前号で、日本の大学出版部の魁として明治5年・1872年設立の慶應義塾出版局を挙げた。ここでは、同出版局をつくった福澤諭吉に考えたい。まずは、諭吉が書籍や出版に関心を抱いた事由の一端を紹介してみよう。
福澤諭吉が文久2年・1862年に幕府の遣欧使節に随行してヨーロッパ諸国を巡遊したときの日記である『西航記』は、さまざまな視点から読むことが可能な記録である。同時に、万延元年・1860年の遣米使節随行の経験を合わせ踏まえて『西洋事情初編』を準備する巡行の記録であった点でも重要である。1867年の渡米を含めた福澤の3度の外国体験は『福翁自伝』に福澤自身の言葉で表現されていて、それはそれとして大変興味深い。同時に、生の資料としてのこの日記も大いなる関心を引く。
『福澤諭吉書簡集』第8巻月報(20002年6月)に寄せた杉山伸也のエッセイによると、明治12年の『民情一新』に特徴的な「文明の利器」としての「蒸気船車、電信、郵便、印刷」への注目は、『西航記』に記録される「テレガラーフ局」「伝信」への関心にさかのぼるという。
杉山に習い私は、「文明の利器」としての近代「書籍」への注目は、『西航記』に記録される「蔵書庫」「書籍」への関心にさかのぼる、と主張したい。『西航記』から抜粋する。
8月2日ペテルスブルグ:《蔵書庫に行く。書籍の数、板本九十万冊、写本四万冊。右の内、魯西亜出板の書は僅に六万冊のみ。古書あり、これは千四百四十年独逸出板の経書なり。是欧羅巴最古の板本と云。》
閏8月3日パリ:《巴里に書庫七所あり。今日見所は最大なるものなり。書籍百五十万巻。》
ペテルブルグの蔵書庫での「古書あり、これは千四百四十年独逸出板の経書なり。是欧羅巴最古の板本と云。」は、まさにグーテンベルクの『四十二行聖書』であろう。福澤諭吉は、西洋近代最古の金属活字印刷本をじかに見た最も早い時期の一人であろう。
福澤の近代書籍との接触体験において彼が意識していたのは、幕末日本の蕃書調書(1856年)→洋書調書(1862年)→開成所(1863年)ではないだろうか。
1867年の第3回目の海外派遣の際に、福澤は幕閣と軋轢を起こすほどの大量の書籍を購入した。この大量の書籍が福澤の明治期の活動の基盤をなす。そして、その活動は、日本での大学出版部の先駆につながるのである。
2010年4月28日 東京大学出版会 竹中英俊