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【コラム】日本の大学出版部の創生:慶應義塾出版局/社

2010-03-24 11:51

 大学出版部に職を奉じている者として、日本の大学出版部の創生はいつかについて関心をよせてきた。今日に続く大学出版部という意味では、明治19・1886年に東京専門学校出版局の名称で設立された早稲田大学出版部が嚆矢である。しかし、大学出版部の先駆的存在である慶應義塾出版局(社)も重要である。これは、明治2・1869年の福澤屋諭吉を継いだものである。いつ設立され、いつ幕を閉じたのか。

 石河幹明『福澤諭吉』(昭和10年)によると、「慶應義塾出版局」の設立は明治5・1872年である。《慶應義塾が三田に移った翌年の明治五年には、塾の邸内に出版局と名づくる出版所が設けられ、先生の著訳書をここで出版することになった》(161頁)とある。そして《三田に移った当初は在来の長屋を印刷所とし売りも此処でやってゐたところ、出版物の売行が非常に増して来て小規模の工場では間に会はなくなったので、慶應義塾出版局なるものを創立し、・・・事業のますます繁昌するに従ひ其組織を改めて合資会社となし、出版局の名を出版社に改めた。》(163頁)富田正文『考証福澤諭吉』上(1992年)377頁では、出版局の設立を明治5年8月としている。これは、福澤諭吉名で東京書林組合に加入したことに依拠していると思われる。

 そして、石河『福澤諭吉傳』第3巻(1932年)では、時事新報は三田の慶応義塾出版社で発行していたが、明治16年10月に日本橋丸善の近く、日本橋通3丁目11番地に移転し、《十七年七月に慶應義塾出版社を時事新報社と改称した。》また、第2巻95頁では、《明治十年頃から朝吹[英二]を始め主なる社員は他に転じ、其後は中島精一が事業を担任していたが、明治十五年に「時事新報」を出版社から発兌することになったので、従来の出版事業は中島に譲渡してしまった。》とある。これで見ると、慶應義塾出版局/社は、明治5年に誕生し、15年には従属的なものとなり、そして17年7月に消えたということになる。まだ、慶應義塾において大学が構想される以前の話である。

 今日の慶應義塾大学出版会は、明治5年設立の慶應義塾出版局/社とは組織的連続性はないが、精神的・理念的に継承している大学出版部である。

 2010年3月10日 東京大学出版会 竹中英俊

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