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歩く・見る・聞く――知のネットワーク18
近・畿の宝探し
八尾市立歴史民俗資料館を訪ねて
中井 太郎
旅行したおりに、地域の有名無名の郷土資料館や博物館を尋ねるのが、私の密やかな趣味である。「資料館はその地域のタイムカプセルなんだ。」とは、同行を強いられて、嫌がる家族への口実で、要は物好きの性にしかすぎない。学術、文化のために貢献せんという気概を持つ資料館等関係者には、おそらく招かざる客ではないかと自認している。それでも、数をあたると、その熱意の有無、善し悪しについては多少なりとも理解出来るようになる。それは、箱の大小、設備の新旧ではないようだ。今回訪れた八尾市立歴史民俗資料館も、そのような、良きものの一つである。
八尾市(河内地域)は、他府県の人からすれば、忘れられた土地かもしれない。辛うじて、小説『悪名』の作者や、河内音頭で記憶されている程度であろう。しかし、実際は、豊潤な歴史の宝庫なのだ。その一端を、このコンパクトな資料館から、充分伺い知ることが出来る。
展示室で、まず目を引くと言えば、まちがいもなく、流水文銅鐸(弥生時代 跡部遺跡)だろう。その小ぶりながら、繊細で美しい姿は、約2000年前に作られたものととても思えない新鮮さに満ちている。この重要文化財の銅鐸を筆頭に、数々の出土物が、わかりやすい解説と共に展示されているのだ。
この門外漢でも堪能出来る出土物の豊富さは、生駒山を後背に、大阪府下でも、有数の古墳群地域を抱えていることと無関係ではない。西の山、花岡山、向山の、古墳時代前期の前方後円墳。府下最大の規模の石室を持つ愛宕塚古墳。横穴式石室の高安千塚等群集墳、同時代後期の前方後円墳。また、弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡も、多数存在し、渡来系文物や吉備系土器の宝庫となっている。
言うまでもなく、これら考古資料だけではない。美術工芸品、古文書、河内木綿関係資料、歴史資料、民具と多岐にわたり、時代も旧石器時代から昭和までカバーするものとなっている。
河内木綿関係資料は、かって日本中で愛用された「手織木綿」研究の第一人者である故辻合喜代太郎博士が、研究の為に収集した染織資料約2400点が寄贈されたものであり、日本の生活文化を知る上で、貴重なものだ。
古文書関係等も、専門の学芸員を擁するだけあって、その特色となっている。折しも、企画展『古文書からみた江戸時代の久宝寺村』が開催されていた。八尾市西部の久宝寺地区は、戦国時代、畿内有数の寺内町として発展し、江戸時代は、久宝寺村として、幕府の支配を受けていた。周辺地域の物資の集散地として賑わいをみせていたのである。同村庄屋である高田家の古文書を通じて、景観、人々の動向、村の支配、河川の利用、幕末の政局と村、多角度からせまり、江戸時代における村の姿を、生き生きと再現する構成となっている。
見学に一区切りをつけ、館長の棚橋利光氏にお話しを伺ってみた。実は、館長は、我が大阪経済法科大学出版部刊行の『河内地域史総論編』の執筆者の一人でもある。
「開館一〇周年にこぎつけた。資料館という名称だが、博物館相当施設。だから、貴重な資料、文物も収めることが出来る。」とのお話に、なるほどと、展示物を頭に浮かべつつ思う。「市井の研究家たちと資料館との共同で企画展を開催している。また、将来的には、自然や史跡に恵まれた地域一帯を、歴史文化ゾーンとし、館としてもその一翼を担い、気軽に訪ねられる場としたい。地域と密接なかかわりを持ちながら、運営されているようだ。
余談だが、展示物の、様々な農工具や日々の暮らしの用具等民具は、地元住民の提供に負っている。「私も寄贈したんよ。」と、地元出身の出版部員に後で教えられた。彼女曰く、「寄贈者はみな知人」だそうで、資料館の地域との関わりの深さを、改めて思い知った次第。
昨今、新しい世紀を迎えてか、はたまた混乱の時代のニーズに応えてか、歴史が耳目を集めることが多い。しかし、そこで語られる歴史なるものは、大文字すぎて、日常からかけ離れたものが多い。俄歴史家にいきなり身を置くのも良いが、まず、自分の足元地元から、辿って見るのも、大文字を考える上でも、必要なのではないかと、今回の、資料館見学から、示唆を得たのは収穫であった。
最後に、突然の来訪にも、心良く応じてくれた棚橋館長に謝意を表したい。
(大阪経済法科大学出版部)
八尾市立歴史民俗資料館
〒581-0862 大阪府八尾市千塚3-180-1
TEL 0729-41-3601
http://www.city.yao.osaka.jp/REKIMIN/01index.htm
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