歩く・見る・聞く――知のネットワーク
大きな頭は地元っ子のシンボル
―東京大仏を訪ねて―
中村 知広
大学を卒業するまで実家のある板橋区某所に住んでいた。そして卒業を機に、職場に近い多摩地区で一人暮らしを始めた。早いもので、もう5年目になる。最近、出身地を聞かれると、よく思いうかぶものがある。実家に住んでいたときにはたいして気にしなかったものだが……。それは何かというと、「東京大仏」のことである。
池袋駅から東武東上線に乗り成増駅で下車、歩くこと15分。東京大仏は緑豊かな板橋赤塚の地、赤塚山(せきちょうざん)乗蓮寺にある。
このあたりは、板橋区の中でもとりわけ多くの緑が残っている地域で、近隣には区の郷土資料館、美術館、植物園などの文化施設が揃っている。休日を一日満喫することも十分可能だ。また、近くには溜池公園という子供にとって絶好の釣り場もある。小学生の頃は、餌の赤虫を手に友だちと毎日のように通い、その成果を競った。釣りに飽きると池の裏山にある木にみんなでよく登った(正確には山ではなく、赤塚城跡のこと)。この山には木や草がよく繁っていた。私たちはしょっちゅう道なき道を突き進んでみたり、かくれんぼをしたりした(その後サバイバルゲームがブームとなり、この山には中学を卒業するまでお世話になった)。山の向こう側には畑があった。その奥には民家があったように記憶するが、林があって薄暗く、足を踏み入れるのが怖かったのもあって、何があるかを私と友だちは誰も知らなかった。ある時、釣りに飽きてきて私と友だちはいつものように山に登った。そして、ついにみんなの好奇心が恐怖を上まわり、まだ誰も行ったことのない山の向こう側に何があるのか確かめることになった。みんなで畑を越え、おそるおそる山の向こう側にいってみた。すると、いきなり目の前に大仏のでかい頭が現れた。東京大仏を見るのはその時が初めてというわけではなかったのだが、そのとき受けた迫力は、後に見ることになる奈良、鎌倉のときのそれよりもはるかに大きなものだった。きっとこのときだろう、東京大仏の姿と、大きさが、脳裡に焼き付いたのは。
子供のとき、その大きさに圧倒された東京大仏だが、実際にはどれだけ大きかったのか。簡単なデータをあげておこう。
東京大仏
材質 青銅製
重量 32トン
座高 8.2メートル (うち頭部3メートル)
蓮台 2.3メートル
基壇 地上2メートル、 地下1メートル
東京大仏は、昭和49年、赤塚山住職、23世正譽隆道が88歳にて発願。3年の歳月と延べ3500人の手によって昭和52年4月に完成した。奈良、鎌倉に次ぐ大きさであり、日本三大仏の一つとされている。
赤塚山乗蓮寺のある板橋区は東京23区の北西部に位置し、かつては中山道板橋宿として栄えた。この赤塚山乗蓮寺は将軍家鷹狩りの際の休息所として、幕府から厚く保護された。今でも将軍お食事用の三ツ葉葵高蒔絵の膳が寺宝として残されている。また、境内には大仏の他にも、浅井、織田、豊臣に仕え、最後は伊勢・伊賀32万4000石の大名になった藤堂高虎公にまつわる石像をはじめ、いろいろな像があり、とてもありがたい気持ちになることができる。
この数ある石像の中で私の一番のお気に入りは、どんな苦しみもがまんする鬼、その名も「がまんの鬼」だ。この鬼の表情を見ていると多少の苦しみはがまんしようという気になってしまう。とても不思議な像だ。
いつもは静かな境内も、お正月には地元の初詣客で大変な賑わいを見せる。東京大仏にはいつまでも板橋っ子のシンボルであってほしい。(元・中央大学出版部)
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