デジタル時代における出版契約
樋口 清一
複製の一手段としてのデジタル化
著作物が創作され、それが出版物に掲載されて読者の手に渡るまでの間に、なんらかのデジタル化の過程が介在することは極めて普通のことになった。著者の原稿の大半がデジタルデータで出版者に、出版者から印刷会社に対してもデジタルデータによって入稿される。そして、従来のパッケージ型の「電子出版」に加えてオンラインによるものも徐々に増えつつある今日、デジタル化の影響はこれまでの「出版」の概念を大きく変えつつあるといえる。
著作権法上では、デジタルかアナログかということは基本的に区別されない。したがって、著作権法で単に「複製」といった場合には、当然の事ながらデジタル複製を含むことになる。しかし、法律上の概念としてアナログとデジタルに差がないとしても、現実にはデジタル化によって、出版者を取り巻く環境は大きく変化している。この変化に対応していくために、出版者は従来の契約慣行を見直し、新しいデジタル時代の契約について考える時期に来ているのではないだろうか。もっとも、デジタル化対応における権利問題は、少なからずアナログ時代の権利関係・契約内容の曖昧さを引きずっていると言えないこともない。
出版のためにどんな権利が必要か
1冊の本が出版されるまでには、著者、監修者、編集委員会、写真家、画家、装幀家、編集プロダクション、印刷所、製本所等、多くの者の関与が必要になる。そして、出版者はこれらのものと契約を交わし、債権債務関係に立つことになる。これらの関与者がすべて著作権法上の権利者であるとは限らない。著者、写真家、画家は多少の例外を除いて著作権者である。監修者が著作権者になるかどうかはケースバイケースである。編集委員会は編集著作権者である場合が多いが、すべての場合にそうだとは言えない。
編集プロダクションは、請け負う仕事の内容によって、あるいは出版者との契約次第で、何らの権利も有しない場合もあれば、著作権者の一部になる可能性もある。
一方、出版者は一体どのような権利を持っているといえるか。出版者の社員が著作したものは職務著作ということで雇用主である法人が著作者になれるが、学術・専門出版物では例は少ないであろう。また、出版者が1冊の出版物に掲載する素材の選択・配列に創作性を持っていれば、編集著作権者になる場合もある。
このように、多くの場合、出版者は自らが持つ権利を行使するのではなく、他人の権利の使用許諾を受けることによって、出版活動を行っている。このことはアナログからデジタルに変わろうと本質的には同じである。
デジタル化に対応した契約書の整備
著作物がデジタル媒体によって読者に届く場合を考えると、CD-ROMやDVDのように固定されたパッケージである場合と、読者への提供がオンラインによって配信される場合とがあるが、両者は法的な意味合いも、必要とする契約も大きく異なるものとして認識されるべきである。
前者は、印刷出版における契約慣行を、類推・準用することもできないわけではない。もちろん、印刷出版のルールがすべて当てはまるわけではないが。たとえば、著作権法第七九条以下に規定されている「出版権」は、「著作物を原作のまま印刷その他の機械的又は化学的方法により文書又は図画として複製する権利」(第八〇条一項)であり、電子媒体によって読者に提供される場合には適用されないとするのが通説である。
一方、オンラインによる配信については、出版者はこれまでの発想を大きく転換することを迫られる。従来、出版とは「本」というパッケージに著作物を固定し販売してきた。しかし、デジタルの世界では、その「本」というパッケージに捉われることなく、出版者ではない事業者もいとも簡単に「出版」に手を染めることができる。著者自らが「出版」あるいは「公衆送信」を行うことも技術的には可能になってきた。最近、文化庁は、「一億総クリエイター、一億総ユーザー」の時代に適応した著作権制度と契約方式の確立の必要性を強調しているが、これに「一億総出版者」を付け加えるべきかもしれない。
日本書籍出版協会が発行している出版契約書ヒナ型では、このような状況に対する当面の対策として、2000年改訂版から、新たに条項を加え、著作権者が印刷出版物の発行者に電子媒体での出版の優先権を認めること、著作権者自身によるホームページ等での電子配信については事前協議を行うことを規定した(注1)。しかし、これは少なくとも出版者の頭越しに、著者と他の出版者が電子媒体による発行を取り決めてしまうことを抑えられるという最低限の効果しかなく、出版者が電子媒体によって著作物を発行するときには、改めて別途の契約が必要になろう。
パッケージの解体がはらむもの
