変革期の学術出版とオンライン

笹岡 五郎



 出版データの裏側にあるもの

 今年の『出版月報』(出版科学研究所)7月号によると、上半期(1〜6月)の出版物総販売額は1兆1758億円で、昨年比1.5%減となった。W杯サッカーが書店から客足をうばった影響もあるようだが、どうやら出版業界が6年連続マイナス成長になるのは避けられない模様である。
 振り返ってみると、日本の出版物の総売上が1兆円を超えたのは、1976年である。2兆円を突破したのは13年後の89年で、そのまま同率で伸びていけば次の13年後、すなわち2002年の今年は3兆円になるはずであった。ところが96年に2兆6564億円というピークを記録したあと、年々漸減していって、今年は2兆3000億円台に落ち着きそうな情勢である。
 これで分かるように、日本の出版界はどうやら96年頃から何らかの地殻変動が起きている。私たちはいま、数十年に一度の出版の変革期に際会していると言っていいのである。そしてこの変化に危機を感じている日本の出版人は多い。しかしこの変化は本当に「危機」なのだろうか? 正直なところ私はそうは思わない。危機というよりは、何かもっと他の内実を胎んだ、たとえば回避し得ない変化とでもいうふうに考えたい。その変化の要因として何が考え得るだろう。
 1つは、90年代初頭にはじけたバブル経済がボディブローのように数年遅れで影響してきたことがあげられる。そして「96年頃からの変化」に着目すると、前年暮れにウィンドウズ95が発売されて、秋葉原電器街に2万人以上が押し寄せたという、全国的なパソコンブームが思い起こされる。翌年には幕張メッセを主会場にした華やかなインターネット ワールドエキスポジションが開催されたのである。つまり出版界の下り坂の入り口であった1996年は、日本のインターネット元年でもあったのである。

 シフトするメディア=出版

 ここで、先にあげた日本の出版物の売上げデータに戻って、考えてみる。この出版の基礎データは出版科学研究所が毎年まとめているもので、業界の指標としては広く使われている。しかし出版科学研究所はトーハンの関連機関であり、発表されるデータはトーハンを経由した出版物の数量から推計されたものである。従ってこの数値に含まれていないものがあって、それは、
(1)出版社などによる(取次を経由しない)インターネット通販の売上げ
(2)出版社と書店の直取引によるもの
(3)出版コンテンツのインターネット上での直接販売
などが考えられる。
 これらはいずれも、(1)話題性があって、(2)売上げは大したことないが、(3)増加率がすごい、という、インターネットがらみの出版新事業に共通する特色がみられる。この分野ではさまざまな新規事業が立ちあがっているので、数年後にはもはやデータの裏側に寝かせていられない数字にふくらむと考えてよい。
 こうしてみると、出版科学研究所の基礎データにカウントされない売上高は年々増えており、それは下図のように表わされる。実線aは公表された売上額で、取次を経由したこれまで通りの紙本中心の販売推移。斜線部は(取次を経由しない)新しい流通にのった紙本及び電子コンテンツの販売高である。言い換えれば、aは印刷文化の曲線、bは(紙の印刷だけではない)広義の情報文化の曲線と捉えることができる。私たちが出版の未来を考えるときに、このbの曲線を、これからの可能性の上限とすべきではないだろうか。
出版の推定販売額(書籍+雑誌)の推移

 かつて情報は、テレビ(LIVE、速報)新聞(日刊)出版(週刊あるいはもっと長期)の三者で安定的な役割分担があったが、パソコンの出現はそれを攪拌し、メディアの淘汰とシフトを発現させた。これまで出版の世界はaの曲線だけ考えればよかったのに、bという曲線を出現させた犯人(とあえて表現しておくが)が実はどこかにいるのである。インターネットは誕生して10歳に満たないやんちゃ坊主だが、どうやら年齢以上に大物ぶりを発揮しはじめている。そしてその一方では、やはり変化という点でもう1つの因子があって(といっても、それは変化させたというより、出版界を永く変化させなかったという意味だが)、それが再販制である。

