大学出版部と母体大学との関係
―続・岐路に立つ大学出版部―

渡辺 勲

 1 アメリカ大学出版部協会、10年前の「現実」

 AAUP総会を取材したPublishers Weekly(1988年9月23日号)の掲載記事の紹介から始める。因みに、この年の総会テーマは“A Changing Role”であったが、「大学出版部とは何か?」を考える上で実に興味深い内容、なのだ。はじめに記者は、「各大学出版部の間での合意点が無かったことだけは、今年唯一、意見の一致をみた点だった。現在の大学出版部は目的に向って懸命に邁進している……が、個々の出版部の使命は多様化している。昨年の総会では華々しい議論が交わされ、AAUPや個々の出版部の使命については様々な意見があったが、今年の総会では『AAUPの傘下』を強調しながらも、各々の個性を貫く姿勢が感じられた」と総会の支配的空気に触れ、そして次のように語り始める。
 (1)「1960年代は大学出版部にとって黄金時代だった。ソ連の科学技術の進歩を危惧した連邦政府は、ニューフロンティアと偉大な社会を目指すことと歩調を合わせ補助金を簡単に出した。70年代、ヴェトナム戦争の終結とともに政府の補助金政策も変わった。補助金獲得は大きな問題であり、補助金の削減が出版部の活動や出版内容にどういう影響を及ぼすか不安にかられた時代であった。……80年代後半レーガン政権下の現実路線を背景にした公的補助金の削減、商業出版社の巨大化、大学出版部の世代交替などによって必要となった出版部の財政再建の具体的戦略が今までの伝統的使命感を押し退けている、と見る人は多い。AAUP会長は、自分達の使命は最良の学術書を効率良く出版することにあるとする一方で、学術の概念を拡大し、人間理解に貢献する出版という大学出版部の使命には基本的には変化はない、と主張する。」……「しかし」、
 (2)「大学出版部の役割は変わった。我々の最大の使命は本来、これから50年も生命を保ち続けるような偉大な学術書を出すことであり、第2に5年から10年重要であり続ける本を出版することだが、学問領域の専門化と図書館予算の削減に伴う売上げの減少で、これも難しくなってきている。しかし、商業出版社がどんどん巨大化してきた今、第3の道が開けてきた。学者や研究者以外の知的読者の待っている本がたくさんあるはずだからである。」
 (3)「70年代の財政危機のおかげで大学出版部はビジネスとしての出版に目覚めたが、その改革の一環として企画決定の変化がある。それまでは学術的価値が検討の中心であったが、その後は社会的役割に目を向け始めた。」
 (4)「思いがけないベストセラーで大学出版部は、経済的メリットも受けるし名前を売ることも出来る。しかし、大量部数の一般書の出版には大学出版部の分野でもないのに商業出版の領域に踏み込んで、と非難される以外にもリスクを伴う。インディアナUPは8万部売れた全米バスケット・チャンピオンの本について『これは大きな収入をもたらしたが、これに費やしたエネルギーと時間を思うと落ちつかないものだ』と語り、またカリフォルニアUPの財政部長は、イラスト入りの古典文学書の出版で大成功を収めたことを思い出しながら『これは我々にとって良い体験だったが、経済的負担も大きかった。コストがかかる本で、大学から借金したが発売前に利息を払わされる始末だった。それに書店には通常より低い掛けで卸さねばならなかったし、実質収入は期待した程ではなかった。』」
 (5)「我々は自分自身の意見を持った著者(による『問題の書』)を求めている。……『問題の書』が出版されにくいのは、学問水準を審査するという手続き上の問題と理事会制度のためだ。こういう本はこの審査システムに馴染まない。こういう本の企画を出す編集者は、余程やる気を出して頑張らないと審査段階でボツになるだろう。」
 (6)「全ての大学出版部にとって出版内容の如何を問わず重要な問題は、いかにして補助金を継続的に獲得するかである。60年代末、ワシントンUPの予算の3分の1は大学からの補助金だったが、今はわずかに5%になった。州立大学出版部の幾つかは、大学そのものが財政的危機のため、出版部にまで補助金申請のチャンスが回ってこない。」
 最後に、記者は次のような「まとめ」で記事を終える。「現在、大学出版部は補助金問題などを抱えているが、多様化のうちにも発展している。商業出版の世界が益々巨大化したため、商業出版が出来なくなりつつある著者との緊密かつ継続的接触を大学出版部は保てるのだ。大学出版部の伝統的スタイルを変えようとすることが話題になっているが、これは健康体である証拠だし積極的姿勢でもある。」
 10年前のAAUPの現実を反映している「記事(1)〜(6)」の1つ1つに、私なりのコメントを付すべきであるが、その紙幅がない。いまは、AAUP傘下出版部の苦闘の軌跡を、母体大学・補助金・著者・学問・商業出版等との関係性で考えていると記すにとどめ、AAUP10年後の「現実」を見つめることにしたい。

