建築と私
価格:3,190円 (消費税:290円)
ISBN978-4-87698-424-4(4-87698-424-7) C0052
奥付の初版発行年月:2001年08月 / 発売日:2001年07月下旬
「建築は与条件やプログラム,機能から出来上がっている.したがって,そこに建築家個人の個性を登場させることは難しい」ーー建築教育の場で語られるこうした言説は果たしてどこまで本当なのか? 若い世代に,近代の殻を破る積極的な仕事を期待して,日本を代表する建築家5人が,自らの作品を通し建築における様々な自己表現の形を示す.
目次
円環の強度――序にかえて ✎ 高松 伸
1 「私」が結びつけるもの ✎ 山本理顕
お前はどこにいるのか?
「私」を消しつつ、それでも残る「私」
業界内の「私」でいいのか?
「私」を昇華させる言語を持つ
人々の参加によって「私」の可能性を広げる
建築の空間がプログラムを刺激していくことも
情報化時代には「建築」は不要か?
「私」が消えていくとき
「透明」である意味
集合住宅を開放的につくる
「二つの評価」を結びつける「私」という主体
2 最近の自作と私 ✎ 石田敏明
どのように「場」を規定するか
建築をめぐる場所と固有性
二二のプロジェクト
床を基本にした〈Aプロジェクト〉と〈富士裾野の山荘〉
生活のスタイルと建築
モノと人の流れを重視した〈有明フェリー長洲港ターミナル〉
「環境連続体」としての建築
都市環境の再生を担う〈小鮒ネーム刺繍店〉
地形を建築化した〈カフェテラス フリーメン〉
〈KUSハウス〉と空間の距離
市民に開かれた場所をめざした〈印西消防署牧ノ原分署〉
3 ルイス・カーンと私 ✎ 内藤 廣
建築をやめようかと思いつつペンシルヴァニアへ
大変身したカーンの〈エシェリック邸〉に出合って
イゲーラスの門をたたき、「旅」をつづけた二〇代
観念ではなくモノについて語ろう
アメリカの建築はカーンで終わった
カーンは凍りついた時間を発明、私たちは……
自己主張を始めたシャフト
キッチンに泣いた〈エシェリック邸〉
見ていて飽きない〈ブリティッシュ・アート・センター〉
人を瞑想的にさせる〈ソーク・インスティテュート〉
砂漠でオアシスに出合う気分の〈キンベル美術館〉
モノは時代を超えていく
その場所に行かなければ始まらない
4 ミース・ファン・デル・ローエと私 ✎ 赤坂喜顕
一 序章
1 はじめに
2 プロローグ ―― ミースとカーン
二 ヨーロッパの夢 ―― 一九二一-一九三七
1 ふたつのスカイスクレーパー
2 シュトゥットガルトの丘
3 〈ル・コルビュジェ棟〉
4 〈ガルシェの家〉
5 〈バルセロナパビリオン〉
6 〈テューゲントハット邸〉
7 〈ガルシェの家〉と〈テューゲントハット邸〉
8 〈ミューラー邸〉
三 アメリカの現実 ―― 一九三八-一九六八
1 〈ファンズワース邸〉
2 アメリカにおける第一の型
3 アメリカにおける第二の型
4 アメリカにおける第三の型
5 シンケルとジョンソン
6 〈ガラスの家〉と〈テューゲントハット邸〉
7 エピローグ ―― ミース・ファン・デル・ローエと私
5 オブジェクトと私 ✎ 隈 研吾
オブジェクト作りにとりつかれた二〇世紀
カオスによるオブジェクトの解体は成功したか
地上的視点とメタレベルの視点で世界につながる
海と自分との関係性をデザインしたい
シークエンスとして出現したベネチア・ビエンナーレ〈日本館〉
写真家泣かせの〈北上川運河交流館〉
頼りないもののあり方にも魅力
広重にならって形の無いものを表現した〈馬頭町広重美術館〉
リアルスペースとサイバースペースに境界はない
「反オブジェクト」のこれから