考察・日韓中大学出版部の電子出版への取組み
― 三カ国合同セミナーにおける議論の変遷 ―

中村 晃司



 1997年から日本・韓国・中国の大学出版部協会は、共通言語を持たないという障害を超え、1年に1度集結し、合同セミナーを開催している。ここ3年間は、「大学出版部の社会的役割」というそれぞれのお国柄・情勢が露骨に反応し、眼に見えづらい複数年課題を掲げ、継続性を重視しながら、日本・琵琶湖、中国・上海、そして今年の韓国・ソウルと3年間越しで議論を重ねてきた。筆者は幸いにしてこの3回のセミナーに連続参加することができ、今年のソウルでは、分科会報告者の大役を任された。
 過去2回(琵琶湖・上海)のセミナーでは、出版環境、いや生活環境をも様変わりさせたITがらみの議論がより多く展開された。三カ国間には技術と環境が一般に普及するまでの速度・物理的な差異はあれども、「大学出版部の社会的役割」という論点をより明確にするためには、三カ国間に共存する国家的問題として関連付けられる“IT”に焦点が集まるのは、当然の成り行きだったように思う。

 電子出版への期待

 もちろん、三カ国セミナーはITに関する話題のみを扱っているわけではないが、特に上海セミナーでは、「インターネットと大学出版」という年次の共通主題が設定されていたこともあって、“電子出版”に関する議論は、他の議題を凌駕するものがあった。参加者個々人の表現の差はあれども、韓国側からは「出版不況を打開するための媒体」として、中国側からは「近い将来枯渇が予想される紙からの代替媒体」として、それぞれ電子出版の有効性が唱えられ、同時に電子出版にかける義務感と情熱が強く内包される歯切れよい意見が目立った。
 対する日本側の主張は、権利切れの文学書、ノンフィクションや文芸書では既に始まりつつあったが、学術書の電子出版が皆無に等しい状況を踏まえ、「技術力はありハード面での環境は整うも、著作権法上の整備、課金方法、電子版対応の出版契約の不備といった諸問題が好転しない限り難しい」とし、情熱と義務感に勝る韓国・中国側からは不思議に思われるほど、慎重な姿勢に終始した。
 ただ、技術論や業界全体を範囲とした一般論が大半を占め、研究成果の公刊、知的情報の社会還元という一般の版元と性格を異とする大学出版部に相応な電子出版とは何か、何を作るべきか、という日常の出版活動に直結する重要なファクターについての議論はおろか、三カ国お互いが交錯することなく時間切れを迎えた。日本側参加者の多くは、後悔にも似た消化不良の感を抱きつつ、帰路に就いたのだった。

 意外な展開

 そして今年、大学出版部として相応しい電子出版とは? という2年越しの課題に取り組むべく、韓国・中国側参加者が疑問に感じたと思われる日本の学術書電子出版が遅々として進展しない真因を総括し、大学出版部が作るべき電子出版物とは、〈現状では母体大学との連携における電子教科書ではなかろうか〉という提言を付した拙論「日本の大学出版部と電子出版――ネットワーク型電子出版への視点・問題・課題」をまとめた筆者は、分科会報告者としてソウルセミナーに臨んだのだが……(拙論の概略は紙面の関係上割愛させていただくが、大学出版部協会公式サイト 「三国セミナー報告」(http://www.ajup-net.com/ajupnews0208.shtml)に全文が掲載されているのでそちらをご覧いただきたい)。
 セミナー当日、報告集が配布され、報告者の発表が進むにしたがって、議論の醸成という小さな期待は木っ端微塵となる。韓国・中国側の電子出版に対する情熱と義務感の著しい低下という予想もしていなかった展開、つまり、韓国国内での電子出版に対する期待感はやや後退し、中国側の関心は電子出版よりも(今年に限ったことであろうが)日韓の出版部経営のエッセンスを得るという、参加者ほぼ全員から滲み出る欲求に様変わりしていたのだ。

 ダイナミック・コリアにある電子出版の挫折

 「五千年の歴史に輝く伝統文化と二一世紀の繁栄を約束するIT、科学技術が一つになった韓国」“ダイナミック・コリア”と銘打たれた韓国政府主導のIT重点戦略は、97年の通貨危機に端を発したIMF(国際通貨基金)介入でどん底に落ちた経済を立て直すに十分な効果を発揮し、僅か3年で日本はおろか、米国をも超える世界最大の情報テクノロジー国家に変貌を遂げた。この背景をもってすれば、過去2回の韓国側の電子出版に賭ける情熱は十分頷ける。ところが、「2000年には、……出版市場の救世主のように考えられた電子本に対する大きな希望は、わずか1年も経たないうちに挫折することになりました。一時、政府の支援政策と雰囲気作りによって、猫も杓子も電子本市場に跳びついた企業などは、電子本に関するコンテンツ生産者と使用者の冷淡な反応で、市場は硬直して景気沈滞とともに困難を経験しなければならなかった」。
 朱弘均・建国大学校出版部長によるこの辛辣な報告は、電子出版への情熱という蒸気を冷ますには足り余るものあった。だが、韓国の大学出版部の大半は教員が出版部の要職に就く中、“現場上がり”の出版部長として業界内でも著名と聞く朱氏の報告に、同僚・韓国側の出席者から大反論が展開される。「本当のところは?」と素朴な疑問も湧くが、冷静に考えてみると、たとえ朱氏の主張が韓国国内で異端であったとしても、「電子出版で出版不況を打開する」という、意気揚々とした昨年までの韓国側の足並みに乱れが生じているのは、どうやら間違いなさそうだ。
 韓国では、最大30%割引で台頭するネット書店の“鋼の刃”の如き攻勢に、定価販売という“木製の盾”で対抗していたリアル書店は危機的状況に陥り、老舗の大手書店数店を含め軒並み暖簾を降ろしていると聞く。ようやく今年、韓国政府が書籍の割引販売に規制をかける法律を制定したというが、未だ出版不況を潜行する韓国出版業界の起爆剤となるはずだった電子出版は、「紙版書籍の廉売」には適わなかったというべきか。電子出版は、発展し続けるダイナミック・コリアの中では劣勢に立たされ、挫折を経験しているのかも知れない。

