読書の周辺

『イギリスの地方政府』を考える

大塚 祚保


 私は,1996年4月から1年間,イギリスのエセックス大学に留学した。イギリスの地方行政,カウンシルの実態を研究するためであった。最近,その成果を『イギリスの地方政府』(流通経済大学出版会刊)として公刊した。
 イギリスへの留学が決まり,幾つかの文献を捜してみたが,地方団体,カウンシルの運営実態について書かれたものは,ほとんど見当たらない。イギリスに関する書物は,海外旅行ブームなどの国際化の時代でもあり,数多く出版されているが,特定の専門分野となると,そう多いものではない。行政に関するものは,サッチャー政権による行政改革に関連した数冊があげられるのみである。
 前年度に留学した国士舘大学の下條美智彦教授は,『イギリスの行政』(早稲田大学出版部)を刊行した。帰国と同時に出版されたので,その速さに驚きと敬意を表したものである。その内容は,現代イギリスの行政について,国と地方との関係を中心に行政学的アプローチからとりまとめたものであった。「地方」の内容については,大いに参考とさせてもらった次第である。
 『イギリスの地方政府』のねらいの一つは同教授の「地方」の部分をより詳細に分析し,イギリスにおける運営実態を明らかにすることであった。そこで,本書の主なる内容は,イギリスのカウンシルであるカウンティ(County)とディストリクト(District)とパリッシュ(Parish)の三層制の地方団体について,(1)カウンシルの現況,(2)カウンシルのしくみ,(3)行政サービスの内容を分析し,とりまとめたものである。これは,日本の都道府県,市町村レベルの行政運営の実態に照準をあてたことになろう。
 なお,本書の「地方政府」の名称は,下條教授の示唆によるものである。
 以下,同書をまとめるにあたって,考えたこと,明らかとなったことのいくつかをご紹介してみたい。

 日本とイギリスの地方自治制度を比較すると,次の表のような三つの特色がある。一つは中央・地方関係であり,二つは,多様性であり,三つは,カウンシルの内容である。



(1)中央・地方関係をみると,イギリスの地方団体は,Local governmentという。Localにおけるgovernment=政府なのである。日本の場合,国と地方は連動しており,地方団体にgovernmentという考え方はない。
 現代イギリスの地方団体は,中央政府による統制が強く,国会および法律による支配が前提とされる。日本の場合,包括的・官治的統制による支配が強いが,他方では,地方団体による裁量の範囲がより大きいといわれる。
(2)地方団体のもつ多様性は,イギリスの場合,四つの地域毎に異なるしくみをもっていた。現在では,サッチャー政権による改革以来,イングランド以外の地域では,ディストリクト(市)だけの一層制である。イングランドでは,大都市圏におけるディストリクトだけの一層制であるのに対して,非大都市圏では,カウンティ(県)とディストリクト(市)の二層制である。地方団体は地域毎に,一層制と二層制による多様性をもっているのである。日本の場合,都道府県と市町村の二層制という画一的な制度である。
(3)イギリスのカウンシル(Council)は,議決機関であると同時に執行機関であり,その概念の中には,議決機能と執行機能が一体化して含まれている。議員(Councilor)をメンバーとするカウンシルは,その統括の下にスタッフ組織(Administrative Staff)をもち,双方は一体化している。これは,カウンシルの伝統的な理念型である。日本の場合,議決機関である議会と執行機関である首長組織(市長部局組織)とは,二元的に独立した機関である。
 なお,イギリスのカウンシルの実態は,日本と同様に,議会と執行機関とが分離独立し,執行機関がより強力になるリーダーシップをとりつつある。
 日本の市長は,住民による直接選挙制であるが,イギリスのチーフ・イグゼキュティブは,カウンシルによる任命制である。イギリスの市長(Mayor)は,カウンシルの議長が兼務しており,歴史上の名誉職としての名称である。
 イギリスと日本の地方団体は,以上のような異なった制度をもっている。

 現代イギリスの地方制度は,抜本的な行政改革(Local Government Review)が行われている。
 サッチャー政権は,その強引な立法化によって,ロンドンおよび六大都市圏のカウンティを廃止し,一層制の地方制度を実施した。ロンドンでは,1986年にGreater London Councilが廃止され,32のバラ・カウンシルとザ・シティの33団体による一層制が誕生した。これは日本でいうと,東京都を廃止し,その事務のほとんどを23特別区に移譲した一層制としたものである。六大都市圏では,六のカウンティが廃止され,36ディストリクトによる一層制が実施された。
 サッチャーの行政改革のねらいは,労働党の支持基盤であったカウンティを廃止し,保守政権を維持するという政治的動機であったといわれる。
 1990年11月に誕生したメジャー政権は,サッチャーによる一層制システムの推進を継承した。98年4月までに,カウンシルは,次の表のように変革された。



