《私が1948年大学を出て政治学の勉強をするようになった・・・それから30余
年はるかなりたぎりたつ八重の汐じお、私は、ゆられゆられてここに漂着した。》
──これは、『日本政党史論』につづいて著した『戦後政治 1945-55』上下、
『現代政治 1955年以後』上下の、後者の「あとがき」の末尾に升味準之輔が記し
た感慨である。刊記は「1985年1月快晴の日」、著者58歳の時。
鮮明に記憶するのは、手書き原稿では「八重の汐じお」ではなく「八重の汐路
を」となっていて、初校の校正刷の段階で先生が朱を入れられたことである。言
葉としては両方ありえるが、柳田國男の話しに想を得た島崎藤村の『椰子の実』
に由来するが故に「八重の汐じお」を選んだのである。『新装版 日本政党史論』
に寄せた解説で、升味の独自の文体について御厨貴は「升味史論体」と命名した
が、その文体が、どこから言葉の水脈(みお)を曳いているかを推測させる、ひ
とつのエピソードであると思う。
昨2011年は東京大学出版会設立60周年。その記念として、品切れ期間二十年で
あった『日本政党史論』全7巻を新装復刊した。
2010年8月13日に逝去された著者からは、どんな形でもいいから読者が読める
ようにしてほしい、と希望を出されていたが、オンデマンド本ではなく本式印刷
・本式製本でいくべき「格式ある本」として復刊したいと位置づけられたがため、
かえってその実現は遅れ、逝去後のこととなった。
一周忌の直後の8月18日の暑い日に、今は主なき国分寺市のご自宅にうかがい、
奥様から著者の書き込みの入った全7巻の手沢本をお預かりした。著者による朱
の訂正、朱の疑問、鉛筆の疑問、鉛筆での傍線・・・。文献の追加。句読点の位
置の吟味を含め、著者が何度も何度も読み返し、正確さと分かりやすさとに努め
た様子がひしひしと伝わってくる。
さて、復刊にあたって、著者の遺稿とも言うべき書き込みをどのように扱うか。
著者の教え子の研究者の意見を聞きながら、著者の山のような手書き原稿に挑戦
し、てんこもりのゲラの赤字の判読に苦吟した経験のある私が責任を持ってあた
ることとなった。
著者の書き込みの背後にある著者の意図を、著者の思いに沿って読み込み、訂
正としての採用不採用を慎重に判断するという作業を行い、最終的に印刷所に渡
したのは3カ月後の11月半ば。作業に取り組んでいたとき、升味さんは夢に現れ、
指示する。升味さんが私に憑依した。
同じころ、4カ月かけて400字80枚の愛情のこもった解説を書き上げられた御厨
先生にお会いしたら「解説に取り組んでいる最中に私にも升味さんがのりうつっ
てきましたよ」とおっしゃっていた。
そして、12月15日、『新装版 日本政党史論』全7巻は、八重の汐じお、読者の
海に旅立った。
年はるかなりたぎりたつ八重の汐じお、私は、ゆられゆられてここに漂着した。》
──これは、『日本政党史論』につづいて著した『戦後政治 1945-55』上下、
『現代政治 1955年以後』上下の、後者の「あとがき」の末尾に升味準之輔が記し
た感慨である。刊記は「1985年1月快晴の日」、著者58歳の時。
鮮明に記憶するのは、手書き原稿では「八重の汐じお」ではなく「八重の汐路
を」となっていて、初校の校正刷の段階で先生が朱を入れられたことである。言
葉としては両方ありえるが、柳田國男の話しに想を得た島崎藤村の『椰子の実』
に由来するが故に「八重の汐じお」を選んだのである。『新装版 日本政党史論』
に寄せた解説で、升味の独自の文体について御厨貴は「升味史論体」と命名した
が、その文体が、どこから言葉の水脈(みお)を曳いているかを推測させる、ひ
とつのエピソードであると思う。
昨2011年は東京大学出版会設立60周年。その記念として、品切れ期間二十年で
あった『日本政党史論』全7巻を新装復刊した。
2010年8月13日に逝去された著者からは、どんな形でもいいから読者が読める
ようにしてほしい、と希望を出されていたが、オンデマンド本ではなく本式印刷
・本式製本でいくべき「格式ある本」として復刊したいと位置づけられたがため、
かえってその実現は遅れ、逝去後のこととなった。
一周忌の直後の8月18日の暑い日に、今は主なき国分寺市のご自宅にうかがい、
奥様から著者の書き込みの入った全7巻の手沢本をお預かりした。著者による朱
の訂正、朱の疑問、鉛筆の疑問、鉛筆での傍線・・・。文献の追加。句読点の位
置の吟味を含め、著者が何度も何度も読み返し、正確さと分かりやすさとに努め
た様子がひしひしと伝わってくる。
さて、復刊にあたって、著者の遺稿とも言うべき書き込みをどのように扱うか。
著者の教え子の研究者の意見を聞きながら、著者の山のような手書き原稿に挑戦
し、てんこもりのゲラの赤字の判読に苦吟した経験のある私が責任を持ってあた
ることとなった。
著者の書き込みの背後にある著者の意図を、著者の思いに沿って読み込み、訂
正としての採用不採用を慎重に判断するという作業を行い、最終的に印刷所に渡
したのは3カ月後の11月半ば。作業に取り組んでいたとき、升味さんは夢に現れ、
指示する。升味さんが私に憑依した。
同じころ、4カ月かけて400字80枚の愛情のこもった解説を書き上げられた御厨
先生にお会いしたら「解説に取り組んでいる最中に私にも升味さんがのりうつっ
てきましたよ」とおっしゃっていた。
そして、12月15日、『新装版 日本政党史論』全7巻は、八重の汐じお、読者の
海に旅立った。