東南アジアの大学出版部(下)
―開発をになうその学術出版―

箕輪 成男

  マレーシア

大学教科書 広義の学術書の中で大学教科書は、マレーシアにとって緊急性をもっている。デワン・バハサを中心に国内原稿によるもの982点、翻訳によるもの304点、計1286点の大学教科書が1990年5月までに出版されたが教科書の不足はまだ深刻であり、往々にして英文の書籍を使わざるを得ない。英文の大学教科書は英米の教科書のリプリント版で、マレーシアで印刷されるものもあるが、香港・シンガポール製を輸入したものの方が圧倒的に多い。マレーシア国内で出版されるリプリント版大学教科書の最大の出版社は、オックスフォード大学出版局マレーシア支社で、一社で年間300点以上を出版、推定2000万リンギ(10億円)を売っている。大学教科書全体としては、国語によるもの45万冊、英語リプリント60万冊、計105万冊、3150万リンギ(17億円)の大きな市場を形成していることになる。教科書は一冊平均30リンギ(1500円)もする。これは所得から言って日本の学生が教科書を1冊1万5000円支払って買うのに相当する。

学術書 マレーシアの学術書出版社の数は極めて少ない。7つの大学出版部とMARA技術大学、4つの研究所、それにデワン・バハサの13の学術出版社が、マレーシア学術出版委員会(PEPET)を結成して情報交換、協力活動を行っており、これらが主たる学術出版機関と見てよい。1992年8月に、国民大学出版部によって準備された基本資料によると、1990年にマレーシアで出版された学術書(大学テキストをふくむ)は次の通りである。

  大学出版部………………120点
  デワン・バハサ………… 225点
  一般出版社……………… 10点
  学協会…………………… 10点
  学術雑誌………………… 75点(延号数)
  大学教員の自己出版…… 10点
    合計…………………450点
  このうちデワン・バハサの225点は、すべて国語による大学教科書の出版であり、雑誌は書籍と切り離して扱うとすれば、大学教科書を除く学術書は150点となる。これらの学術書はマレー語と英語で出版されているが、政策的にはマレー語出版に重点があり、マレー語による参考文献の充実が意図されている。一例として国民大学出版部の場合、年間出版点数は20点ほどで、重版が五点くらい出版される年もある。平均印刷部数は500〜2000部で、定価は平均25リンギである。このほかに雑誌を年に延べ20点発行している。1990年における学術出版社の規模を示す職員数はつぎの通りである。

  デワン・バハサ………263人
  国民大学出版部……… 11人
  マラヤ大学出版部…… 27人
  科学大学出版部…………7人
  農業大学出版部…………6人
  技術大学出版部…………4人
  MARA技術大学……… 18人
  学術出版委員会…………5人
    合計……………341人
  学術書の発行部数は少ないから売上総額は275万リンギ(約1.5億円)にすぎず、経済的には大きな影響力を持っていない。

大学出版部 マレーシアを代表するマラヤ大学の出版部は、この若い国では最も古い歴史をもつ大学出版部である。1954年から1969年まではオックスフォード大学出版部のマレー支局の協力の下に編集・製作・販売を行っていたもので、1974年には完全独立して機能しはじめた。
 永い間、学長として君臨したウンク・アジズ先生は知日家として有名だが、大変多才な人で出版部に大変深い関心をもち、大いに力を尽くされた。先生の直接支配のおかげで出版部の発展があったと同時に、フィリピンのところで書いたように、出版部におけるプロ意識の成立を阻害した面もあったのではないかと思う。現在の部長イシャク氏は本来学者であったが、いまでは出版部長に徹している。ただしメディア学科の講師を兼ねている。
 マラヤ大学出版部は1996年に重版をふくめて22点出版し、その半数以上が新刊である。26人の職員のうち編集は4人で残りは印刷・製本・製版・植字・販売等で、半分は制作関係という。ここでも出版部は印刷所を持ち、その手間賃稼ぎの利益が出版に使われている。この出版部は多年独立採算でやってきたが、過去2年はじめて大学から、9.6万リンギ、16万リンギをそれぞれ補助金として受け取った。この出版部もまた全学へのサービス機関として、全学問分野の本を出し、小説まで出して総合出版社の形になっている。大学教科書は国語のものはデワン・バハサが出し、英文のリプリントはオックスフォードなどが出し、あとは輸入の廉価版であるので、当出版部としては出版していない。参考書、とくに書誌が多く、刊行書のほとんどが英語で出版されている。出版部数は500ないし1000部で、メーリングリストによりDM宣伝で売る。アメリカ市場に対してはハワイ大学出版部が販売代理店をつとめている。英文の雑誌も出しているが、売れるのはアジア諸国のみである。これまでのベストセラーは刑事法律書で、警察や軍隊にまで売れたから4000〜5000部も出た。停年後もマレーシアに留るイギリス人がフリーランスの編集をやってくれるので、編集の質は高い。
 一方年に30〜40点の新重版をほとんど95%まで国語で出版しているマレーシア国民大学の出版部は、年に36万リンギの財政補助を受けている。国語出版に対する政府の積極推進姿勢から、継続的に与えられてきたこの補助金によって国民大学出版部は投下資金の回収をあまり気にせずに次々と出版できたらしい。ここには印刷所はなく、出版活動だけで10人ほどの職員構成である。
 マレーシアの大学出版部としては以上2出版部のほか、活発な順に技術大学出版部、農業大学出版部、科学大学出版部があり、いずれも年間10点以上を出版している。そのほかにクタの北部大学、イスラム大学の出版部があり、以上7大学出版部でマレーシア大学出版部協会を作っている(正式名称は英語でMalaysian Council of University Publisher 略称MABIM)。マレーシアの大学出版部は全般的に質の高い仕事をまじめに行っており、社会的に尊敬されている。国民大学出版部長のハスロム・ハロン氏がマレーシア書籍出版協会の会長に選ばれているのは、その現れといえるだろう。

