歩く・見る・聞く――知のネットワーク20
考古学資料の宝庫
関西大学博物館を訪ねて
熊 博毅
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関西大学博物館
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関西大学の正門をくぐり、左手の法文学舎へと続く坂をのぼりきるとクスノキの大樹が気持ちのよい木陰を作っている。博物館は、その木立に囲まれるように建っていた。
この博物館の収蔵資料は考古学・歴史学・民俗学・美術工芸等の各分野におよび、全部で約1万5000点を数える(重要文化財16点、重要美術品12点を含む)。中心となるのは考古学関係資料で、日本の先史時代から歴史時代、海外の考古学・歴史学関係資料を主に収蔵している。展示資料の中核となっている「本山コレクション」は、元毎日新聞社社長・本山彦一(松陰)氏の収集によるもので、その質の高さからいっても第一級の文化財といえるだろう。
博物館の玄関を入ってまず目についたのは朱(水銀朱)塗りの家型石棺である。これは奈良県生駒郡斑鳩町で発見された藤ノ木古墳の石棺を復元したもので(凝灰岩製)、石棺がどのようにして石室に埋納されたかを実験で確かめるために作られた。発掘調査の際には、これを使って石棺の蓋を開けるシュミレーションも行われたという。
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藤ノ木古墳石棺(復元)
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展示室(2階)は第一展示室と第二展示室の二部屋からなっており、第一展示室では、入口から向かって右側に縄文時代・弥生時代の資料、左側に古墳時代の資料が展示されている。縄文時代・弥生時代の資料の中で特に目を引いたのは、入ってすぐの所に展示されている縄文時代前期の■(王へん+決のつくり)状耳飾であった〔重要文化財、大阪府藤井寺市の国府(こう)遺跡から出土〕。この資料については、同館の山口卓也学芸員から次のような説明を聞くことができた。
「この遺物は人頭骨といっしょに出土しており、頭部側面に接して出土したことから耳飾であると判断されました。しかも、その出土状況から、飾りの切れ込みに耳たぶを差し込むのではなく、耳たぶに穴をあけて装着した、いわば大型のピアスのような耳飾であることも解明されました。古代の装身具の具体的な使用法が分かった点で貴重な資料といえます」。
縄文時代の資料としては、ほかにも土器や土偶、石器類が多数展示されており、石鏃・石槍などの打製石器や石斧・石棒などの磨製石器、釣針・銛といった骨角器などから、縄文人がいかに多種多様な道具を使い、いかに高い製作技術を持っていたのかを理解することができた。
弥生時代の資料としては、銅鐸や銅剣、石包丁などのほかに、東北、東海から九州にいたる各地の土器が多数展示されている。なかでも大阪府堺市四池遺跡出土の蛸壺型土器は、大阪湾でイイダコ漁が行われていた証拠となる資料で、当時の人たちの食生活の一端がしのばれて興味深い。
古墳時代の資料のうちでは、重要文化財に指定されている石枕(伝奈良県天理市渋谷出土)に目を奪われた。埋葬の時に使用するという石枕は、同様のものがもう一点展示されているが、両者を比較すると、被葬者の身分の差や地域差などが想像でき、この点でもおもしろかった。
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第一展示室
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第二展示室には古墳時代の復元甲冑(故末永雅雄名誉教授復元)や朝鮮半島、中国、東アジア、オリエント、ヨーロッパ、アメリカ大陸などの海外資料が展示されている。ここでは、復元甲冑によって、古墳から出土する甲冑が実際、どのように着装されていたのかを知ることができるし、革綴じから鋲留めへの変遷なども観察できておもしろい。
海外の資料としては、中国の青銅器や甲骨、朝鮮半島・新羅や高麗時代の蔵骨器、台湾・新石器時代の石器、エジプトの護符、ローマ時代のガラス器などが収蔵されている。
普段私たちは、古代と現代は全く別の時代であり、そこに生きる人たちも全く別の人間であると思いがちである。しかし、博物館に展示されている品々を見ると、時代が変わっても人間そのものはそれほど変わらない、ということを改めて感じさせられる。物(展示品)を通してではあるが、いつの時代も変わらない人間としての喜怒哀楽、生活に対する苦労やよろこびといったものが、その背後に見え隠れするのである。博物館に足を運び、展示品を通して、ゆっくりとこうした対話をするのも、たまにはいいだろう。博物館の良い点は、意外とこんな所にあるのかもしれない。
(関西大学出版部・熊 博毅)
関西大学博物館
〒564-8680
大阪府吹田市山手町3丁目3番35号
交 通:阪急千里線「関大前駅」下車(徒歩10分)
開館日:月・火・木・金曜日の午前10時から午後4時まで
(水・土・日曜日・祝日ならびに夏季・冬季休業中その他の大学が定めた日は休館)
電 話:06-6368-1171(ダイヤルイン)
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