読書の周辺
待たれる全国「名書」鑑評会
斎藤 和明
時折り、書架から被せ紙が緑色のFOUR QUARTETS By T. S. ELIOT を取り出している。詩人エリオット自身が取締役を務めたこともあるフェバランフェイバー社出版、四つの詩から成る詩集『四つの四重奏』(1943)である。私の手にあるのは、学生時代に買った1955年印刷の第10刷。そのジャケットをはずすと、淡い黄土色のクロス装。それが横143ミリ、天地223ミリ。まず擦る。快美感のある表紙である。本を開く。それぞれの頁が味わい深い。一葉が139ミリ×219ミリの大きさ。四重奏が四曲だから、44頁。めくるのが大袈裟に言うと快揚快愉、つまり趣よし気味よしのクリーム色の紙、それがやや厚めで、活字がいい。それにその感触のよさは、眼にとびこんでくる言葉がこころを捉まえること離さないことで、いっそう深まる。いま開けた頁が、「イースト・コウカー」だった。こう始まる。'In my beginning is my end.'「私の初めのなかに私の終わりがある。」
これは、虹を見てうたうワーズワスの、'The Child is Father of the man'(子どもは大人の父である)の、成人になっての性格や人格の基本、つまり感受性が幼年期に出来上がっているものだ、という連続性の線を気づかせる詩句とは違う。エリオットの詩では点。人生の出発点にすでに終点が隠されて存在しているのだという。同じ詩人の「彼の誕生は死である」と記す一行に通ずる。子どものころの無邪気なよろこび、あるいは苦痛が、人生の終点に戻ってくるのか。ものごころついたころの私の人生の初めは、戦争中だった、惨めだった。この人生、出発点同様、晩年になって、別な戦争、さまざまな対立や争いに巻き込まれながらの終わりになりそうだ。
しかし顧みると、初めと終わりの間の人生で、私は本との出会いには恵まれていた。これこそがいま最も必要としていた本だ、よい本に出会ったと思わされることになる本が、この一生のそれぞれの「いま」に与えられてきた。本が与えられたその時、魂が深いところで、喘いでいた。その出会いの恵みのため、私は生きる苦しさ悩みからさまざまな意味で救われてきた。だがそれは、突然で偶然で、一方的で、しかし、苦しい時の救いになるための与えられ方であるような出会いだった。
本に救われてきたのは、幼少より本が好きだったから得知らぬ高きより与えられた恵みゆえなのだろう。好きになって撫でてしまっている本にはことばでの表現を拒む独特の味わいがあるものである。先日、明星大学の理事長室のある学苑本部の近くの、明るさあたたかさの漂う府中市美術館で、「ウィーン―生活と芸術」展を享受堪能したが、20世紀初頭の既成様式からの分離決別の芸術運動ゼツェッションに焦点が置かれていて、そこへのウィリアム・モリスからの影響、モリスとともに分離派が恩地孝四郎の版画や装幀へ与えた影響なども見えてきて、私にとって特に興味深かった。私は、中学生のころから「本は文明の旗」であると考えていたこの版画家の装幀本を好きになっていたのである。そのため古本屋めぐり狂になっていたのである。
いまは単調な紙表紙の時代で、しかも指が嫌うヴィニール表紙も出てきている。不快な臭気が鼻に手にも付着してしまうヴィニール装は、さすがに少なくなったが、しかし、たとえヴィニールだろうが紙の表紙であろうが、造り手のほうでは読み手が手にして快い表紙、字体、装幀、製本、そんな本造りをつねに目差し心掛けてもらいたい。ケルズ書級の書物、並でない愛書家の寿岳文章や庄司淺水氏の著書のあれこれで言及されるケルムズコット版本の級、嵯峨本級の書物を目差す、主題と文章と造本が三位一体となった馥郁とした馨りと味のある快い書物がずらりと書店に並ぶ、そんな時のくるのが待たれる。これは名大吟醸だと思うと大概、全国新酒鑑評会金賞受賞作だったということがあるが、ただ金をかけた豪華本ではなく、中身に相応しいそれぞれが特製の芸術作品である書籍に出会いたい。そのためにも図書館協会推薦とは違う、個性ある名造本と名翰藻を競う全国「名書」鑑評会の誕生が待たれる。装釘展は何十年も前からあるようで、名著百選はしばしば眼にするが、待たれるのは「名書」百選で、名所図ず会えのような「名書」案内があると楽しい。清酒の全国品評会は明治10(1877)年が第1回だが、銘酒百選のように、「名書」のアカデミー賞最優秀作品が選ばれるようになると面白い。町の図書館でも、歴代のその最優秀作品はいつでも手にできるといい。そして手にするのが快い、自分の「名書」を、それぞれ身近に置きたいもの。以前、数日借りて惚れ込んだ庄司氏の『日本の書物』の限定版総革特別装本、ティニ女史の装幀の、もしばしば触っていたい一冊である。
