歩く・見る・聞く――知のネットワーク25
廣池千九郎記念館
多田敏雄
私立学校というのは、創立者独自の建学の精神がまずあって、それに共鳴する人たちが協力してできあがってゆくものである。それ故、創立者の精神はその学校にとって最も重要なものとなる。よって、どの私立学校でも、その精神を伝世してゆくための記念館が造られ、それがその学校の「聖地」となる。と同時に、そこには創立者の理想と情熱、つまり志が凝縮されているから、記念館を観ることによって、逆にその学校の志向と特色を知ることができる。
今回ご紹介する「廣池千九郎(ひろいけちくろう)記念館」がまさにそれで、ここには麗澤大学を含む学校法人廣池学園(大学1、高校2、中学2、幼稚園1)の基礎を築いた廣池千九郎の生涯と思想がいっぱい詰まっている。
この記念館は、千葉県柏市の麗澤大学および財団法人モラロラジー研究所を含む広大な園地の中心にある。正門を入って右手の林沿いに行くと、野点にふさわしい庭園があり、そこに溶けこむように記念館が建っている。鉄筋平屋建て、700平方メートルの建物で、開館は廣池没後24年の昭和37年である。内容は、廣池本人の遺品や著書、遺稿、遺墨、写真などを当時の社会情勢の説明とともに立体的に展示しており、それによって廣池の生涯と業績を知り、その志を感得できる仕組みになっている。
廣池千九郎は慶応二年(1866)に、現在の大分県中津市郊外の農家に生まれた。人一倍、向学心が強く、苦学力行して小学校教員に、そしてさらに歴史学者として頭角を現し、国家的大事業となる『古事類苑』の編纂に従事、「東洋法制史」の新学問分野を開拓。大正元年には「支那古代親族法の研究」等で東京帝国大学を通じて法学博士の学位を授与されるという偉業を成し遂げた。
旧制中学も卒業していない廣池が独学で学位を得たというので、当時の世間は驚いたが、この研究は廣池の学問の一部分にすぎない。廣池はかねて世界の普遍的な道徳原理を構築しようとして広範な研究を進めていた。しかし、学位取得と同時に、死の宣告を受けるほどの大病におかされ、この絶体絶命の境地で廣池はみずから精神的な大転換を成し遂げ、以後、困窮している人の心の救済に全精力を傾注するようになった。これはすべて実践活動によるもので、そこでの体験と研究成果が彼の教義体系を確固たるものに仕上げたといわれている。今日「モラロジー――道徳科学」と呼ばれるものがそれである。そして大正15年、廣池はモラロジー研究所を創立、昭和10年には道徳科学専攻塾を開き、これが今日の廣池学園につながってゆくのである。
廣池千九郎記念館は、廣池のこうしたドラマチックな人生を凝縮したものであるが、その中でも一際、目を引くものがいくつかある。
○『新編小学修身用書』(全三巻)――廣池が22歳、小学校教諭の時に自ら執筆した道徳の教科書。各巻一頁一話で50頁ある。
○『支那文典』――漢学研究の副産物ともいえる中国語の文法のテキスト。廣池が早稲田に招かれて教鞭を執ったとき使用したもので、早稲田大学出版部刊。七版を重ね当時の隠れたベストセラーであった。
○昭和7年、当時の侍従長・鈴木貫太郎宛の手紙(写し)――中国大陸にいる日本軍隊の速かな引き上げを具申。手紙の末尾に「この書面、何人にお目にかけても苦しからず候」とまで書いてある。
○新渡戸稲造博士(国際連盟事務局次長)からの書簡――廣池著『道徳科学の論文』に寄せた序文(英文)。先日講演にみえた明石康氏(元国連事務次長)がこれを貪るように読んでおられた。
○「宥座の器」の体験コーナー――孔子の「満つれば覆える」という中庸の教えを実物模型で体験できる。入れる水が少量だと傾き、多過ぎても覆える。ほどほどだと安定する。先般「週刊文春」と「日本経済新聞」で紹介された。
(麗澤大学出版会)
所在地 〒277-8686 千葉県柏市光ヶ丘2-1-1
開館時間 9時〜5時
休館日 年中無休(年末年始を除く)
入館料 無料
電 話 04-7173-3023
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