌の流通に乗せたことです。それが大成功したわけですが、それは雑誌のインフラの強さ、その時点で既に組織的に盤石であったことを示しています。やはり書籍は産業システムとして負けていたのです。その雑誌に乗っかってしまおうということで、大きく舵が切られることになったのです。
日配の適正配給・適正配本
―――流通史の中で、日本出版配給株式会社の果たした役割はきわめて大きかったと思いますが、その功罪についてどのように見ていますか。
書籍と雑誌が表向き相乗りをしていく、それをひとつの取次の中で実現させるのは、国家の統制機関である日本出版配給株式会社(1941-1950。以下、日配)が行ったことです。日配の話というのはこれまで言論統制的な文脈からされることが多かったのですが、同時に、出版物の統制というのは、配給統制、つまり物資の統制でもあるわけです。用紙をどの出版社に渡すかということと、できたものをどこに配分するかという、ふたつの配給をコントロールすることが日配の上部機関である日本出版文化協会の使命でした。普通、私たちは、戦時の統制は強制的なものというイメージがあるのですが、よく調べてみると必ずしもそうではなく、日配では草の根的なものをいかにつくっていくかということを、すごく言っています。
彼らは、都市のインテリではなく、むしろ本を読んでいない地方の人たちをターゲットに、いかに“読書”なるものを発掘していくかを一生懸命追求するのです。そして、そのために膨大な調査を行います。これは『書棚と平台』にも書きましたが、日配が発行していた「日配通信」という冊子に、毎号統計資料がとにかく膨大に出てきます。これは調査部というのが日配の中にあり、出版に関わるいろいろな調査、場合によってはどういう判型のものが売れたのか、など意味があるのか分からないような調査を徹底的に行い、その数字を掲載しているのです。
地方にも人を派遣して調査している。どういう本が読まれているのかを徹底的に調べる。これは何を目的としていたのかというと、どの地方にどういう、内容、価格、装丁のものを、どのくらい配本すれば、底上げ、ボトムアップにつながるかを調査しようとしたのでしょう。しかし結局、それは難しかったようです。調べても把握できるものではないということですね。
この話の関連として、すぐピンときたのは現在のPOSシステムです。POSというのは市場のデータを吸い上げるのですが、それは結果でしかない。それに似たものを配本することにおいて全く無効だとは言わないけれども、そこから読めるものは、本当に限られるわけです。事実はこうだということしか分からないわけで、それ以上に、そこにどのような人がいて、どのような本が読まれるだろうということを、データから読み取るのは難しい。
それは日配が目指した一番大きな目標でしたが、成功しなかったのです。
日配による合理化施策
日配の施策というのは、もうひとつは合理化でした。数少ない資源をうまく運用しなければならないわけですから、合理化を行っていく。このコスト削減については、大きな効果が出ます。例えば、今までバラバラに配送していたものを一緒に配送しましょう、などという合理化です。
同時に、仕事も合理化していくのです。労働者を兵隊に取られていくので、いわゆる女子が急に入ってもできるような単純なシステムを編み出していく。
この合理化は成果を上げていきます。加えて、適正配本によってロスなくさらにボトムアップを図るという一石二鳥を狙うわけですが、先ほど言いましたように、こちらのほうはうまくいかない。うまくいかないでいるうちに、戦時下の厳しい状況ゆえそもそも配本できるような本自体がなくなってしまいました。
最後にはどういうかたちになるかというと、適正配本はあきらめ、本も少ないので地域に読書会のようなグループをつくらせ、工場や青年部などの集まりに対し何冊配本という仕組みにしてしまう。予めマーケットをつくることで規定し、そこに合うものを配給するというかたちに移行するのです。
―――日配が戦後の取次に継承されていく際、合理化の施策はプラスの側面として受け継がれたのでしょうか。
戦時下の体制ですので批判もあるかと思いますが、徹底的に合理化したことにより改善されたことも多く、日本の出版物の流通がこれだけ低コストで出来たのは日配の下地があったからだと思います。それはある意味で評価できるかもしれない。
本来、書籍はもう少しコストがかかるはずでしたが、雑誌と流通を一本化したことによって、そのコストを吸収するかたちができたということです。また、書店のほうも両方を扱う習慣が定着しました。
現在の書籍流通システム
―――ここ10年、20年という幅で考えると、出版流通システムは非常に進化していると思うのですね。デジタル技術などを取り入れることによって、プロモーションやマーケティング技術も出版社・取次・書店それぞれが向上している。にもかかわらず出版物の売り上げは年々落ち込んでいる。この原因というのは、出版流通の中にあるのか、あるいはもっと外側の、例えば人々の読書傾向などにあるのか、そのあたりどのようにお考えですか。
本の読まれ方が変わってきているというのは当然あると思います。ただ、これは博士課程で取り組もうと思っているテーマと関連しますが、今おっしゃっている出版流通というのは新刊流通に限った話なのですね。それ以外にもアマゾンのマーケットプレイスや古書などもあるわけですから、それらを含めて、すなわち世の中の全体を捉えて流通と見なければならない。おそらくスペースの問題などにより、個人の家の中では本は圧倒的に減っていると思いますが、それは本を読まないということではなく、図書館で借りる、あるいは古書などでリサイクルして、逆に循環するような仕組みになっているかもしれない。その意味で、もう少し全体像をよく見たうえで議論していく必要があると思います。1996年のピークから確かに売り上げは落ちている。これは確かなことですが、そのことと本の流通のことは少し違うのではないかと思います。
