これからの学術書編集
西谷能英
この4月に『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』という主として専門書出版にかかわる編集マニュアル本を刊行したことがきっかけになって、いろいろな人や本との出会いがあり、またいくつかのセミナーの講師をつとめさせてもらった。なかでも7月におこなわれた大学出版部協会の拡大編集部会は、学術書の編集にたずさわっている現役の編集者の集まりだということもあって、自分としてももっとも手ごたえのあったセミナーだったと思う。
出版がこれからいったいどうなっていくのかまったく先が見えないなかで、学術専門書の出版もまた展望をもちにくい時代にはいっている。未來社のような専門書志向の小出版社にとってのみならず、大学出版部のような学術出版をいわば義務づけられている特殊な企業体にとっても、ますます売れなくなっている学術書を企画・編集・出版するということはどういうことか、それこそ真剣に問い直さなければならなくなっている。しかし現実はなかなか厳しく、残念ながらこれで安泰といった処方箋などもちあわせていないことはあらかじめ言っておかなければならない。
専門書出版の未来像
とはいえ、これからの専門書出版には、従来とはちがったかたちでではあろうが、まだまだ十分な可能性が残されていると思う。それにはいくつかの理由が挙げられる。
そのひとつは、どんなに本が売れなくなってきたとは言っても、学問や芸術が人間の本源的欲求の現われであり、しかもそれらが書物という形態をとって残され、伝達され、また享受されようとするかぎりにおいて、かならず優れた著者と読者は存在すると確信しうるからである。もちろん、読書環境や出版環境も必然的に変質せざるをえないから、これまでとまったく同じように企画・編集・出版がなされるという保証はない。しかし単純に考えて、出版業界の縮小はありえても出版の原点である著者の存在は衰退していくとはいまのところ思えない。
もうひとつの理由としては、パソコンとインターネットによる技術情報革命の進行がこれまでの出版の業態を変質させようとしているのは事実としても、ある意味ではこれらの技術と情報の力を戦略的にとりこむことによって専門書出版は新しい局面を切り開くことができるのではないか、ということである。パソコンとインターネットというのはたしかに諸刃の剣であって、書籍離れの直接的な原因のひとつと考えられるが、逆にこれらを積極的にとりこむことによってこれまで考えられなかったスケールで出版という業態を変革しうる武器にもなりうるのである。
出版業はこれまで大出版社、大取次、大書店を核とする大量生産―大量流通―大量販売によって右肩上がりの上昇をつづけ、「不況に強い出版界」なる神話さえつくりあげてきた。その神話がもろくも崩れ落ちようとしているのが昨今の出版不況であるが、これは本来、出版それ自体の不況を意味するのではなく、これまでの出版界が依拠してきた経済構造の金属疲労が全般的な経済不況に追い打ちをかけられ、ここへきて露出してきたことともかかわっている。専門書出版に見られるように、出版という業態はもともとそんなに景気のいい業種ではない。どちらかと言えば地道な業種たる出版業がなにを勘違いしたのか、花形産業の顔をしていたのが間違いだったのである。いまさら、出版業界全体で三菱自動車の年間売上げはクリアしたもののホンダの売上げにも及ばないだのと、そんなことに気がついたって遅いのである。
そういう意味では専門書出版の世界にはなにも悲観することはない。むしろ出版の原点にたちもどって自分たちがなにをほんとうにやりたいのか考え直せばいいのだ。そう考えてみると、パソコンとインターネットの可能性にあらためて注目してみる必要がある。
インターネット利用の可能性
ここは専門書出版の未来像、またはそのなかにおける編集者のありかたを考えるべき場所だからあまりくわしくは論じられないが、専門書出版社にとってインターネットの可能性はもっと考えられていいと思う。
ひとつは出版社のホームページをもっと活用すること。ここからの書籍注文はまだまだ少ないが、いずれ急速に伸びていくことはおおいに期待できる。わざわざ出版社のホームページにまで注文しにきてくれる読者はまだ少ないにせよ、オンライン書店その他をつうじてネット注文の量は確実に増加している。大手出版社の人間はネット注文を軽視しているところがあるが、それはかれらの商品が巷の書店に氾濫している度合が高いからであり、しかも内容から言ってネット注文しようとするような読者の吟味に相対的に耐えられないものが多いからである。
裏をかえせば、専門書出版社ほどネット注文でのチャンスは高いということである。書店在庫が少ないし、宣伝力や営業力もないから、内容がなくても売れるということはないかわりに、専門的で定価の高い本でもしっかり情報をあげておけば、読者はかならずや検索し注文に結びつくという可能性があるということである。おもしろいことに大手出版社のベストセラー本(ところで、いまそんなものがあるかな?)でも小零細出版社の高い専門書であっても、書店店頭での扱いとは裏腹に、インターネットではまったく同格に位置づけられるのである。アクセスされる可能性は理論的にはまったく五分五分である。しかもインターネットを日常的に利用しているような人は専門家のウェイトが高いから、この関係はひょっとしたら逆になっているかもしれない。こうした情報価値の相対化や逆転がなされてしまうところにインターネット利用の可能性があるのである。わたしはこれをひそかに「インターネット民主主義」と名づけているが、専門書出版社にとってのインターネットのあらたな可能性はこのあたりにもあるのである。