 電子出版よりも出版社経営に関心が移る中国

 今回のソウルセミナーにおける中国側の報告は、残念というべきか、いずれも「報告者の所属する出版社の活動報告」や「母体大学の特色を出版の主力分野として活かし、中国社会の発展に貢献する」といったものだった。昨年のセミナーで風靡した電子出版に関する話題は多くて数行「電子出版に善処する」という趣旨に止められていた。
 実は、昨年の上海セミナーで、人民大学出版社の周蔚華氏が「インターネット出版は、伝統的な物流様式を変化させ、(紙)資源の浪費を減少させ、同時に出版の時間を大幅に短縮し、中間の過程を減らす……」とし、電子出版は、中国に存在する“今そこにある危機”「紙の枯渇」という国家問題に対する最善の方策であると論じていた。さらに、中国では「校産企業」と呼ばれる大学の技術移転機関(TLO)の代表格で、北京大学が100%出資する中国最大のIT企業グループ「北大方正集団公司」から派遣された電子出版事業の担当者が突如現れ、電子出版の有効性・可能性・必要性を切々と語っていた。そんな背景にプラスして、中国のインターネット人口が爆発的に伸び、今年の6月には4500万人を突破したという情報を把握していたこともあって、今年も相当な意気込みで電子出版論が語られると考えていたのだが、目論見は見事に外れることとなる。
 日韓の報告者各氏の発表が終わり、質疑応答の時間に入ると同時に、中国側から報告者の発表に沿わない形で、日韓の製作原価率、製作原価に含まれる印税率の割合、翻訳書出版の著作権使用料や翻訳の印税率……といった数字に関する質問が飛び交った。一体、昨年の電子出版への情熱は何処に行ってしまったのだろうか。
 今年の中国側の反応と主要大学出版社のウェブサイトを眺めてみて推察するところ、どうやら電子出版に大きな進展はなく、大学出版社による電子書籍の配信というステージには達していないようだ。それよりも中国では、21世紀に向けた教育部による100大学及び専攻分野を重点化する政策(二一一政策)が依然進行中であり、同政策は政府からの支援とは別に、産学連携費、寄付金、授業料の管理や出版社の経営など、大学の独立化・自主性を求めているのだという。
 これから想像すると、今中国では大学と大学出版社の関わりという基本的視座において、「母体大学からの介入→出版社の反駁と改革」を繰り返す調整期に入っていると考えられよう。現状では、印税の配分率、原価に占める印税の割合といった出版社運営と管理そのものに対する興味・関心に電子出版は勝らないと見るべきだろうか。また一方で、「紙の枯渇」という国家的危機は経営と利益志向の重要さに劣るのか、という穿った見方もしたくなる。

 「教育と大学出版」と電子出版

 来年の8月中旬、第七回合同セミナーは北海道札幌市を会場に開催される。来年以降3年間は「教育と大学出版」を継続主題に、まさしく大学出版部の理念の根幹をつく大きなテーマで議論が展開される。
 残念ながら大学出版部の社会的役割という枠組みの中で、三カ国ともに共有する問題であり議論の醸成に向かうはずだった「大学出版部が作るべき電子出版」という課題を正面から扱う機会は遠くなってしまった。しかし、現代の教育事情にITが絡まないわけはなく、e−ラーニング、遠隔教育、電子教科書……など、教育と出版を論ずるにはITという視点を避けて通れない。もちろん、ITに重きを置いた議論が展開されることは、三カ国ともに望むところでないだろうし、そうあるべきではないと思う。ただ、媒体・伝播手段として、教育と出版とITは密接にリンクすることを忘れてはならない。今回のソウルセミナーで、微力ながら母体大学との連携における電子教科書作りの重要性を指摘したことが、以降3年間の議論の展開に一助となることを願っている。
 教育と研究の両輪で社会に貢献する大学、その大学に付置される大学の出版部は、何が作れるのか、何で貢献できるのか、そこにITはどう絡んでくるのか。当たり前のようだが、日本を含め、来年以降の韓国・中国の仲間達による報告・発言、そして三カ国議論の行方が、今から楽しみでならない。
(東海大学出版会)



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