ブルースの四季 冬
最も憂鬱な季節
湯川 新
1920年代と30年代のカントリー・ブルースの歌詞に一番登場する季節は冬である。旅烏のブルースマンは、金なし、知人なし、恋人なしの場合、どこで寝るかという難題に逢着させられた。南部のミシシッピー州にいれば、冬の平均気温も摂氏12度から13度の土地柄であるから、好天であれば野宿も不可能ではない。が、雨が降り風が吹く日はどうしたのか。北部のシカゴやニューヨークでは1月、2月にもなると零下にまで下がるから、寝る場所の確保は命とかかわった。ついている者は、3世帯が8時間交代で眠る賃貸アパートのホット・ベッドに潜り込めたであろう。車の中や橋の下や軒先で着のみ着のまま、新聞紙を毛布代わりにして、寒さをしのいだ者もいたし、凍死した者もいた。
冬がやってくるのに、一着のスーツも持っていない/財布は空っぽ、どうしようか(バーベキュー・ボブ)。おまえに追い出されて、病気になっちまった/俺は氷と雪のなかで野宿する貧乏人だ(ヘンリー・タウンゼント)。
冬の災禍は、毎年、家なき民の場合、確実に訪れてくるが、ブルースの詩句においては、それ自体として主題化されるというよりは、自分をないがしろにした恋人への恨みつらみ、貧乏の悲哀、病気の苦痛、未知の土地での孤独と暖かい故郷への懐旧を表すスタンザと並列して登場してくる。冬とは、災禍が二重、三重にふりかかってくる受難の季節なのである。とはいえ、恋人に見捨てられるのも、貧しいことも、病気であることも、冬の出来事とは限らないとすれば、受難が重なるのは、現実の問題であると共に修辞上の工夫ではあるまいか。ある意味ではそのとおりである。
この時期の歌手たちの大半は、自分で書いた歌詞や曲を歌うわけでなく、彼らに共有の常套句を手がかりにしてスタンザを即興的に作り上げる。そこに登場した語の脚韻を踏まえて、また別な常套句に依拠して次のスタンザを発語する。したがって、同一のスタンザが異なる歌手の歌に頻出するし、同一の歌手の異なる歌にも、同一のスタンザが登場する。冬の歌もその例にもれない。冬景色を連想させる語句を除けば、とりたてて冬の歌とはいえないところもある。だが、死の危険をはらむ季節を表す常套句に、他のトラブルの常套句を重ねることで自分の抱え込んだトラブルのリアリティが高められる。冬が好んで歌われたのもそのためであろう。無論、冬の災禍はブルースマンのみが被ったものではない。ブルース歌謡の主語は、必ず「私」で、歌手の「私」が直面したトラブルを語るという設定になっているが、常套句に依拠している以上、自己体験とは限らない。南部から北部へ移住した、或いは、移住の最中にあった膨大な黒人層の「私」が抱え込んだ災禍の投影なのである。
(ゆかわ・あらた/音楽社会学者)
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