さらには、あとで言うつもりのことと関係するが、これからはインターネットをつうじてのデジタルコンテンツの販売という問題が課題になってくるとわたしは予想している。なぜなら専門家ほど書籍以外にもデータとしてコンテンツを必要とする時代がくるにちがいないからである。課金制の問題と若干の技術上の問題さえクリアされれば、いまでもテキストファイルまたはPDFファイルでのコンテンツ販売は可能であり、これからの専門書出版社の選択肢のひとつとして浮上してくるはずの問題だからである。
編集者はなにをなすべきか
本題にはいろう。わたしの考えていることはすでに『執筆篇』で述べているし、いま「週刊読書人」と未來社ホームページで書いている続篇の『編集篇』その他でも触れているが、あえてくりかえせば、これからの編集者はパソコンの編集機能をフルに引き出して単純でむだな作業はなるべくパソコン上ですませてしまい、本来の企画案出、原稿読み、著者への提言といった編集業務に集中できる環境をととのえるべきである、ということに尽きる。
わたしはパソコンで編集の仕事がすべてできるなどと言ったことは一度もないし考えたこともないが、『出版のためのテキスト実践技法/執筆篇』を刊行してあらためてわかったことは、出版業界というところは、印刷などの関連業界のひともふくめて自己中心主義のひとがきわめて多い、かなり変なひとたちの集まりだということである。『執筆篇』はあまりパソコンに精通していない数多くの著者や編集者のための入門篇として書いたものであり、これにつづく『編集篇』でこれまでの編集上の経験や工夫を公表するつもりであるが、未刊のものにまで文句をつける乱暴な書評や、なにをいまさらこの程度のものを、といった冷笑のたぐいに事欠かないのである。もちろん、正当に評価してくれるひとのほうが多いのがわたしの励みになっているが、どうして編集とパソコンという関係を論ずると無意味な反発や抵抗が大きいのだろうか。パソコンなんかで編集ができるか、パソコンをやっているヒマがあったら企画のひとつでも考えろ、というおきまりのパターンである。
しかし、わたしに言わせれば、これはパソコンのすぐれた機能を引き出し編集という場面に適用するすべを知らないだけの話である。個人ユーザのレベルで本格的にパソコンが現われてまだせいぜい十数年という時間を考えてみれば無理もないところもあるが、実際に執筆や編集という作業にパソコンを有効に生かすための適切なマニュアル書がわたしの知るかぎり一冊もなかったことも原因のひとつなのである。『執筆篇』と『編集篇』はその意味で、必要にせまられての、わたしなりの経験を生かした業界へむけた提言なのである。
ここで前宣伝めくが、『編集篇』でやろうとしていることを述べておきたい。実際の編集作業においては用字用語の統一をはじめ、文字データを適切なかたちに配置するという技術上の問題がさまざまにあり、通常はゲラになってから赤字を入れて修正をくりかえすという作業がかなりのウェイトを占める。原稿やゲラの通読においてもこうした修正や統一に気をとられながらの作業ということになり、間違いや見落としの原因になりかねない。逆に言えば、むだなところに神経を配りながらの通読という作業はいちじるしく集中心を欠き、非効率なのである。わたしもかつてはこうした方法で仕事をせざるをえなかったために読んだつもりの内容がすっかり抜けてしまい、細部のつまらない字句へのこだわりばかりが残ってしまうというような失敗をくりかえしてきた。これはわたしだけの現象ではないというのが、わたしなりの方法探しの出発点だったのである。
わたしが『編集篇』でやろうとしているのは、ひとことで言えば、SEDというUNIX系のすぐれた検索と置換のためのコマンドをフルに利用して、あらかじめ作成してあるスクリプト(一種のフィルター)にかけて原稿の一般的な問題点を事前に処理してしまうということであり、印刷所入稿のために自動処理で組版がなされるためにタグと呼ばれる割付け指定を原稿のファイルに埋め込むという作業である。とは言っても、こうした一括処理はほとんど瞬時になされることができ、しかも人間の目では追いきれないところまで検索と置換をしてくれるので、あとの編集作業がきわめてスピーディかつ快適になるとともに、本来の編集作業に集中できる環境をつくることができるということなのである。こういう作業環境はパソコンが多少できるひとなら誰にでも実現できるし、そのためのツールや再利用できるスクリプトもこのさい提供し、編集者の共通財産にしてもらおうという予定なのである。問題は、そこまでやっても、どれだけの編集者が自分の問題としてとらえかえしてくれるか、というこの一点のみである。
(未來社代表取締役社長)
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