ここで、デジタル化とネットワーク化が出版界に与える影響を整理してみると、(1)オリジナルと複製物の差がなくなる、(2)複製が容易にかつ瞬時に行える、(3)改変が容易になる、(4)パッケージの解体、というようなことが考えられる。これらのうち、デジタル化が出版者に対して最も根本的な変革をせまるのが、上記(4)のパッケージの解体という事態の出現であろう。前述のように、「一億総出版者」時代の到来にあって、出版者が一次出版者としての優位性を保ち、少なくとも投資を回収できるまでの間、その出版物に掲載した著作物を使用することができなければ、出版者が長年蓄積してきた貴重な出版資産は、ありとあらゆる「二次利用者」(この中には著者自身も含まれるだろう)の草刈り場と化してしまうだろう。
出版者は、著者との半ば共同作業で出版物を制作発行してきたし、その役割の重要性は今後も変わることはないであろう。しかし、皮肉なことにその重要性の故に、出版者は自らが発行する出版物とその上に存在するコンテンツに関して、使用権と支配権を持っていると過信してこなかったであろうか。ほとんどの出版契約の内容は、実は厳密にいえば、紙の出版物を発行する権限を期限付きで著作権者に認めてもらっているに過ぎないのである。
「出版者の権利」の持つ意味
出版界では、このように著者の権利のみを拠り所とするのではなく出版者固有の権利を獲得することを目指して長年にわたり先人のたゆまぬ努力が積み重ねられてきた。その結果、著作権審議会第八小委員会報告書(平成2年6月)において、著作隣接権としての出版者の権利の創設が提言された。しかし、経団連を中心とする産業界の反対にあって立法化のメドも立たず既に12年が経過した。
日本書籍出版協会では、この出版者の権利を何とか実現すべく、著作・出版権委員会第一分科会報告書「出版者の権利について」を今年3月に公表し、出版者として要望すべき著作隣接権としての「出版者の権利」の必要性と内容を整理した。報告書では、次のような内容の権利が認められることが必要であるとしている。
権利の性質 著作隣接権
権利の内容 出版物の版を利用して以下の行為を行うことに対する許諾権
(1)複製(複写機器・写真機器等による複製、電子媒体への入・出力) (2)公衆送信 (3)貸与 (4)譲渡
しかし、産業界等の反対が解消されたわけではない現状で、この主張を通すことは容易ではない。
これについては、粘り強く各方面に働きかけ理解を求めていくしかないが、ただ、ここで言及しておきたいことは、仮にこの「出版者の権利」が100%認められたとしても、著作物の使用契約の必要性が減じるわけではないということである。むしろ、出版者の権利は著作権と一体で行使される必要があることから、出版物に関わる権利者(関係者)との契約の重要性はいっそう増大するといえる。また、出版者の権利の範囲が明らかになることで、それ以外の部分=今まで出版者が何となく権利を持っているかのような運用を事実上行ってきた部分について、権利の帰属と使用権限を明確にしようとする意思が権利者側に働く可能性がないとはいえない。
デジタル時代の契約の重要性
出版物とはいわば、そこに使用されるさまざまなコンテンツの使用に関する「契約の束」であることをこれまで見てきた。しかし、現状ではその束は、さほど強固とはいえない状況である。印刷会社との間でしばしば紛争になる製版フィルムの所有権の問題にしても、結局は出版者と印刷会社間の契約が十分になされていなかったことが紛争を引き起こしたというに尽きる。昨年の判例(注2)では、出版者と印刷会社の間には両者が認め合う「慣行」が成立していないと判断している。しかし、現実に出版者と印刷会社の関係が良好で争いの起こっていない圧倒的多数の場面では、印刷会社が出版者のために製版フィルムを責任を持って保管するという「仕事の流れ」は明らかに両者の共通認識の上で存在しているのであり、それを契約という形に置き換えることができさえすれば、それが「慣行」を形作る基礎にもなると考える。
いま、政府では、7月4日に公表された「知的財産戦略大綱」に基づいて「知的財産基本法」制定の準備を急いでいる。そこでは、知的財産の保護の一方で、デジタルコンテンツの流通促進を図るということを大きな柱としている。ブロードバンドの普及を目前にして、出版者は自らができることの範囲を確実に認識するためにも、契約の重要性を見直してみる必要に迫られているといえよう。有体物である「本」という鎧で囲い込まれていた著作物が、裸のままで浮遊していくデジタル化された世界では、出版者を守るのは契約以外にはありえない。
■注
(1)出版契約書ヒナ型(一般用、2000年版)
「第二〇条(電子的使用) 甲は、乙に対し、本著作物の全部または相当の部分を、あらゆる電子媒体により発行し、もしくは公衆へ送信することに関し、乙が優先的に使用することを承諾する。具体的条件については、甲乙協議のうえ決定する。
2 前項の規定にかかわらず、甲が本著作物の全部または相当の部分を公衆へ送信しようとする場合は、甲乙協議のうえ取扱いを決定する」
(2)製版フィルムを廃棄した印刷所に対する損害賠償請求事件(東京地裁平成13年7月9日判決)。
(社団法人日本書籍出版協会調査部長)
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