読書の周辺
ビジネス和訳の落とし穴
小林 薫
依然、根が深い誤訳の構造
長年、経営やビジネス研究、とくに国際経営学というジャンルと、国際コミュニケーション研究、なかんずく英語による異文化間のコミュニケーションという分野の両方に携わってきた筆者にとって、英文の著書や論文を邦訳する機会に数多く恵まれた。
米国の社会評論家のバンス・パッカードの『地位を求める人々』“The Status Seekers”を1950年にダイヤモンド社から訳出して以来、この秋、弊学出版部から上梓予定の、スウェーデンの経営コンサルタントであるレナード・ローリンの“Strategic Leadership in the Learning Society”(『知力創造社会――パラダイム転換の中の戦略的リーダーシップ』)に到るまで約60冊の訳書や監訳書を刊行することができた。
また記事の方もアメリカの代表的ビジネス誌の『フォーチュン』や『ビジネスウィーク』誌やイギリスの『エコノミスト』誌からの訳出や、経営学の領域ではナンバーワンといわれる『ハーバード・ビジネス・レビュウ』誌や欧州経営開発協会(efmd)や米国経営推進学会(SAM)などの学会誌から、かなりの論文を日本語に移し換えるチャンスがあった。
さらに、方々からのご依頼でマネジメント関係の翻訳原文のチェックや査読を行ったり、幾つかの翻訳コンクールの審査にも関係した。
というわけでこの40年間の経験を振り返ってみると、日本における英文和訳、とくにビジネスやマネジメント関連の邦訳もかなり量も増え、質も向上したように見えるが、よくよく吟味してみると、残念ながら依然として、とんでもない思い違いや勘違いが意外と多く目につく。また、一見、流麗な訳筆のように思えるが、原文や原意と大きく掛け離れているのに気がつき驚く。
こうした個人としてのささやかな“翻訳史”を背景に、以下、誤訳に引きずり込む2つの落とし穴をまず経験則に照らして述べてみよう。
落とし穴・その1 真摯さの欠如〜湾頭に吼ゆる獅子〜
明治の昔から、邦訳は、外国の文化・芸術・技術を伝える大事な用具であったが、それに携わる人々は、かつては今よりもずっと真剣に取り組んでいたように思える。
有名な話としては、a lion at bayという表現を「湾頭に吼ゆる獅子」と、いかにも文学的に格調高く訳したところ、これは大間違いであり、このbayは湾ではなくて猟犬などによって追い詰められた状態を指すので、正しくは「追い詰められた獅子」、あるいは「窮地に立つ獅子」の意であることを刊行後指摘されて自らの生命を絶った翻訳者の話が伝わっている。
そこまで厳しくしなくても、かつて山村暮鳥がボードレールの訳詩集を英訳版から翻訳した時、英語のtime pieces(本来は「計時器=時計の複数」)を、「時、粉々に砕けて…」とこれまた大仰に訳したところ、その誤りを発見され、いたく恥じた彼は「爾来、一切訳筆を絶つ」と宣言した逸話も伝わっている。
これほどまで真剣に受け止めなくても、もう少し、真面目に取り組む態度が欲しいと思われるケースに多々お目にかかる。
例えば、ある下訳をチェックしていたところ、なかなか滑らかな文筆の運びで「〜アメリカ人はクレジットが好きな国民である…」という一節が出てきたが、その後の文章と全く意が通ぜずどうもチグハグである。そこで原文に当たったところ、“The Americans are credential happy people…”となっていてcredit-happyではない。
ここのクレデンシャルは「卒業証書、資格、学歴、肩書」の意味であるから、「アメリカ人は肩書き好きな国民である」と訳すべき筋合いの文章である。
この手のミスは、思い込みから起きたり、辞書を引くのを不精したりするところから来るのだが、もう少し真摯に丹念にやれば避けられる過ちであるといえる。
翻訳へのルーズな態度が生まれる理由は様々あろう。
その一つは、例の「超訳」と称する翻訳の領域を逸脱したあり方が大手を振ってまかり通っていることによる。
翻訳の種類として、一つの原本からヒントを得て、かなり恣意的に書き直した場合は、「超」などではなくて、本当は“inspired by”or“based on”(翻案)と称すべきものである。こうした慣行から安易なアプローチが醸成され易くなってきているともいえよう。
