「三笠宮文庫」贈呈式
有限責任中間法人 大学出版部協会
国際部会長 三浦邦宏(明星大学出版部)
社団法人出版文化国際交流会から大学出版部協会山口雅己理事長宛に、ロシア・サンクトペテルブルクにおける「三笠宮文庫」贈呈式への出席要請があったのは 11月半ばのことであった。あいにく山口理事長は所用で出席できず、市川副理事長・三浦事務局長と国際部会長である私に対応が委ねられた。三者で協議の結果、都合がつくのは私だけであったので、急遽山口理事長の代理として私が出席することとなった。
とにかく出発まで日が迫っており、交流会横手事務局長に連絡をとって11月29日、交流会事務所に石川専務理事・横手事務局長を訪ね、改めて「三笠宮文庫」贈呈式についてのレクチャーを受けた。この事業は社団法人出版梓会、社団法人自然科学書協会ならびに我々大学出版部協会の3団体がフランクフルト国際ブックフェアに出展した図書を、今後3年間に亙り継続して寄贈することにより行われるとのことであった。その後山口理事長に交流会との打ち合わせにつき報告した際、経済的な負担は難しいが、協会加盟出版部が出版した図書を寄贈することは「三笠宮文庫」の歴史的背景に加え、実際に日本研究や日本語学習に利用されていることなどの観点から理解が得られるのではないかと私は考え、3年間が経過した後も大学出版部協会として更に図書の贈呈を継続してはどうか、と山口理事長に申し上げたところ直ぐに同意して下さった。そしてサンクトペテルブルクでの贈呈式の際、我々のその意向を是非ご披露いただきたいとまで言っていただいたのである。12月6日再度交流会事務所を訪ね最後の打ち合わせを行った際、大学出版部協会としては当事業が完了した後も継続して交流会を通じ「三笠宮文庫」に図書を寄贈していきたいのでご協力をお願いしたい旨伝えると、大変有り難いことで歓迎するとのご返事を交流会からいただいた。
12月11日石川専務理事に伴われ成田国際空港を出発、モスクワ・シェレメチェボ国際空港までおよそ10時間のフライトであった。機内で改めて石川専務理事よりスケジュールの確認や、今回の「三笠宮文庫」贈呈式の背景などについての詳細なレクチャーを受けた。この「三笠宮文庫」贈呈式を企図された、在サンクトペテルブルク日本国総領事・城所卓雄氏の熱い思いが感じ取られ、当初は果たして私に山口理事長の代理が務まるのかと多少のためらいもあったが、しっかりと役割を果たさなければと気持ちを新たにした。定刻通りモスクワ・シェレメチェボ国際空港に到着、国内線に乗り換えサンクトペテルブルク・プルコボ空港に到着、ツーリスト手配の車で宿所ネブスキーグランドホテルにチェック・インしたのは午後10時近く、日本との時差は約8時間、14時間ほどの長旅であった。
翌日城所総領事のご配慮で昼食会が開かれた。昼前吉永小麻子副領事(文化広報担当)の迎えの車で『将軍』という日本食レストランへ案内される。城所卓雄総領事に会い挨拶をし、持参した協会のリーフレット、合冊目録、40周年記念誌、日・韓・中三カ国セミナー資料等を渡し、簡単に協会活動を説明するうちに、ロシア科学アカデミー図書館の副館長Dr.ナタリャ・コルポコヴァ女史、アジア・アフリカ文学部タティアナ・ビノブラードヴァ職員、ヴォジェヴォツキィ・イーゴリ東洋学研究所付属図書館司書、バルバラ・ベレツキナ日本語・日本文学担当の4名が到着され、同じく持参の協会関係資料を渡し、挨拶を交わす。昼食会場はかつてプーチン大統領がサンクトペテルブルク時代に度々訪れ、利用していた部屋とのことであった。
城所総領事はモスクワ大使館勤務も経験されており、在外公館長としての役割を十分心得ておられ、トヨタ自動車の工場が稼働し12月23日に第1号車の完成式があり、プーチン大統領が出席する予定であること、また来年4月下旬にはトランスアエロ航空が、週2便成田との間に直行便を就航させるなどの情報を伝えて下さり、これから日・ロ間にとって、サンクトペテルブルクが重要な役割を果たすことになるであろう、との感想を述べられた。