  インドネシア

大学教科書 インドネシアの広義の学術出版には大学教科書、ビジネス専門書、コンピュータ本、それに狭義の研究発表としてのモノグラフという四つの領域がある。このうちビジネス書、コンピュータ本はいずれも概論概説や入門書、手引書で、教科書に他ならない。
 インドネシアの出版活動は極端に学校教科書に偏っている。全出版生産量の四分の三(74%)が学校教科書である。残りの四分の一の中で、また相当部分が大学教科書であって、一般的な読書のための出版が極めて限られていることを示している。インドネシアの人々にとってリテラシーよりもオーラリティ(口頭の伝達)の方にコミュニケーションの重点があるやに見える。そうした全般的状況の中で、大学教科書は多くの出版社によって手がけられている。例えばインドネシア書籍出版協会会長のウスマン氏の所有するロスダ出版社は一九九五年に教育分野で10点、コミュニケーション分野で4点の大学教科書を出版し、一定の専門領域への特化を示している。ロスダ社はこれらの教科書を2500ないし5000冊出版し、定価は頁当たり2円(40ルピア)だが、所得対比では頁50円に相当するから大変高い。
 コンピュータ本の翻訳出版で急速に発展したのは、デイナスチンド出版社である。創業10年にすぎないがコンピュータ本350点、ビジネス、経営書50点の既刊本をもち、現在のペースは新重版ふくめて月に10点、年に100〜120点を予定している。一点3000〜5000部を販売するのに1年かかる。社員36人の半分18人はマーケティング関係である。ビジネス・経営書がブームを呼んでいるのは、いうまでもなくインドネシア経済の発展を反映するもので、その多くはアメリカ本の翻訳である。

学術書 大学レベルの教育を急激に大拡張したものの若い国インドネシアにとって、研究レベルでの蓄積はまだこれからである。筆者が行った最近の調査で、アンケートに答えた138社のうち、学術書を主体とするものが24社あり、その他の出版社もふくめて学術書新刊点数は523点であった。しかしそのほとんどが大学教科書やコンピュータ本、ビジネス経営書で、狭義の学術書は極く少数に留まるものと推定される。一次情報的な研究発表はほとんどが学術雑誌に発表され、少数のシンポジウムのプロシーディングスなどを除き書籍の形となることはないのである。
 インドネシアの学術出版機関としてユニークな存在にLP3ESがある。この名称は経済の3つのP(インドネシア語で研究・教育・情報の頭文字がいずれもP)のための協会、すなわち社会・経済問題に関する研究・教育・情報センターを意味している。1971年に設立されたこの協会は研究・教育から図書館サービスまで、手びろい活動を展開しているが、その重要な任務のひとつが出版である。
 LP3ESはインドネシアにおける社会科学の学術書、平易な専門書、大学教科書のパイオニア的出版社として評価されている。オリジナルのほか翻訳書も出している。
 LP3ESはまた権威ある雑誌「Prisma」(月刊インドネシア語誌および季刊英語誌)を出版している。本誌はインドネシアの開発問題に関する知的フォーラムを提供している。出版部門のスタッフは20人ないし25人ほどで、これまで20年間に約200点出版してきた。LP3ESの事業資金は国際財団の援助、政府補助金および事業収入でまかなっている。過去5年テレビの影響で販売部数が減少している。インドネシア国民は読書習慣に乏しく、オーラル/ビジュアルな情報を好むようで、80年代半ばまでは5000部以上刷っていたが、今では1500〜3000部しか刷れない。それでも多年培ってきた信頼のおかげで、固定読者が多く、700部はスタンディングオーダーで出ていくという。

大学出版部 インドネシアには6つの大学出版部がある。いずれも歴史が新しい中で、最も早く設立されたのが1969年のインドネシア大学出版部であり、その他の5出版部はいずれも1971年末に活動を開始している。ハサスディン大学、セマラン教育大学、バンドン工科大学、エアランガ大学、それにガジャ・マダ大学の出版部である。これら5大学出版部はいずれもオランダ政府の援助によって設立され、インドネシア大学出版部はフォード財団寄贈の建物と印刷機によって活動を開始したのである。筆者が訪問した1974年には、インドネシア大学出版部には新式の印刷機が、電気の供給がないため未使用のまま放置されていたが、いまではフル稼働でその収益が出版部の財源となっている。出版部の職員は50人(印刷25人、出版25人)、職員は多すぎるが政府の雇用政策で雇わされており、製本の単純作業さえ機械化出来ない。95年の新刊点数は36点、重版50点、大学教科書が多く単行本もある。2000部を印刷し二年で売切るのが目標。出版部は独立採算で運営され、大学からの援助はとくにはない。雑誌は二年前に手がけたが資金不足で現在はストップしている。印刷、出版からの粗利益年間六千万ルピアが予算規模で、これで職員の人件費、事務所の経費、運営費を支出している。出版部長のレゴオ氏は経済学部教授(統計学)である。

 以上見てきた三つの国の大学出版部はいずれも歴史が浅く業績も限られているが、未来への展望は明るいものがある。何と言っても目標が明確だ。昨秋以来の経済危機で各国とも環境は厳しいが、その真摯な努力は必ずや解決の途を切拓くだろう。21世紀の大学出版部活動の力強い突破口が、これら東南アジア諸国の大学出版部によって切拓かれるようにおもわれてならない。
(神奈川大学教授・大学出版部協会顧問)


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