 スコットランド,ウェールズ,北アイルランドの地域は,96年以来,すべてを一層制の地方制度に移行した。残るは,イングランドの非大都市圏だけであり,94年以来,5つのカウンティと58のディストリクトが廃止された。他方では,これらのカウンティに,46の新しいユニタリー(統一団体)が新設された。
 こうした行政改革は,地方政府委員会(Local Government Commission for England)の設置によって進められた。その方法は,委員会とカウンティとのレポートの交換によって進められたもので,きわめて民主的なプロセスであったといえる。他方では,改革の方針が変わったり,決定が遅れたり,文書合戦が行われたりという状況で,カオスであったという意見もある。
 行政改革の困難性であろうか。いずれにしろ,現代のイギリス地方制度は,一層制による地方制度へと移行しつつある過渡期の状況にあると考えられる。97年5月に誕生したブレア労働党政権の方針によっては,新たな方向へと推移する可能性をはらんでいる。
 (1)カウンシル(Council)
 イギリスの地方団体は,カウンシルという。日本では,Councilを議会と翻訳しているが,しかし,イギリスのカウンシルと日本の議会とでは,次のように異なっているのである。
 イギリスのカウンシルは,住民から直接選出された議員(Councilor)を中核とする組織である。議員はFull Councilを構成するが,それを支えるのは,行政スタッフ(Administrative Staff)である。行政スタッフ(職員)の長には,Chief ExecutiveがFull Councilから任命される。カウンシルは,議員組織(議決機関)と行政スタッフ(執行機関)との双方を統合した総合的機関である。
 日本の場合,議会は,住民から選出された議員が構成する議決機関である。市長(又は知事)を長とする行政スタッフ組織は,行政サービスを提供する執行機関である。双方の機関は,二元的に独立した機関であり,チェック・アンド・バランスの関係にある。
 要するに,イギリスのカウンシルと日本の議会とは,理念や範囲が異なるのであり,別の機関である。かくして,カウンシル=議会は,厳密には正しい翻訳とはいえないこととなる。
 (2)議長・市長
 イギリスの議会は,議員(Councillor)が自由に議論し,政策を審議決定する場所である。その議長はChairmanであり,Mayor(市長)を兼務する(別人の場合もある)。したがって,市長はFullCouncilの長をさす。このことから,二つのことがいえる。
 一つは,Chairmanは女性の議長が誕生して以来,Chair-personまたはChairといわれている。男性の場合,従来のChairmanを使うこともある。英語も時代とともに推移しているのである。
 二つは,Mayor=市長である。イギリスの議長はメイヤーを兼務している場合が多く,したがって,議長と考えてよい。日本での市長は,住民から直接選挙された執行機関の長であり,大統領制をとっている。イギリスで,日本の市長に相当する職務をもつ人物は,ChiefExecutiveである。しかし,チーフ・イグゼキュティブは,カウンシルから任命されるので,むしろ,アメリカ型のシテイ・マネージャーに近いと考えられる。
イギリスのメイヤーと日本の市長とは,このように異なっているのである。したがって,Mayorを市長と訳すのは,厳密には,正しいものではない。そもそもイギリスのメイヤーは,次にみるような歴史上の名称である。
 (3)バラ(特別自治市)
 イギリスのバラ(Borough)は,国王からチャーター(憲章)の授与によって与えられた特権をもつ特別自治市である。その歴史は,11〜12世紀に発生したものであり,たとえば,コルチェスターでは,1189年にリチャードI世からチャーターが与えられている。
 その特権は,都市が王軍の被護の下に外敵から保護される権利であり,市民はその代償として,毎年40ポンドの年貢を支払うものである。その内容は,次の項目である。
 1.二人の執行吏員の選出
 2.法廷の開催
 3.コールン川と漁業権の管理
 4.王の森林法の免除(王の森でキツネ,野ウサギ,イタチなどの狩りをする権利)
 5.市場の保護
 6.タウン市民の法廷からの除外
 7.商人の港での税金の免除
 1635年のチャーターでは,二人の吏員の代わりに市長(Mayor)を任命することが認められ,以後,今日まで継続している。したがって,市長職は,バラ以外のディストリクトには,現在でも不在である。市長(メイヤー)の名称は,こうした歴史上に由来して生まれたものであり,「First Citizen」といわれる名誉職でもある。
 (4)教会(Church)
 中世のイギリスでは,教会(Church)が街の中心に位置していた。教会は,現代の市役所,税務署,福祉事務所,警察署,教会などのすべての行政機能をもつ集権的な施設であった。教会は,税金,出生簿,埋葬簿,寄付金,献金などのすべての重要物を集約して所有していたのである。この教会を支えていたのが,パリッシュ(Parish)=教区であり,地域を代表する教区委員であった。
 近代に至って,教会から市役所,税務署,警察署などの機能が分離独立し,教会は,本来の宗教活動を中心とする施設へと推移してきたものである。
 (5)市役所(TownHall)
 近代の都市では,教会に代わって市役所が街の中心的施設である。タウン・ホールは,Councilのある場所であり,市民の代表者であるCouncillorが集まる場所である。議会制民主主義の国,イギリスでは,タウン・ホールは,市民にとって神聖な街のシンボルである。
 イギリスと日本の地方制度には,以上のような相異点が見出せる。その典型は,Local Government=地方政府を地方自治とする日本での把え方にある。
(流通経済大学教授)


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