昼食をとりながら吉永副領事が素早く通訳をして下さり、ロシア科学アカデミー図書館の方々と意見交換を行った。同図書館においても予算削減に伴い職員数が減少する一方、蔵書数が増加しており深刻な問題となっている。ロシア科学アカデミー図書館はロシア各地にあり、サンクトペテルブルクの図書館がそれらの全てを統括している。ウラル地方では財政難等の事情から、市当局に図書館が売却されるなどの深刻な状況が出現しているとのことであった。そのような中で最近イスラムに関する図書5000冊が同図書館に寄贈されたとの発言があった。すかさずその発言を受け、交流会石川専務理事が「三笠宮文庫」への図書寄贈に触れ、当面3年間の事業であるが大学出版部協会が独自のプランを持っているようです、と私に発言を促された。それを受け、「三笠宮文庫」の歴史的背景と価値に鑑み、我々大学出版部協会として蔵書5000冊を目指し、交流会を通じ継続して図書を送り続けて行きたいと考えています。ただしあなた方の仕事が増えることになりますが、と発言したところ、心から歓迎するとの回答をいただいた。まさに出版文化国際交流会を通じ、もう一歩踏み出した日・ロの新たな民間交流が生まれた瞬間であったと思う。無論在サンプクトペテルブルク日本国総領事館の、全面的なバックアップがあって初めて実現することではあったが、城所総領事はこの提案を快く受け止めて下さった。
翌12月13日午前、吉永副領事のご紹介で、サンクトペテルブルク国立大学東洋学部にビィクトル・ルィービン教授を訪ねた。ルィービン教授は快くお迎え下さり、思いがけず日本語を専攻する1年生の授業を見学する機会を与えて下さった。ヨーロッパの大学は概ね9月に新学期が始まる。未だ2カ月余りしか経っていないというのに日本語での自己紹介がしっかりでき、さらには“いろは”47文字を諳じているのには正直言って驚かされた。ルィービン教授は、日本の歌謡曲のカラオケを利用するなど、極めて工夫された独自の授業を実践されていた。また、ルィービン教授からいただいた同教授の論文「サンクト・ペテルブルグ(ロシア)における日本語学習と日本研究300年のあゆみ」(国際日本文化研究センター紀要、『日本研究』第32集平成18年3月抜刷)によると、18世紀初頭カムチャッカに漂着した日本人(伝兵衛)が当時の首都モスクワへ連れて行かれ、時の皇帝ピョートル1世に謁見した。ロシアの領土拡大を目指し、東方への進出の野望を持った皇帝は、新首都サンクト・ペテルブルグの完成後彼を新首都に移し、日本語教師の称号を与え、1705年航海数学学校内にロシア最初の日本語学級を開かせたと言う。日本から1万キロメートル以上離れたサンクトペテルブルクで、実際に日本語を学んでいる学生の存在を目の当たりにし、 300年にも及ぶロシアの日本語教育の歴史を知り、改めて「三笠宮文庫」の存在する意義の深さを強く認識した。
ホテルに戻りいよいよ「三笠宮文庫」贈呈式に臨むため、徒歩で在サンクトペテルブルク総領事館に向かう。城所総領事は快く石川専務理事と私を迎えて下さり、贈呈式前のお忙しいひと時を裂いて、サンクトペテルブルクにおける日本の状況について細かくご説明下さった。気さくで在外公館長の務めを私たちにお示し下さった城所総領事のお人柄に応えなくては、と心を新たにした。
ほどなく出席者が揃い、総領事館ホールで贈呈式が始まった。まず城所総領事が「三笠宮文庫」贈呈式挙行の経緯を披露し、三笠宮崇仁親王殿下のメッセージを奉読された。
引き続き交流会石川専務理事が挨拶に立った。同文庫については既報のとおりだが、改めて石川専務理事の挨拶の概要を記したいと思う。1882年有栖川宮熾仁親王殿下が明治天皇の名代としてアレクサンドル3世の即位を祝し、ロシアを訪れた際、サンクトペテルブルク大学で日本語が教授されていることを知り、大変感動され日本に帰国後ご自身の蔵書4700冊をサンクトペテルブルク大学に寄贈された。これが所謂「有栖川文庫」である。その後レニングラードと名を変えた同市は、第二次大戦時ナチス・ドイツにより壊滅的な打撃を受けたが、同大学日本語学科教師オリガ・ペトロワ女史が身をもってこれを守り抜き、現在も大切に保管されかつ利用されている。