―――取次ルートでの売上減だけを以てマイナスの評価をすることはできないということですか。
そうですね。マイナスの評価もできないし、たぶん有効な策も打てない。新刊流通業界の中での施策というのはあるわけですが、その比率・比重というのは年々下がっている気がします。書籍全体の流通の中での新刊流通の比率が下がっているのです。出版社・取次・書店という業界の三角形の構造の外側はものすごく大きくなっている気がする。この三角形は縮小しているのですが、そこだけ見ていても絶対に見えてこない。重複になりますが、インターネット書店やブックオフの登場によって、既刊本の価値がクローズアップされてきたと思います。たとえば最近、都市部の若い人たちを中心に盛んになっている古本カフェや、一箱古本市のような、業界の外側の流れは、こうした文脈から理解する必要があります。
―――先ほど話されたように、歴史的には書籍流通が雑誌流通に吸収され、そのことはプラスとマイナスの両側面があると思います。ただ、書籍流通のコストを雑誌流通に肩代わりしてもらうという仕組みが続いていたわけですが、最近の雑誌の不振により、その部分を支えられなくなっているのが今の状況だと思うのです。その際に、書籍流通が雑誌流通から自立してやっていける可能性はあるのでしょうか。
それも先ほどの話に関わってくるのですが、射程は相当広くとっていくか、逆にものすごく限っていくか、どちらかでしか生き残る道はないでしょう。射程を限っていく場合は結局、「欧米並みに書籍の価格を上げよう」ということになるわけですし、現に取次はそのようなことを言い始めています。雑誌で支えきれないから本の値段を上げてくれという話になるわけです。書籍流通だけを自立させようとすると、そこにしか解決策はないですね。
そうでなければ、射程を相当広くとって、先ほどの社会的な循環ぐらいまで視野に入れて、その中でどのくらいのコストパフォーマンスをあげられるのか、考えていくことになるのかもしれないですね。つまり、雑誌に代わるパトロンを探すということです。
オンライン書店について
―――オンライン書店が書籍の流通に及ぼした影響と今後に及ぼす影響について、どのようにお考えでしょうか。
『書棚と平台』に書き忘れたのですが、なぜアマゾンが日本のオンライン書店でトップなのかといえば、それが世界一、日本一の書店だったからという理由ではないと思います。というのは、規模や知名度ならバーンズ&ノーブルですし、紀伊國屋書店だったりするわけです。それを超えてなぜアマゾンがオンライン書店のトップになったかというと、もともと洋書をアマゾンで買う研究者や編集者がいて、彼らのあいだでは口コミでアマゾンを利用することが広がり、購買パターンが確立してしまった。その利便性を充分分かっていたので、その層が和書にも同様のことを求め、圧倒的にアマゾンを使い続けるのだと思います。
ただ、それがすべての人に及ぶとは思えませんので、二層化していくのではないかと思います。非常に部数が少ない本、あるいは専門的な本などが、検索を利用するユーザー層と相性良くアマゾンでの売上につながると思います。
―――現在の出版流通の枠組みの中で考えますと、アマゾンの登場によって取次が変化せざるを得なかった部分はありますか。
注文物流をビジネスにするというモデルを本格的に展開したのは、やはりアマゾンだと思います。注文物流へのリクエストは昔からあったわけですが、お金が掛かるのでやらなかったわけですね。それはサービスなんだ、つまり料金の上乗せもしないで1000円程度の単価の安いものを直送するのは、サービスでやっているにすぎないと考えていたのです。そこにアマゾンが登場したことにより、ビジネスにすることが迫られたのです。これが一番大きかった。その結果、取次は大規模な設備投資をするわけです。
今後の研究テーマについて
―――最後に、今後の研究テーマについて話をお聞かせください。
ふたつほどありまして、ひとつは先ほど申し上げたように、社会全体の中での書物の循環、広義の意味での流通ということを考えたいと思っています。今興味を持っているのは古書の取引です。今はまた新刊書と古書の併売という話が出てきていますが、歴史的には、新刊と古書の売り方が未分化であったようです。本屋といえば新刊も古書もあまり区別がなかった時代から、区別するようになり、そしてまた一緒になるという過程があるようなので、そこをもう一回レビューしていきたいと思います。
もうひとつは、流通システムの中である意味での統制についての研究です。それは戦時の統制とは違う意味がおそらくあると思うのですが、自浄作用というか、コントロール作用みたいなものが何かあると思うのです。取引形態を統制することによって商品の露出が変わるわけですから、そういうものが相当長い年月続いていくということは、それは単に取次が大きく権力的な立場にあるということではなく、メディアの流通のなかで何らかの合理的な普遍性があるような気がするのです。それが何なのかを知りたくて、今は満州国の書籍流通を調べています。これは日配設立の前年にモデルとして出来るのですが、日配が成立していくプロセスで、逆にこの満州の書籍流通が反面教師になっていくのです。満州や朝鮮で失敗している部分があり、それが反面教師として日配のシステムに反映されるのです。その失敗の原因はおそらく取次との関係にあるのですが、そのあたりを調べることで何か見えてこないかと考えています。
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