第二は翻訳マシンや安価なソフトによって、翻訳がかなり“容易”に行われるようになったことの影響がある。
ごく技術的な翻訳以外は、レビュアーとかチェッカーといわれる人々の手を経ない限り、ソフトを通しただけでは日本文としても、また正確さから言っても不十分なままである。
たしかに、最近のソフトは平均して中学生程度のレベルには漸く到達している。
しかし、社会で通用する大人の水準までは達していない。和文英訳の場合だが一例をとって説明しよう。
コピー機に関して「コピー用紙がない」というのは、かつてのようなレベル1の翻訳機やソフトだと“Copy paper no.”とか“Copy paper no exist.”程度だった。やがて、レベル2までになった翻訳ソフトは“There is no copy paper.”というところまでやってきた。これはこれで一応通用はする。しかし、実際の現場の英語では“The tray is empty.”というのが一般の言い方である。このレベル3まで到達するには、人工知能の力をさらに借りなければならないのでもう少し時間がかかる。
落とし穴・その2
辞書に頼ること、頼らぬこと、頼り過ぎること
〜buzzword(流行語)がブザー信号では
明治時代はおろか、ひと昔前に比べて辞書の整備の度合いは正に画期的といえる。英和辞典ならリーダーズ・グループの最新版、英英辞書ならオックスフォード辞書兼類語辞典(アメリカ版)、ウエブスターの第三国際版…など優れたものが数多く刊行され、入手し易くなっている。専門用語の辞書については、あえて列記はしないが、かつてとは比較にならないほど多彩な形で整えられている。それだけではない。インターネットを通じて、専門用語や概念に関しては容易に検索することができる時代となった。
それでいて、ごくシンプルな点に関してのミスやエラーがよく目にとまるのは、既述の通りの思い込みや不精によって辞書に当たらぬことに原因の一つがある。
とはいえ、辞書の方も、このご時世なのに、まことにひどいものが、ごく最近の版にもいろいろある。その一つが、こちらが泣きたくなるような誤訳満載の某ビジネス辞典。
acquisition(買収、合併)が「取得」、industrial action(争議、ストライキ)が「産業活動」、affiliated company(関連会社)が「子会社」(子会社は正しくはsubsidiary)、boardroom(役員室)が「会議室」、blue-collar worker(肉体労働者)が「労働者」、sales budget(販売予算)が「販売予測」、break even(損益分岐点に達する)が「均衡になる」、buzzword(流行語)が「ブザー信号」…と、これでは、訳文に誤訳が出てくるのも無理はない。
しかし欠陥辞書だけを難ずることはできない。訳書の側でもビジネスの現実によく触れていない限り、ミスを犯してしまい易い。
たとえsupervisorがごく最新刊の某辞書には「職工長」などという戦前風の古い訳が出ていても、実際のビジネスの現場に何らかの形で触れている人ならば、「監督者」ぐらいの訳はすぐにでてくるはずである。
企業経営の中でよく「三現主義」ということが言われているが、現実(reality)、現場(job site)、現物(actual thing)の3つに対して鋭敏な触覚を有していることが翻訳者としても極めて大事な要件なのである。
和訳の先駆者たちと近年の状況
1853年(嘉永6年)に日米和親条約が締結されて、日本が鎖国体制を解いてから146年、今日ほど国際コミュニケーションの道具としての英語が重視される時はないといってもけっして過言ではないだろう。
土佐の漁民のジョン・万次郎こと、中浜万次郎が宇佐沖で遭難し、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されたのが天保12年(1841年)。この14歳の少年は、ほかの漁民がおどおどしているのに、ジョン・ハウランド号の人となってから何日かたったある日、自ら見張り役を買って出て、見よう見まねで、鯨を見つけて“There she blows,−blo-o-ws!”(あすこでクジラが潮をふいているぞーっ!)を発したのが、日本英学史登場の第1号。このとき、すなわち天保12年から、すでに158年の年月が経っている。