味のある本が少なくなった。だが、手に取って快い本がないわけではなくて、例えばクロス装のデスク版『岩波国語辞典』の第五版そして第六版は、使っていて感触がよい。オックスフォド・ブルーもよい(そう思うのは好みの問題だが、『広辞苑』のケインブリッジ・ブルーよりもいい)。
いま全盛期のペーパーバックは紙だけの表紙だが、ハードカヴァも布表装ではなくほとんどボール紙の上に紙を重ねた表装である。前者はソフトカヴァとも呼ばれ鋏みで切るのは容易。それはいま始まったことではなくて、フランス装の仮製本のままの紙表紙は味わい深く、戦時の貧しい時期の室生犀星『詩集いにしへ』(昭和18年、一條書房、2円20銭)、戦後さらに貧しい時代の袖珍本川路柳虹『詩を想ふ』(草原書房、45円)も愛着を感じさせる紙表紙。また、「世界詩人叢書」(蒼樹社、150円)が、和紙のすばらしい叢書だった。手許にあるその叢書中の『ノヴァーリス詩集』は、23年発行、これも150円である。犀星のも柳虹のもノヴァーリスのも同じような枚数の本だが、犀星に比べて、4年後昭和22年の柳虹の本も和紙の「世界詩人叢書」の3分の1の定価ながらやはり高価なのは、昭和21年に政府がインフレ対策のため旧円を封鎖して新紙幣を発行したあとの値段なので、インフレがますますつづいていたことの一例となる。
ハードカヴァのボール紙は、「カーアッボー」と聞こえる英語なのだが、「カードボール」(cardboard[紙の板])で、「カード」は紙の意味、「ボール」は板。だから、「紙板」と呼ばれることから、紙でも板なので、紙よりも板の特徴に近いものだ。かつて日本人はそう思ったのだとわかる。鋏で容易く切れない、ボール紙の厚い表紙で味のある本は少ない。吉田健一の『書架記』(1973年、中央公論社)は表紙の背と隅が革の紙板で、これは恩地孝四郎の記す、「著書、出版者、装幀者、工務者のクワルテット」(「愛書雑談」、『装本の使命』、1992年、阿部出版)の気息の合った、「滋味」のある書物の見本であった。これは栃折久美子さんの「装釘」。みごとな出来映えである。
子ども時代に興奮して読んだ「立川文庫」の霧隠才蔵や猿飛佐助は、兄貴のいる同級生の貸してくれた本だった。夜ベッドに持っていっていっしょに寝たいと思うのは、いまは鬼平や秋山大先生若先生、梅安だが、あのころは塚原卜伝や加藤清正の物語、のちに文庫版の『モンテ・クリスト伯』の長さにびっくりすることになる小学生用の「巌窟王」、そして「紅はこべ」「三銃士」や孫悟空の出る「西遊記」それに「三国志」に夢中になっていた。さらに友だちの家で読んでしまった『ああ玉杯に花うけて』や『夾竹桃の花咲けば』なども懐かしい。あまりの懐かしさゆえに、元々の版でまた出会ってみたいと思い、それらの復刻版が出たとき早速求めてしまったが、なにか白けたものを感じていた。それに、あれは、友だちの部屋にもぐり込んで読んだから面白いものだったのかも知れない。
子ども時代の読書のように、本の感触の背景には、その本との初めての出会いの周りにあった情景の思い出がある。それが読書の周辺にあって、人それぞれの本の思い出の中では読書をしていたときの風景や風の動きなど、周辺のことが大切になる。あのころ、本に触れることがうれしかった。そのころの愛読書は大人版の荒木又右衛門やら直木三十五集のはいった「大衆文学全集」を除いて、ほとんどボール紙表紙の本だったが、感触と匂いは、思い出せる。
それにしても、いま紙の装幀で、いつも触れていたい素晴しい本の出現が待たれている。それほど、魅力のない紙の表紙が多い。思えば、昭和52年に古川書房から編者大山澄太の『山頭火遺稿三八九集』が発行されたが、これこそ好個の書冊なり、であった。それは、昭和6年2月と3月に「第壹集」から「第三集」を、そして翌年12月に「復活第四集」、8年1月と2月に「第五集」「第六集」を出して、その奥付の脇には次号第七集のための原稿締切り3月25日とあるので、心ならずもであったろうが、その「第六集」で跡絶えた種田山頭火のガリ版刷り、50部発行の雑誌『三八九』の復刻合本版である。箱が臙脂色で、表紙はボール紙に藍の和紙をかぶせたもの、薄黄緑の見返しも和紙、扉は赤判に山頭火の筆跡の白抜きで、いわゆる美本。そこには、「春が来た窓をあけろ」「朝はよいかな落ちた葉も落ちぬ葉も」「重荷おもくて唄うたう」「ひとすぢに水のながれてをる」などなど、山頭火らしい句、さらに山頭火の仲間のらしい句が充満しておる。とにかく味がある。そういう味のある紙造本が、これからも生まれるのを、私はいま、気長に待っている。
