歩く・見る・聞く――知のネットワーク16

自動車が文明の象徴であったとき
―トヨタ博物館を訪ねて―

橘 宗吾


 トヨタ(自動車)博物館を訪ねてみた。つまらなかった、と以前なら思ったかもしれない。しかし、昨年来『アメリカン・システムから大量生産へ』と『豊田喜一郎文書集成』という本を作ったこともあって、かなり楽しめた。ここでちょっとその本の宣伝をさせていただくなら、前者は、ハウンシェルというアメリカの学者が、フォードの大量生産システムの形成にいたるプロセスを描き出した技術史の傑作で、後者は、読んで字のごとく、トヨタ自動車の創設者にして(日産の鮎川義介と並んで)日本の自動車産業を創出した豊田喜一郎が書き残した文書を集めたもの。喜一郎は筆まめな人で、様々な機会に、こちらが知りたいと思うような事柄を実によく書き残しておいてくれたのである。
 実はこの『文書集成』の編纂にあたって、打ち合わせのため何度か博物館にも出かけていたのだが、展示物をちゃんと観たのは今回がはじめてなのである。
 博物館を簡単に紹介しておくと、全体は本館とオープンしたばかりの新館からなり、本館の方は、世界と日本の自動車の歴史が一望できるように、新館の方は、日本の、特に戦後の生活文化との関連で自動車が展示されている。
 本館を入るとすぐトヨダAA型自動車が視界に飛び込んでくる。『文書集成』の口絵にもその写真を使った、トヨタにとって記念碑的な第一号乗用車の完成型である。文明の象徴として自動車をとらえ、それを日本人の手で作り上げる(「国民車」)ことに心血を注いだ喜一郎の努力がまずは結晶したものだ。その格闘の跡を垣間見るには、同じトヨタ系の産業技術記念館を訪ねた方がよいのかもしれないが、ともかく、現在から見れば欠陥だらけのこの乗用車を工業製品として生産するには、産業全体を創り出していく途轍もない努力が必要とされたのである(例えば、車体に使う鉄板にしても適当な薄板が国内では手に入らず、結局ボディ用の薄板は輸入することにしたが、特殊鋼については社内に鉄鋼部を設けて自給しようとしている)。喜一郎は、たしかに様々な原価計算を行い、冷静な経営計画を立てたりもするのだが、やはり根本のところで彼を突き動かしていたのが、経済的な合理性などではなかったことが察せられる。そして、この「日本人好み」と言ってよいのかもしれない姿勢に、つい感動してしまいもするのである。
 さて、そのAA型自動車を紹介してくれる美人のお姉さんに別れを告げて、二階に上って行くと、そこには誕生したときから現在にいたる欧米の車が、復元も織り交ぜて順に展示してある。『アメリカン・システム』の本を作ったせいもあって、アメリカ車ばかりが念頭にあったが、当然のことながら英・仏・独・伊など様々な国の、しかも実に美しい自動車がいっぱいである。王族の乗る馬車のようなもの。いわゆる「クラシック・カー」という感じのもの。ギャング映画に出てきそうな車。とにかく今日の日本(的な)車に慣れた眼からすれば、異様に大きい。それから、ありました、フォードT型自動車、大量生産システムの申し子。写真では何度も見ていたが、現物を見るのはこれが初めてだ。先ほどの豪華な馬車のような車からすれば確かに小型で素っ気ないが、それでも私の貧乏性な感覚からすれば十分立派な代物である。このT型車が誕生するまでの曲折に満ちた技術の集積過程と、それが陥った袋小路に思いを馳せたところで、あとは駆け足、3階へと移った。
 上ってすぐのところでまたもや存在を主張しているAA型の横を通りすぎると、フロアーには、日本の自動車の歴史を辿れるよう古いものから順に車が展示してある。ここでは、ダットサン(大衆化した最初の四輪小型自動車)とダイハツ・ミゼット(オート三輪の代表的存在)の小ささに心を捉えるものがあったことを記しておこう。あれこれの車を眺めていくうちに、実は一緒についてきてもらっていた妻が、「これ、私が初めて乗せてもらった車!」と言いだした。スバルの小さな車で、確かにこんな形の車が道を走っていた光景が記憶に蘇ってくる。少年時代へのノスタルジーを少しかき立てられたところで、次は新館へ。
 新館は、先ほども書いた通り、戦後を中心に、車を取り囲む日本の生活文化を代表する品々が、当時の車とともに展示されている。特に60年代、70年代の、家電製品から雑誌(『冒険王』もあった)、おもちゃ(足が短い小型のリカちゃん人形)、レコード(若き日の誰それの顔がある)等々と見ていくと、しばし時間を忘れてしまう。……
 自動車と格闘した喜一郎の軌跡を見てみようと漠然と思って出かけてきたこともあって、すっかり出来上がった自動車の歴史とその配列は、いささかきれいすぎるような気もしたが、それはともかく、結局最も印象に残ったのは、アメリカの車の巨大さと、それをそのまま輸入するのではなく、自前の車を作り上げようとした起業家の、なんとも不可解なようで、その実とても馴染み深い「意志」の姿であった。
(名古屋大学出版会・橘 宗吾)

 トヨタ博物館の詳細は、電話0561-63-5151かホームページ
  http://www.toyota.co.jp/Museum/index-j.html



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