歩く・見る・聞く――知のネットワーク29
日本民藝館
村山 夏子
「民藝館の使命は美の標準の提示にある。その価値標準は『健康の美』『正常の美』にある。美の理念として之を超えるものはない。かかる一貫した美の目標の下に個々の品物を又全体を整理することは極めて重要な仕事と思はれる。云ふまでもなく、かかる標準を最初から理論で組立てるべきではなく、深く直感に根差すべきなのはもとよりである。(…略…)陳列はそれ自身一つの技藝であり創作であつて、出来得るなら民藝館全体が一つの作物となるやうに育てたいと思ふ。とかく美術館は冷たい静止的な陳列場に陥り易いのであるから、もつと親しく温い場所にしたいといつも念じてゐる。(初代館長 柳宗悦)」
中学生の頃に授業で接した記憶のある、民芸の心を説く柳宗悦の言葉が体現された日本民藝館が、新しく住むようになった街からわずかな距離にあることに、引っ越して2年も経ってからようやく気づいて、出かけてみた。
目黒区は駒場のうちでもこの一帯は、ほんの何百メートルか先を通る山手通や246号線の存在が信じられないほどの、閑静で陽射しのやわらかい街並みが、意識的に残されているようである。この住宅街の背後から東大先端科学研究センターの巨大で異様な建物がかなり唐突に現われる、その手前に日本民藝館はある。
木造二階建て漆喰塗の、倉のようにもみえる建物の入り口は、ガラスの入った大きな引き戸で、靴を脱いで上がったところもたたきと同じ石の床で、何かの道場のような緊張感が漂っている。しかし、展示室に入るとその気分は一変する。展示は二階から見るようになっている。二階には、大展示室のほかに、入り口の上の吹き抜けを囲んで四つの部屋と二つの廊下があって、企画展の展示の合間に、さりげなく常設の展示がはさみこまれている。このときの企画展は、棟方志功の特別展であった。日本美術界の巨人である棟方志功は、油絵から版画に転向して苦闘している時期に柳宗悦に見出されたことで、以後の巨大な足跡を記すに至ったのであり、このため、日本民藝館には棟方のもっとも充実していたころの作品が収められているという。確かにその迫力は並大抵ではなく、棟方のあの、目を極度に近づけて体全体で彫る姿がありありと感じられるような、それでいて、自然を素直に見る無邪気な目が感じられるような、生き生きとした色であり、線であった。棟方の作品の多彩さ、多作ぶり、自由さは、もちろん彼自身の才能や信念の表れであるが、柳宗悦の民芸の思想――実用・複数・労働・廉価・無銘・地方・伝統・他力・分業――つまり、「自分で出来る仕事などたかが知れている。本当のものは個人を越えたところにある」という考え方が与えた影響も大きく、版画(棟方は自分の仕事を板画とよぶ)への無心の傾倒を引き出したのではないだろうか。
企画展以外には、一階の三つの部屋を含めて、李朝の陶磁器をはじめとした工芸品、日本の古陶磁や日用品、柳とともに民芸運動を推進したバーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司らの作品、日本全国の染織品などが、目いっぱいに、しかしさりげなく並べられていて、見飽きない。冒頭に引いた柳の言葉どおり、展示自体がひとつの見せ所になっていて、各部屋ごとにイメージができあがっていくのだが、それがまったく押しつけがましくないのである。詰め込み過ぎでもなく、もったいぶった「間」もなく、次は何が出てくるのかと楽しみにしながら歩ける。ただし、一階のミュージアムショップ――絵はがきやカタログや関連書籍のみならず、織物や染め物、陶器やガラスの作品、アジアの民芸品などが並んでおり、担当の方は、尋ねれば親切にいろいろ教えてくれる――にたどり着くころには、たった七部屋を回っただけとは思えないほど、足が疲れ切っていることは保証付きである……。企画展はもちろんであるが、李朝の作品のいくつかを見られただけでも、また、沖縄の紅型や東北の絣の数々を見られただけでも、千円の入場料は高くない。日常から生まれた美、是非一度ご堪能を。
(慶應義塾大学出版会)
所 在 地 〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-33
京王井の頭線駒場東大前駅より徒歩5分
開館時間 10:00−17:00(入館は16:30まで)
休 館 日 毎週月曜日(ただし月曜が祝日の場合は開館し翌火曜休館)
年末年始、その他陳列替え準備のための臨時休館あり
入 館 料 一般 1000円(団体800円)
高・大生 500円(団体400円)
小・中生 200円(団体150円)
電 話 03-3467-4527 FAX 03-3467-4537
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