次いで、7年後の嘉永1年(1848年)に遠州灘で漂流した13歳の少年アメリカ彦ことジョゼフ・ヒコらの一行が、アメリカの商船オークランド号に助けられた。しかし外人は俺たちをとって喰ってしまうとほかのものたちが脅えているのを知った船長が、最年少のヒコを船底の食料室に連れていき、plenty, plenty, plenty…を連発して“plenty”イコール「たくさん」を初めての英単語として覚えたのが英学史第2号。
そしてハワイの上陸したヒコは、最初に出会った人から、「可愛い!」といわれ、日本語のできる人に会えたと思って空谷の足音と驚喜したところ、なんと“How are you?”をまちがってとらえたことがわかってガッカリしたとの“誤解”第1号が発生してから、もう151年の年月をけみしている。
さらにくだって安政5年(1858年)に来日したイギリスのエルギン卿が締結した日英修好通商条約を、オランダ通訳からイギリス語を独学で勉強して外国奉行支配通弁頭取となったMoriyamaこと森山多吉郎が、次のような(不平等な)条約のかなり立派な翻訳をしてから、141年になった。
Article X
“All foreign coin shall be current in Japan and shall pass for its corresponding weight in Japanese coin of the same description.”
「外国の諸貨幣は、日本の貨幣と同種の同量を以て通用すべし…」
ひるがえって今日のグローバル化時代において日本の国際的に置かれた位置を見ると、1600万人以上の日本人が毎年海外に出かけ、400万人以上の外国人が来日し、在外、日系企業数は1万6000社近くにも達し、海外に在留する日本人ビジネスマンとその家族、さらに現地で雇用する従業員とその家族を含めると、在外日系ビジネス・コミュニティの数は1000万人にも達する時代である。
最近の調査によれば、今や、コミュニケーションの手段として英語を用いるnon-native(生まれながらの英語使用国民でない人)の数が、nativeの数を上回っているし、世界60億の人々の中、世界の約5分の1の人々が、国際コミュニケーションの媒体として英語を用いる時代となったのである。
このことは、とくにビジネスの面においては著しく、自国語に対して誇り高きフランスの経営者も、マレーシアの政府高官も、ブラジルのビジネスマンも、英語をlingua franca(リンガ・フランカ=世界語)として使うようになっているのである。したがって、国際化するビジネスの世界にあっての英語は、今やイギリス人やアメリカ人の言葉ではなく、正に世界共通語になりつつあるのである。
かくして、朝日新聞論説委員の船橋洋一氏は、明治政府の森有礼文相のごとく、「英語を日本の公用語にせよ」との提言を行い、國広正雄エジンバラ大学名誉教授は、「英語必要悪論」を最近、唱えている。
もはや事態がここまで迫ってきた以上、英語能力、とくにコミュニカティブ(通じる)能力の加速度的向上が望まれるのは当然のことである。
しかし、他方において、間違った概念やその構文や観念体系を放置したままのグローバル化では誤解増殖と異文化乖離のプロセスを促進する恐れすらある。
また、1000年以上の歴史と文化に裏打ちされ、1億3000万人の人々の共通語である日本語の正しい位置づけと、それをまっとうな脈絡の下におくことの意義も大事である。英国の詩人アレキサンダー・ポープも喝破しているように、To err is human, to forgive divine.(過ちは人の常、許すは神の業)ではあり、今後とも誤訳は尽きぬといえよう。しかしerror(過ち)やmistake(誤り)がfailure(取り返しのつかぬ失敗)にまで繋がらぬよう、ここで再び先人の苦労と努力にしばし思いを致すことも必要ではなかろうか。
(産能大学教授)
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