小泉信三エッセイ選 1 善を行うに勇なれ
価格:3,080円 (消費税:280円)
ISBN978-4-7664-2383-9 C0095
奥付の初版発行年月:2016年10月 / 発売日:2016年10月下旬
▼歿後50年。
「勇気ある自由人」小泉信三の言葉を再び。
今上天皇の御教育係、戦時の慶應義塾長であった小泉の、日本のモラル・バックボーンとなる数多のエッセイを厳選。「当代の文章家」による、21世紀の今もなお心に響く六十余編。
▼戦後を代表する言論人 小泉信三のエッセイを精選し2巻に編集し刊行。
戦後を代表する言論人であり、今上陛下の御教育掛であった小泉信三は、長谷川如是間や柳田國男から「当代の名文家」と称賛されたエッセイの書き手であった。現在では入手が困難となっている小泉の随筆を、没後50年を機に2巻に集約して刊行する。
「1 善を行うに勇なれ」は、戦前・戦中の苦難の時代の慶應義塾長として、また戦後、日本を代表する言論人として執筆した、数多のモラル・バックボーンとなる文章に加え、東京オリンピック、皇太子殿下(今上天皇)に関わる現代史の証言として価値の高いエッセイ六十余編を収録。
今こそ読まれるべき「勇気ある自由人」小泉信三の言葉の数々。
小泉 信三(コイズミ シンゾウ)
経済学者、教育家。明治21(1888)年、東京三田に生まれる。普通部より慶應義塾に学び、体育会庭球部の選手として活躍。明治43年、慶應義塾大学部政治科を卒業し、慶應義塾の教員となる。大正元(1912)年9月より大正5年3月まで、イギリス・ドイツへ留学。帰国後、大学部教授として経済学、社会思想を講ずる。大正11年より昭和7(1932)年まで庭球部長。昭和8年より昭和22年まで慶應義塾長を務める。昭和24年より東宮御教育参与として皇太子殿下(今上天皇)の御教育にあたる。昭和34年、文化勲章受章。昭和41(1966)年、逝去。著書に『共産主義批判の常識』、『読書論』、『福沢諭吉』など多数あり、歿後には戦死した長男を追悼した『海軍主計大尉小泉信吉』が刊行された。また、『小泉信三全集』(全26巻・別巻1)、『小泉信三伝』等が編纂されている。平成20(2008)年には「生誕120年記念小泉信三展」が慶應義塾大学三田キャンパスで開かれ、多くの来場者を集めた。平成28年に歿後50年を迎えた。
山内 慶太(ヤマウチ ケイタ)
慶應義塾大学看護医療学部・大学院健康マネジメント研究科教授、慶應義塾福澤研究センター所員。博士(医学)。昭和41年生まれ。平成3年、慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾横浜初等部の開設準備室長、部長を歴任。『福澤諭吉著作集』第5巻、『練習は不可能を可能にす』、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』を編集。主な共著書に『福澤諭吉歴史散歩』(以上慶應義塾大学出版会)など。
神吉 創二(カンキ ソウジ)
慶應義塾幼稚舎教諭。庭球三田会常任幹事。昭和45年生まれ。平成4年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主務。著書に『伝記 小泉信三』(慶應義塾大学出版会)。『慶應庭球100年』(慶應庭球100年編集委員会)、『練習は不可能を可能にす』、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』(以上慶應義塾大学出版会)を編集。
都倉 武之(トクラ タケユキ)
慶應義塾福澤研究センター准教授。昭和54年生まれ。平成19年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学専任講師を経て現職。専門は近代日本政治史。『1943年晩秋 最後の早慶戦』(教育評論社)、『父 小泉信三を語る』、『アルバム 小泉信三』(以上慶應義塾大学出版会)を編集。
松永 浩気(マツナガ コウキ)
慶應義塾幼稚舎教諭。慶應義塾高等学校庭球部監督。庭球三田会常任幹事。昭和59年生まれ。平成19年、慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒業。在学時は慶應義塾体育会庭球部主将。大学卒業後は三菱電機ファルコンズと選手契約を結び、プロテニス選手として海外ツアーを転戦。2012年より幼稚舎教諭。
上記内容は本書刊行時のものです。
目次
Ⅰ 我が身辺
小恍惚
人間愛 鳥獣愛
ホビイ
戦時の花
音楽の記憶
年少の友たち
三十分だけ自分の時間を
孤独の時間
読書と文章 ―― 年少学生のために ――
再読の興味
少年文学
燈台守り
スタンドプレイ
フェアプレーのこと
練習
熟練
好きなもの嫌いなもの
Ⅱ 日々の心得
野暮
晴天の友
特攻隊員の渡米留学
冠婚葬祭
電話
親の躾け
正直で律儀な国民 ―― 外遊の教訓から ――
自由と訓練
みんな勇気を
善を行う智
父と子
美澤先生を偲ぶ(抄)
善い言葉
徳教は目より入り、耳より入る
己れの欲せざる所人に施すこと勿れ
夫子ノ道ハ忠恕ノミ
道徳教育と耳と目
吾れかく信ず
期待される人間像
Ⅲ 国を想う
法隆寺金堂の炎焼
愛国心
明治百年
気ままへの阿ねり
寛容と規律
夏目漱石の「私の個人主義」
記者の義務、人間の義務
安易なる野党主義
バスの乗りいそぎ
「貝殻追放」の精神
「貝殻追放」
ペンと剣
再びペンと剣
Ⅳ 学生に与う
大学問題
ヒポクラテスの誓い
婦人とその子の教育 ―― 特に塾生幼稚舎生の母姉に寄す ――
和田義郎氏の風格
幼稚舎創立九十周年記念式祝辞 ―― 昭和三十九年五月十五日 ――
わが願望
塾長訓示
塾の徽章 ―― 塾生への講話
卒業生諸君を送る
塾生諸君に告ぐ
大東亜戦争体験記録集『パゴダに祈る』序
Ⅴ 万年の春
メッセージ
美しい国土
世界は一つ
東京五輪の自信と教訓
この頃の皇太子殿下
正田美智子嬢
お二人だけの時間を
編者あとがき(神吉創二)