 委託販売の功と罪

 ここで少し時間を遡って考えてみよう。日本で最初に委託販売された出版物は、1909年に実業之日本社が創刊した『婦人世界』だと言われている。それまでの買切制とちがって書店は欲しいだけ注文でき、売れなければ返品できるので、書店の積極姿勢をひきだして雑誌は成功した。その後は買切と委託を併用して、出版界は比較的自由な発展を遂げ、1940年頃には書店1万店、取次240社、出版社3600社という広がりをみせた。今から60年も昔だが、意外にたくさんの会社で賑わっていたのである。それぞれの会社の規模は小さいとしても、日本の人口が7300万人であった当時、すでに豊熟した出版業界があり、町には必ず本屋さんがあって、棚は書籍中心で、大衆娯楽雑誌やマンガは店の隅に追いやられ、ゆったりとした活字独特の文化のようなものが息づいていたはずである。
 ここで注目されるのは、取次会社の数の多さである。それまで書店は直接出版社に本を買いに来ていたが、1878年に良明堂という最初の取次ができ、続いて東海堂などができて4社体制になる。さらに雑誌『太陽』で儲けた博文社は東京堂という直営の取次を持つなど、出版ジャンルに応じた中小取次が次々につくられた。人間の目のゆき届いた、きめ細かい出版流通ができていただろう。この頃が日本の出版界で「統制的でなかった」最後の時代といってよいかもしれない。
 1941年に、戦時統制政策で取次は日配(日本出版配給株式会社)1社に統合され、この寡占体制が戦後はトーハンと日販の2社に名を変え、現在まで続いている。これが「流通システムの安定」と「売上げ拡大」を出版界に享受させつつ、一方で、売上げと効率を追求するあまり、消費者の欲望と添い寝する形になったこともまた否定できないのである。
 たとえば1890年頃の売上比率は、雑誌が3で書籍7だったが、現在は、雑誌が6で書籍4に逆転している。書籍よりも雑誌、ロングセラーよりもベストセラーという志向性が業界にはあって、それがたえず消費を扇動してきた。その流れをサポートしたのが、委託販売制度である。
 この制度は利点も多かったが、書籍においては、本質的な問題を発生させた。たとえばある読者がA出版社の本を近所の書店に注文したとする。これはA社にとって、出荷と同時に売上げが確定する、もっとも優良な買切注文品である。ところが本を受け取って1週間後に、当の読者が書店に本を返しに行ったとする。このとき申し出を断る書店が何軒あるだろうか。多くの場合、本はそのまま取次経由で返品される。ただし、こういうことでは普通、会社の経営は成り立たない。ところが出版界では、委託制度の拡大解釈からくる「ぬるま湯的」感染症があって、返品の山をつくってしまっていたのである。結局、自主改革が行なわれる前に、コンピュータ化の波と本離れ現象のダブルパンチを食らう形になったのである。

 学術出版のこれから

 1982年『日経ビジネス』2月8日号の特集は、「軽・薄・短・小化の衝撃」だった。前年末に日経流通新聞がとりあげた「ヒット商品番付」には、パソコン、軽自動車、携帯用ヘッドホンステレオ、ミニコンポステレオ、携帯用キーボードなどが並び、そのどれもに共通する要素は、軽い、薄い、短い、小さい……だった。それから20年たった現在、出版も含めて各産業が作りだすモノの多くは軽薄短小のコンセプトに彩られている。モノだけではない。本離れの理由として、200頁も300頁もある長いものはとても読む気がしない、そんな重い本は持ちたくない、などという若者の新しい感性にもそれは表れている。
 このような時代を、日本の出版界はとくに劇的な自己変革をすることもなく、大局を見ながら動いていくかもしれない。なぜなら、10年という長ながしい議論のすえ再販制度が元のまま残存したからである。おそらく誰もが予感しているように、今後、紙本の売上はなだらかに長い時間をかけて下降していくだろう。本離れ現象はだらだら続き、やがてある限界点に達したときに、劇的な変化がはじまり(それはおもに会社経営の問題であり、原価計算の問題だが)、変化がはじまるとわずか5、6年で電子のシェアの突出が起こるかもしれないのである。
 ただ、そういう紙本出版文化の不透明感のなかで、学術出版についていえば、高額本としてしっかりした内容を備え、装丁や造本にも費用を配分でき、大きな図書館で長期に確実に保存してもらえる。また、オンデマンド印刷による少部数出版で読者のニーズにこたえながら、紙本文化を未来につなげていけるかもしれない。また、日本製「電子ペーパー」の商用化がはじまり、カラー表示も可能になってきた。この進展と、出版社の電子コンテンツが出揃えば(こちらはかなり時間がかかりそうだが)、新しい出版のオンライン市場が創出されるだろう。それを視野に入れながら、大学出版部は自社の出版物のデジタルデータ整備、学術情報データのプラットホームとしての展望と技術を備えておくべきだということを最後に記しておきたい。
(専修大学出版局)



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