岐路に立つ大学出版部
―1998年度アメリカ大学出版部協会総会(AAUP)に参加して―

渡辺 勲

 1 「学術出版」という看板の重さ

 財団法人日本生命財団から大学出版部協会加盟出版部の学術書に対する「刊行助成」制度が発足して,今年で20年になる。この間,この制度によって刊行を果たすことが出来た学術書は204点,助成総額は5億484万円である。私はここで,日生助成制度の紹介や,それに係わる問題を分析しようとしている訳ではない。わが協会総体の,年間733点に及ぶ出版成果(1997年1〜12月)の中にあって,この制度による出版物こそは学術書の名に値する「質」を持っていると確信し,「学術出版」検討の手掛かりとして,その対象に取り上げたのである。
 実は毎年9月,私たちには,日生財団に対する本助成制度刊行物の過去三期分の「売上報告」が義務付けられている。今年の該当出版物は二九点だったが(助成総額8913万円),それを(1)頁数(A5判に換算),(2)本体価格,(3)印刷部数,(4)売却数(一年間に換算),(5)助成金,ごとに集計し,平均化に馴染まない5点の出版物を除き,それぞれの平均値を出してみたのである。そして次のような結果を得た(集計や換算・平均化の手順については紙幅の関係で省略せざるを得ない)。――(1)A5判・四三二頁,(2)8421円,(3)821部,(4)431部,(5)243万円。
 この,大学出版部にとって典型的といってよい学術書の経済性は,如何なものだろうか。出来るだけ単純化して考えてみよう。まず直接原価(人件費も編集費も販売宣伝費も何も含まない)を40%として,この本の原価総額を算出すると,(2)×0.4×(3)から276万5456円となる。刊行1年後の売上額(回収額)は正味70%で計算すると,(2)×0.7×(4)だから,254万616円である。初年度売却率は(4)÷(3)=52.5%,売れ残った390部はまず10年近くは在庫せざるを得ないだろう。この本は(出版すべきと判断されたこの学術書は),間違いなく(5)によって辛うじてその経済性を保っている,この本にとって(5)の存在は決定的なのだ。これが,「学術出版」の極め付けの現実である,と言うことが出来るだろう。
 皮肉な見方もしてみよう。では,もし(5)の当てがなかったら,この学術書は日の目を見ないことになるのだろうか。いや「学術出版」の看板を掲げた大学出版部には,それが許されるのだろうか。金の手当てがつかないから(出版すべきと判断した学術書であっても)出版が出来ないでは,商業出版と同じではないのか。さあどうする。大学出版部は「学術出版」の看板を下ろした方が楽になれるのではないか。

 2 アメリカの大学出版部は変わりつつある

 ここに,私たち大学出版人が,かつて「聖書」のごとくに読み込んだ,G・R・ホウズ『大学出版部』(箕輪成男訳,1969年)の有名な一節を引用してみよう。

 「われわれは最大のコストをかけて最少部数の本を出版する。そしてわれわれは,それに最高の定価をつけ,最低の購買力しかない人々に売ろうとしている。全く正気の沙汰ではない。」(同書,4頁)

 これは,イエール大学出版局長チェスター・カーが,1950年代の大学出版部について語った言葉である。彼の狙いは,大学出版部には母体大学の財政的支援と出版助成金が不可欠であることを強調することにあったが,のちにカーは1960年代後半においても,このことは本質的には変わっていないと述べた上で,「総長その他大学の指導者たちからの支持によってはじめて,急増する(学術出版にたいする)需要に対応して(大学出版部は)膨張することができた」と,その「成長」の秘密を語ったのである。それから30年という歳月が流れた。日本の大学出版部は,先の「日生型」を学術書の一つの典型であると考えてよいとすれば,いまだに,アメリカの「30年前の現実」の中にとどまっている,と言うことが出来るのかも知れない。アメリカの大学出版部はと言えば,明らかに,このような「段階」を越えつつある(越えてしまった),と私には思われる。それは,ハッキリしていることだけに限っても,二つの道筋を通してである。もちろんここで断っておかねばならないのは,一口にアメリカの大学出版部と言っても,協会加盟出版部は100を越えており,規模,出版内容,母体大学との関係のあり方等,極めて多様であり一般化することは,実は不可能(日本の現実も同様だが),ということである。にもかかわらず私が「アメリカの大学出版部は」という言い方をするのは,そのことが,最近のアメリカ出版界における大学出版部を特徴付けることとして,しばしば引き合いに出されるからであり,私の今回の「AAUP総会参加と大学出版部事情視察の旅」においても,際立った印象として残っているからである。
 さて,話をもとに戻そう。二つの道筋の一つは,大学出版部の母体大学からの「自立」と「売れる学術書・一般書」への転換である。多分この二つのことは,新しい事態の表裏をなしている,と思われる。母体大学の出版部にたいする「支援」では,その創設の歴史にもかかわらず(大学の研究成果である学術書のみを出版するために大学機構の中に位置付けられたにもかわらず),出版部を十全には支えることが出来なくなった。したがって出版部は稼がざるを得なくなり,そして稼ぎ始めた。より稼げる出版部は,母体大学のしがらみから自由になって「自立」したいと思うようになった。そして,採算の合わない学術書は捨てられていった。大学出版部は「儲かる学術書」の側に立って,依然として学術書の担い手は自分たちだと主張している。しかし「捨てられた学術書」の側から事態を眺めるならば,大学出版部は「普通の出版社」へと変身してしまったのである。これが「クロス・オーバー・パブリッシング」cross over publishing思想の実体であり,採算の合わない学術書を,さまざまな「支援」によって出版することが,唯一の存在理由だったアメリカの大学出版部において,起こっている事態である。
 いま一つの道筋は,テクノロジーの飛躍的進歩が切り開いた,と言えよう。それが「オン・デマンド・パブリッシング」on demand publishingである。従来なら,出版部が大学の支援と補助金を得て可能にしていた博士論文級の「出版」(見込み生産)が,オン・デマンド・パブリッシング(注文生産)にとってかわられつつある,ことである。私は,コロンビアUPで,この現実(25部単位)を実際に見ることになったが,その時の驚きは筆舌に尽くしがたい。
 このように,私がアメリカ「体験」から得たものといえば,詰まるところは,「大学出版部とはどのような存在なのか?」,「学術出版の未来はどうなっていくのか?」という,素朴といえば素朴,根源的といえば最も根源的な,疑問だったのである。

