10月26日と27日の二日間にわたって、公開研修会「電子出版・学術情報の電子化の実践のために」が開催された。主催は当協会関西部会・電子部会。参加者は約50名。
会場となった大阪大学中之島センター周辺は福澤諭吉の誕生の地。堂島川をはさんだ対岸には「福澤諭吉誕生地記念碑」が建てられている。「大学出版の祖、福澤生誕の地で研修会を開催できることを、たいへん喜ばしく思います」という竹中英俊(協会常任理事・東京大学出版会)の開会のあいさつによって、2日間におよぶ研修会がはじまった。
初日は第1テーマ「学術情報の電子化を軸にした大学教育・研究の再編成」について、2人の図書館員の講演からスタート。
竹内比呂也(千葉大学図書館長)は、「アカデミックリンク」を軸に大学における高等教育の変化を報告。「アカデミックリンク」とは千葉大学が全学的に取り組んでいる教育改革のひとつの「実験」であり、その手段として学生へのデジタルコンテンツの提供が不可欠なものと位置づけられている。竹内は、図書館はこの全学的実験のなかで学習支援という機能を発揮する必要がある、そのためには学習・教育に利用可能なコンテンツが安定的に学生に見える形で供給されることが不可欠である、と述べた。
ついで上山卓也(京都大学図書館)が「機関リポジトリ」を中心に学術情報のデジタル化について報告した。上山によれば、文理を問わず学術・研究領域ではデジタル化のニーズがますます高まっている。そして、例えば紀要のデジタル化にみられるように、その流れに対応すべく、図書館が「学内出版社」の役割を担っているという。
第2テーマは「大学出版部と図書館の実践的連携と展開」について島田貴史(慶応義塾メディアセンター)と黒田拓也(東京大学出版会)が報告。慶応義塾大学メディアセンター(図書館)における学術図書デジタル化実証実験の背景・意義・成果をそれぞれ図書館、出版社の側から述べた。
竹内、上山、島田の3名の図書館員の話は、大学の変化、その一翼をになうものとしての図書館の変化、そして図書館員の意識の変化が端的に表れたものであった。そしてこれを受けた黒田の報告は大学出版としてこの動きにどのようにキャッチアップしていくかという、喫緊の課題を参加者に問いかけたものであった。
4名の報告を受けての質問と討論では、まず司会の橋元博樹(協会営業部会長・東京大学出版会)が論点整理を行い三つの点を提起した。第一にデジタル化の利便性・効用。とりわけ研究・教育現場におけるそのメリットが図書館からの報告に多々あったこと。第2にその障壁、つまり利便性があるとはいっても書籍のデジタル化にあたってコストがかかりすぎて出版社の収益を上げる段階にはないこと。そして第1の点について出版社は図書館の意見にもっと耳を傾けるべきであり、第2の点について出版社は図書館にもっと説明をするべきである、とした。そのうえで第3の論点として、その利便性とコストをどう見込み、図書館との持続的な事業とするのかということが問われているのではないか。このように整理した。
これを踏まえて、会場参加者を交えての討論と質疑応答が行われた。
まず、土橋由明(大阪大学出版会)から図書館の収益事業化について質問。「昨今大学での収益事業が重要視されているが図書館が収益事業をはじめるということは考えられないか」。これにたいし竹内・島田両氏からは「図書館自体が収益事業をするよりも、大学全体の事業で図書館予算を増やす方向が現実的」との回答が寄せられた。竹内は、限られた図書資料費だけでは大学における市場は広がらない。教育改革と教材の電子化という流れの中で、従来の図書館資料費とは別枠の予算が必要である、というロジックをつくる必要がある、としたのである。さらにそのときに、購入費用を「授業料」「教材費」として大学が徴収するというアイデアも提案した。大学という市場を考えたときに、出版社にとってこのことの意味するところは限りなく重要である。
また、松本功(ひつじ書房)からは「本づくりという観点からみて、そもそも電子化とは何か」という根源的な問いが発せられた。小磯勝人(慶應義塾大学出版会)、黒田らが、みずからの編集者経験を踏まえて、これに応えた。
ビジネスモデルの模索という現実的な課題とこのような根源的な問いの間を行き来しながら、デジタル出版のあるべき姿に近づいていくのであろうか。
討論の後は会場をかえて懇親会。主催者を代表して岩谷美也子(協会理事・大阪大学出版会)が挨拶。豪華な料理とアルコールに魅了されつつ、懇親会会場の随所でひきつづき議論は続いた。