ほかにも待つものは数々あるが、それぞれの人の願望、待っているものは夥しい。国土の環境改善があり、まともな政治家の出現、行政や財政改革、景気回復、医療政策の改革も待たれる。病院の、警察の体質改善、学級崩壊克服、また世界から学生を惹きつけるための大学・大学院改革の課題がある。そして緊急なその課題のために、教育機関に従事する教員職員の意識改革が待たれている。それらには、もう一刻も待てないと思わせる危機意識がある。
数年前、英国の北部、西ヨークシャのリーズ大学で、私は1年を過ごしたが、リーズは、中世の都ヨークの近くでよい所だった。訪問客のある度に、近くの『嵐が丘』『ジェイン・エア』などの背景となっているハワースへしばしば行くことができた。作品の雰囲気がいかに大事であるかと感じさせる風景の中に立った。リーズはシャーロットやエミリ、アン・ブロンテそれに兄弟のブランウェルの生まれた家のあるソーントンの近くの都市である。ブロンテ姉妹が学んだ「牧師の娘のための寄宿学校」のあるカウワン・ブリッジなども遠くなくて、ヨークシャー・モー(原野)が郊外に車でちょっと走ると、もうすでに始まるという、美しい自然がそばにひかえているという都市、それがリーズであった。振り返ってみて、そこで感じたことの最も大きなことが、そこの人々が何かをじっと待つ、ひたすら待っているということだった。
実際、英国人はよく待つ。そしてアイルランドでも、ウェールズやスコットランドでも、つまり連合王国人に共通する、その待つという行為を見て海外からの旅行者は驚く。郵便局、銀行、切符売り場や劇場入り口や店の前、実によく並ぶ。実にいらだたずに並んで待つ。評判のフィッシャンチップス店に長い列があるとき、待つ人びとは、その顔付きに内心のいらだちを浮かべずに、あたかも日本人の私が彼らの平然とした面持ちに感心するのを見越しているかのように、悠然とした待ち方をしている。吉祥寺などでも、菓子店や、メンチカツを買うために肉屋の前に長い列ができるが、英国人はとにかくよく待つ。パブでビールを注文するために、よく待つ。
パブで思い出すが、イングランドやアイルランドのパブで飲んだビア、ビターやスタウトはすばらしい味だった。しかし、一杯のビアがこの上なく美味であるためには、充分に待って渇いて、ビアを飲む時のくるのを、待ちに待っていなければならない。喜びの時を求めて、その味わうために最もふさわしい「時を待つ」必要がある。
すべてのものにそのものにふさわしい時がある。T・S・エリオットの『四つの四重奏』の「イースト・コウカー」にこういう一節があった。
I said to my soul, be still, and wait without hope
For hope would be hope for the wrong thing; wait without love
For love would be love of the wrong thing; there is yet faith
But the faith and the love and the hope are all in the waiting.
Wait without thought, for you are not ready for thought:
So the darkness shall be the light, and the stillness the dancing.
(私は、自分の魂に向かって言った、静かに、希望を抱かずに待て/なぜなら希望は誤ったものへの希望かも知れない。待て愛を抱かずに/なぜなら愛は誤ったものへの愛かも知れない/だが、それでも信仰がある/しかし、信仰も、愛も、希望もすべてが待つということのなかにある/待て、考えることなしに、なぜならきみは、考えだすには、まだ早すぎるのだから/そうすれば、闇を光にさせ、静けさを踊りにすることになろう。)
考えることなしに待つとは、期待、希望への思惑なしに、ただひた待つことであろう。信仰の喜びを、愛の喜びを与えられるため、喜びの希望を抱くためにも、ただ待たなければならない。そのひたすらさが重要である。待つことなしには、大きな喜びは味わうことができないからである。待つことにより闇の中に光が輝く。停滞した、動かずにいる社会を踊りださせるであろう。私もまた待っている。全国「名書」鑑評会の誕生を、ただひたすら。
(明星学苑理事長)
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