 3 「変化の時代」の大学出版部

 視点を変えて考えてみる。大学は,私たちの母体大学は,自分の大学の名前を冠した出版部のことを(抽象的にも実態的にも)どのような存在として考えているのだろうか,何を期待しているのだろうか。創設間もない大学出版部にあっては,しばしば,特に理念的には明確であったはずの「こと」だが,出版の論理の中で自己運動を始めてそれなりの期間が経過してしまった多くの大学出版部にとって,この「こと」は,必ずしも自明のことではないのではないか。この「こと」を改めて明確にすることが,大学名を冠した出版組織にとって必要なことではないのか。私たちは,母体大学に向かって,「あなた方は私たちのことをどのように考えているのですか,何を期待しているのですか?」と問わねばならない。そして,その返答次第では「私たちにも考えがある!」と開き直れる程度の「自覚」が求められているのではないか。
 こんな乱暴な話を始めたのには理由がある。それは「大学の変化」である,しかも始まったばかりの,これから本格化する「変化」に係わってのことであり,その「変化」と大学出版部との関係である。私たち大学出版部は,どんなに足あ掻がいても,母体大学を前提とした(大学名を冠した)出版組織,という現実から自由にはなれない。とすると,大学が私たちに何を求め,私たちが大学に何を求めるかは,「変化の時代」にあってはとりわけて,重要な意味を持つのではないだろうか。アメリカの大学出版部は,いまこの課題を正面に見据え,そして越えつつある。
 越えるに当たってアメリカの大学出版部は,次のような問題を真剣に議論し始めている。AAUP総会プログラムの一文を引用する。

 「私たちは巨大な技術革新の波の中にあって,書籍販売の面で,また図書館や学生の図書購入方法の点で,多くの変化に曝さらされており,さらに新しい労働の仕組みの必要性と共に,母体大学との関係のあり方にも,変化が生じている。……このような問題意識のもとに私たちは,最新の諸課題〈*エルゴノミックス〉や新人スタッフの教育や,この不安な時代にあっていかにしてお互いにやる気を起こすか,などを取り上げ,議論することになろう。」

 *〈エルゴノミックス〉ergonomicsは,辞書によると「人間の能力に作業環境・機械などを適合させる研究」とのことである。

 アメリカ大学出版部協会の現状は,明らかに日本のそれの数歩は先を歩んでいる。そして彼らが抱え込んでいる問題は多分すべて,私たちにとっての「近未来」である,と思う。彼らの素晴らしい先見性は,問題解決に当たって,「〈エルゴノミックス〉や新人スタッフの教育や,この不安な時代にあっていかにしてお互いにやる気を起こすか」という主体形成の問題と重ね合わせていることだろう。この観点から事態を見るためには,従来型の思考枠組・価値観から離れなければならない。しかし私たちに,それが,出来るだろうか。私たちを乗り越えた「新しい大学出版人」の登場によって,私たちの眼前にある困難な状況は切り開かれて行くはずだが,問題は,それまで,事態の方が「待っていてくれるか」である。そう考えると日本の大学出版部は,いま,重大な岐路に立っていると言えるのではなかろうか。

 4 小さなまとめ

 アメリカの大学出版部の現実に多少ながら触れてみて思うことだが,学ぶべきことや触発されたことは,確かに多かったが,「見習うべきこと」は意外にもなかった,と言うことである。アマゾン・コムに代表されるオンライン・ブック・セールの急成長ぶりやオン・デマンド・パブリッシュの進展など,テクノロジーの発展によって大変化を遂げつつある「アメリカの現実」は,もちろん大変な刺激ではあったが,それらはある意味では私たちにも既に理解可能な状況であり,部分的には私たちの「現実」でもあるからである。「大学出版部の使命とは何か?」の答を求めて呻吟する「旅」に,終わりは来ないのだろうか。
(東京大学出版会常務理事)


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