二日目は午前10時からスタート。午前中の第3テーマは「変わるキャンパス、変わる教材」としてそれぞれビジネスセクター側、大学側から一人ずつ講演をおこなった。
まず、林茂氏(アップルジャパン)はアメリカの教育現場を紹介する映像を流しながら、電子環境を利用したアップル社の教育サービスを説明した。
次いで柴野京子(東京大学教員)による「東京大学新図書館構想とデジタル環境における教育研究の試み」。全学的な実験を行っている千葉大とは対称的に、東大では各部局がそれぞれのデジタル化を行っている。柴野は総合図書館による新図書館構想・デジタルプロジェクト案、大学総合教育センターによるUT‐eTEXT、知の構造化センターによる『思想』構造化プロジェクトなどを紹介。デジタル化を重視した大学の姿勢とあわせて、大学が学内リソースを公共的な市場化として展開する可能性も示唆した。
昼食をはさんでいよいよ最後のセッション、第4テーマ「ビジネスとしての学術情報電子化」。ここでは当初、鈴木哲也(関西支部長・京都大学学術出版会)が報告をする予定であったが、鈴木が体調不良で入院したため、山脇佐代子(京都大学学術出版会)が原稿を代読。京都大学学術出版会によるiPadアプリ『京大理学部 わくわく理学』の製作から販売までの中間総括を踏まえた論点の提示であった。
なぜiPadを選択したのか、タブレット端末としてのiPadの有効性、販売チャネルの問題(BtoCモデルの優位性、すなわち図書館購入モデルの限界)が詳細に報告された。そして経験から得たこととして、作成ノウハウの不足、高コスト、テキストの不確定性による学術コミュニケーションの変化をあげた。では、販売実績はどうであったのか? 報告によると紙の本に置き換えた場合「ナショナルチェーン一つ分」。つまり、ひとつのプラットフォームだけの販売数としてはまずまず。だが、原価を回収するには到底及ばない。そういう経験を踏まえて、市場構造の側面からみたNetLibraryのような図書館販売モデルとの比較、価格の問題、ターゲット市場の絞り込みなどが論点として挙げられた。具体的な経験を経ているだけに、説得力のある問題提起であった。
最後に、司会の山本俊明(協会電子部会長・聖学院大学出版会)をコーディネイターとして、参加者全員による総括討論。山本は、現時点を紙の本からデジタルへの移行期と捉えた。その移行期の試みとして、まずは参加大学出版部が各々の取り組みを紹介した。
田中直哉(関西学院大学出版会)はゼロックス技術を利用した学位論文のプリントオンデマンドへの取り組みを紹介。石沢岳彦(東京電機大学出版局)はiPhoneアプリとNetLibraryへのコンテンツ提供について報告。石沢によるとiPhoneアプリは初期コストを回収できていないが、NetLibraryについては、早い時期からとりくんでいたのでそろそろ初期投資が回収できる見込みである、という。
とはいっても、いまだ電子書籍が本格的なビジネスとして離陸できているとはいえない。
橋元は初日の図書館員の発言を引用して、図書館市場をターゲットとしたビジネスモデルの可能性に言及した。それには単なる紙から電子への買い替えであってはならない。電子書籍を導入することで図書館予算、和書購入費を広げる工夫を行わなくてはならない、そのためには図書館と出版社の「連携」が必要である、と。
そして最後に、黒田がもうひとつの重要な「連携」について、すなわち32大学出版部の連携を呼びかけた。経験を相互に交流させること。そして大学出版としての共同の事業展開を行うこと。このことが図書館からも大学からも求められているのである。
こうして二日間におよぶ研修会を終えた。論点は多岐にわたり、必ずしも一つの方向に収束するものではない。ときに対立する意見も孕みながら、未解決の課題も多く残された。だが、大学と大学図書館がこの電子化のなかで大きく舵をきっていることは参加者のだれもが実感した。そして、この流れは出版社にとって必ずしも歓迎する結果にたどり着くという保証はどこにもない、ということも。
だからこそ、出版社としては電子化事業を持続的なものにしていくという社会的使命があるのではないか。とりわけ大学に活動の拠点をおく大学出版部としては学術・教育変化に対応することは必須である。
この点を共有できたことこそが、二日間の大きな収穫であった。(文中の敬称略)