この話をお聞きになられた三笠宮崇仁親王殿下は1977年日本の関係団体に呼び掛け、381冊の図書をロシア科学アカデミー図書館に寄贈された。これが「三笠宮文庫」である。その後2003年、三笠崇仁親王殿下を名誉総裁に戴く社団法人出版文化国際交流会が創立50周年を記念し、418冊の図書を同文庫に贈られた。その後交流会は同文庫の拡充を計画していたが、現在の799冊を当面5000冊規模まで拡充したいと考え、交流基金と共同設営しているフランクフルト国際ブックフェアの日本ブースに出展された出版梓会、自然科学書協会、および大学出版部協会の図書を今後3年間に亙り寄贈する運びとなった。この計画に対し、在サンクトペテルブルク城所日本国総領事のご配慮により、このたびの贈呈式が挙行されることになったわけである。石川専務理事はこの「三笠宮文庫」の歴史と関わって来られた方々の思いを伝え、このたび贈呈する3団体を代表し、日本から出席した私を紹介してくださった。
私は歴史あるロシア科学アカデミー図書館の「三笠宮文庫」に対する今回の図書贈呈はとりあえず3カ年の時限事業とのことであるが、大学出版部協会は独自に同文庫蔵書5000冊を目指し、その後も継続して我々の出版する図書を贈呈し、日・ロ間の相互理解と友好に些かなりとも寄与することができれば、これに優る喜びはありませんと挨拶した。
これに対し、ロシア科学アカデミー図書館副館長Dr.ナタリヤ・コルポコヴァ女史から、ロシアと日本との交流については初期段階から同図書館が関わってきた。1736年にはロシア科学アカデミーにおいて、ヨーロッパで初めての日本語学校が開設され、日本からの漂流民“ゴンザ”が日本語の授業を行い、最初の 3年間にいくつかの日本語の教科書を作成し、18世紀には同アカデミーに日本の古文書が存在していた。さらに日・ロ間に外交関係が成立後、蔵書交流が始まり、主に日本の学術団体との交流を中心に、様々な歴史を経て現在に至っている。日本という国は同図書館の活動にとって大変重要な位置を占めている。日本との善隣友好関係は非常に永い間続いてきた。これを常に支えてきたのが官民双方におけるそれぞれの文化、伝統に対する相互関心であると思う。尊敬する皆さん、本日このような贈呈式を催して下さった日本の関係者の方々に深く感謝申し上げる、とお礼の挨拶があった。
「三笠宮文庫」贈呈式はこれにて滞りなく終了、引き続き城所総領事より国際交流基金による日本語教材寄贈式が行われ、ロシア科学アカデミー東洋学研究所を始め9つの教育機関に対し総額7000$にのぼる日本語教材が贈られた。以上をもって儀式はすべて終了、全員で乾杯し軽食でのパーティーに移った。その後予定にはなかったことだが、教材の寄贈を受けた大学の学長、学校の校長達から次々に感謝の言葉が述べられた。私にとって驚きだったのは、二つの小学校(と言ってもロシアでは小・中・高の12年制の一貫教育)で日本語が教えられている、ということであった。やがて贈られた日本語教材を大事そうに抱え、三々五々帰っていった。石川専務理事とともに城所総領事、吉永副領事に「三笠宮文庫」贈呈式の労をおとり戴いたことに感謝を申し上げ、今後のご協力をお願いし総領事館を辞した。
翌日昼ホテルをチェックアウト、ツーリスト手配の車でプルコボ空港へ。15時30分、短い滞在ではあったが、非常に意義深かったサンクトペテルブルクに別れを告げ、モスクワ・シェレメチェボ空港で乗り継ぎ、日本では考えられないほど厳しいセキュリティチェックを受け、定刻を1時間30分近く遅れ、20時 30分SU581便はモスクワを離陸、帰国の途に就いた。
10時間に及ぶフライトの間、日・ロ間の民間交流の歴史、実際に目の当たりにした真剣に日本語を学ぶロシアの学生、「三笠宮文庫」の意義、そしてそれらの何にも増して社団法人出版文化国際交流会の存在の大きさを今更ながら認識し、これから我々大学出版部協会が同交流会との協働をどう構築して行くのか、などと今回のサンクトペテルブルク行きから与えられた宿題の大きさを改めて思いつつ、12月15日昼過ぎ成田空港に降り立った。