 2 AAUPの1997年度「経営分析」

 多様性を含み込んだAAUPだが、傘下110出版部の唯一の共通点は「出版部は大学(研究所)機構の一部(内部組織)」ということである。そこが同じく多様とは言いながらも、学校法人・財団法人・株式会社等からなる我々AJUPとは違う。彼らにとっての母体大学は、我々にとって以上に、大事な・重い存在、そして厄介な存在なのだ。コロンビアUPのストラチャン局長が「大学にとって出版部は出来の悪い養子のようなもの、……大学から金を借りることもあるが銀行より金利が高くてね」と語ったことを思い出すが、ハーバード大学本体がマネーゲームに興じて巨額の資金を失ったとの記事(「ハーバード大も大損――7月以降13億ドル」『朝日』98. 10. 26)を引くまでもなく、彼らと我々との「環境差」には注意を怠ってはならない。しかし、大学と出版部とは(たとい大学の一部との位置付けを与えられた出版部でも)、本質的に違う組織であることに彼我の差はない。つまり大学は研究・教育組織であり、出版部は「本」を生産し販売する(出版)組織である。この「出版」が大学の意思に完全に従属し学内需要のみに対応している限りは(それは厳密にはpublishではない)両者の本質的差異は顕在化しないが、読者を求めて学外にはみ出していかざるを得ない「本」の本性は、絶えず両者間の矛盾の顕在化を促迫する。換言すれば、大学「経営」の論理で出版「経営」を取り込むことはもともと不可能であって、出版経営の成長は大学からの自立を必然化する、ということである。
 以上のような認識を前提として、「表」(1997年の現実を反映)を見ていただきたい。これは、AAUP本部が傘下出版部に関する膨大かつ詳細なアンケート調査(回答率55%)分析表のほんの一部だが、大学出版部と母体大学との「一つの関係」を実に見事に表現していると思うのである(「小会の場合」を比較事例として付す)。注意深く見れば分かることだが、大学出版部の「成長・発展」とは、客観的には母体大学からの自立を意味している。裏返せば、それ以前の成長?段階にある出版部は「母体大学の援助」なくしては、少なくともアメリカでは存在し得ない、ということである。「収益事業の一環として出版部を位置付ける」等という発想が母体大学にある筈はないが、出版部を重い荷物と考える傾向は否定出来ないようだ。母体大学にとって大学出版部とは如何なる存在なのか? このことは、我々AJUP傘下の出版部にとっても、我々の将来がかかった大きな問題ではないだろうか。



 3 小さなまとめ

 AJUPは今、少なくとも組織的には発展しつつある。ここ数年でいくつもの出版部を新会員として迎え入れることができたし、さらにいくつかの大学では出版部創設の動きがある、と聞く。しかし一方で、伝統的な加盟出版部からの「存続の危機」の声も耳にする。これらのことは全て、母体大学の変化(余儀なくされたそれであるか、選択した結果であるかはともかく)に起因しているのではないか。大学出版部の個性化と固有の使命を現実化するには、今こそ出版組織らしい自己主張をきっちりと踏まえた、母体大学との新たな関係作りが決定的に重要であると、私は思う。
(東京大学出版会常務理事)



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