科学する目 2
生物の種類
青木 淳一
ちょっと犬の好きな人ならば、犬の種類をあげなさいといわれたら、シェパード、コリー、ビーグル、ボクサー、プードル、チワワ、ダックスフント、ラブラドルレトリバー、マルチーズ、ポメラニアン、チャウチャウ、秋田犬、土佐犬などスラスラと出てくるだろう。世界中の犬種は数百種あるといわれ、アメリカン・ケネル・クラブが公認しているものに限っても121種あるという。林檎だって、紅玉、国光、富士、ゴールデンデリシャス、インドリンゴなどいろいろある。しかし、これらはみな品種であって、生物学上の「種」ではない。犬はすべてひっくるめてイヌという1つの種、林檎もすべてリンゴという1つの種に属する。人間もいろいろな人種が世界中にいるが、やはりヒトという一種の生物にすぎない。
このように、生物学上の厳密な種に限定したとしても、その数は一般の人たちが想像しているよりも、はるかに多いものである。たとえば、日本にはコウモリが41種、ゴキブリが61種、ムカデが130種、テントウムシが164種いるというと、だれでもびっくりする。一般に知られているのは、そのグループの中で大型の種、美麗な種、役に立つ種、有害な種など、ほんの一部の種に限られている。
「この地球上に何種類の生物がいるか?」これはたいへんに難しい質問である。多くの書物に書かれている数字によると、動植物全部合わせて140万種といわれている。これはもちろん、名前がつけられている生物の種数である。まだ名前のついていない生物がどのくらいあるか、これが大問題である。
日本の動物のうち、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類についていえば、ほぼ完全に命名済みであり、その全種類が図鑑などに掲載されている。しかし、もっと下等な動物になると、事情はまったく違ってくる。たとえば、私が専門に研究している土壌中に生息するササラダニ類では、1958年に私が研究をはじめた頃には日本で7種しか知られていなかった。それが43年後の現在、660種に達した。そのうちの380種が新種であり、命名する必要があったのである。つまり、私が研究を開始する以前、日本のササラダニ類についていえば、名前がつけられている種の割合は全体の1.06パーセントにすぎなかったことになる。このようにして、分類学的に未開拓な動物群の研究がつぎつぎと進み、命名作業が行われていくと、どうなっていくだろうか。
たとえば、京都大学の白山義久教授によれば、ダニよりももっと研究が進んでいない海底の泥の中にすむ線虫すべてに名前をつければ、地球上の生物は2億種を越えるだろうと推測する。現在140万種だとすれば、それは実際に生息する種の0.7パーセントにすぎないことになる。つまり、地球上の全生物のうち、名前がつけられているのは1パーセントにも満たないということである。
こう考えてくると、生物学者の非力を嘆きたくなるとともに、いくら頑張って名づけ作業をやっても切りがないと思うと同時に、地球上にはなんでこんなにも多くの生物がいるのだろうか、なぜそんなに多くの種がいる必要があるのだろうかという疑問すら出てくる。
最近、急にその重要性が認められはじめた「生物多様性」についても、正直なところ、その意味がわかったようで、わからない。それに対して、「生物多様性とは、人間をも含めた地球上のあらゆる生物の生命維持装置である」というのが説得力のある説明とされている。
つまり、地球上にこれほどまでに多くの種の生物がいることは、神様の悪戯でもなく、地球の無駄でもなく、きわめて大切な重要なことだと理解しなければならない。
(神奈川県立生命の星・地球博物館)
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