メディアとしての「二十世紀大学出版部」

長谷川 一



 ひとりの男について語ることから始めよう。かれの名はジョージ・パームリー・デイ。今日その名を知るひとは、かれの活躍したアメリカ合衆国ですらごく限られる。だが、百年前を生きたこの無名の人物はまさにいま召還されなければならない。なぜならデイこそは「二十世紀大学出版部」というメディアを枠づけてきた「アメリカ・モデル」の構築に中心的な役割をはたした人物だったからである。デイという証人をとおし「アメリカ・モデル」形成過程に歴史社会的まなざしを向けてみよう。文化の社会学は歴史的でなければならないとはレイモンド・ウィリアムズの至言である(注1)。メディアの歴史的探求は、つねに現在のメディア状況に示唆をもたらしてくれるに違いない。

 「アメリカ・モデル」

 「アメリカ・モデル」の特徴を、「中世以来」のイギリスにおけるそれと対比させて三点にまとめたのは箕輪成男である(注2)。(1)「イギリス・モデル」の大学出版部は商業出版社と競合。「アメリカ・モデル」はモノグラフを主に研究者を対象に刊行。商業出版社とは棲みわける。(2)「イギリス・モデル」では聖書など広汎な読者層をもつ書物によって利益をあげる。「アメリカ・モデル」では赤字は折り込みずみであり、母体大学や種々の補助金による補填が前提。(3)「イギリス・モデル」では印刷機能が主体であるのにたいし、「アメリカ・モデル」では出版機能が主体。
 断っておくが、伝統的な「イギリス・モデル」が近代的な「アメリカ・モデル」へと発展したというような素朴な発展史観は、本稿では採用しない。あらゆる社会的制度と同様に、大学出版部の歴史は、それがあらかじめ内包していた理想像を徐々に発現させてきた過程と捉える本質主義的な立場から把握されるべきではない。そうではなく、「アメリカ・モデル」とは、「モデル」という表現が端的に示すように、つねに言説のレベルにおいてひとつの「規範」として機能してきた事実に留意する必要がある。「アメリカ・モデル」とは大学出版部というメディアの唯一の近代的様態なのではなく、特定の社会的・文化的諸条件のなかでありえたさまざまな可能性のなかから、結果的に選択されたひとつの姿にすぎないのだ。本稿では(2)を中心にその形成過程を見ていこう(注3)

 デイとイエール大学出版局

 デイは1897年にイエール大学を卒業したあと、ニューヨークで実業家として活躍していた。1907年、デイは同じイエール卒業生である友人2人と語らって、出版のための非営利団体、イエール出版協会(パブリシング・アソシエイション)を設立し、『イエール同窓会週報』『イエール・レヴュー』といった定期刊行物を発行しはじめた。翌08年、デイはイエール大学にたいし、大学理事会の出版委員会によって監督される非営利法人という形で、イエール大学出版局ユニヴァーシティ・プレスを設けることを提案し、許可をとりつけた(注4)。デイは資本金や運転資金など25万ドル近くもの大金を出資するとともに、みずから代表に収まることになった(注5)
 デイはものごとの草創期にしばしば現れる多面的な才能をもつ人物だった。イエールの大学出版局をほとんど独力で創設するだけのヴィジョンと実行力があった。大学にその地位を認めさせるにあたってはタフな政治力を発揮し、海のものとも山のものともつかぬ大学出版局の経営を一手に引き受けるだけの度量と、それを切り盛りしていくだけの財政的手腕の持主でもあった。大学出版局は、1910年に大学の一部局として正式に編入されたのだが(注6)、同時に大学はデイを大学本体の収入役に抜擢したほどだった(注7)
 デイはみずからの大学出版局について2冊の著作『イエールにおける出版の新時代』(1914)と『大学出版部の役割と組織』(1915)を遺している(注8)。大学関係者に向かってなされた講演が基になっていると推察されるこれらの小さな書物のなかで、デイはくり返し、大学にとって大学出版部がいかに有用であるかを説いている。
(a)正統性。デイは二つの側面からかれの大学出版局を正統づける。ひとつは、ベンジャミン・シリマンやヘンリー・W・ファーナムといった、イエールにおける出版の先行者たちの系譜上にあるという点。いまひとつは、大学における出版部の歴史的先例の存在である。ここでは、そもそも大学出版部とはイギリスのオックスフォードとケンブリッジ両大学において長い歴史をもつ由緒ある存在であるという点が強調される。アメリカにおける大学出版部はイエールのような伝統ある大学ではいまだ成功していないことをデイは抜かりなく指摘している。
(b)デイは、大学出版部が大学の内部に、組織的にも財政的にも明確に位置づけられるべきであると主張している。大学出版部は、本来的に大学に奉仕すべき存在である。出発時点においてはたしかに個人によるベンチャーとして出発したが、大学における出版事業を継続させるならば、近い将来、出版のための十分な基金に支えられた大学の内部組織として活動できるようになるべきである。大学とは独立した外郭組織とするよりも、大学の一部局とするほうが望ましい。ただし実際の運営にはビジネスのトレーニングを積んだ卒業生があたるのが適当であろう。伝統ある大学では出版は外部の既存商業出版ルートに依存してきた。だが商業出版社が今後もこうした学術的な出版に関心を保ちつづけるかどうかは保証の限りではない。
(c)大学にとって大学出版部には大きな効用がある、とデイは説く。母体大学は教員たちの研究成果をモノグラフとして商業出版ルートよりも迅速に出版することができる。教員は業績がより速やかに認められ、より有利な昇任機会が獲得できる。さらに大学出版局の活動は大学外部に向かってなされるが、同時に大学自体の名前のアピールにつながる。しかも、多額の経費のかかる通常の方法よりもずっと有利かつ広汎に宣伝できる。「大学出版部とは誰も読まない本を出版する組織である」という古くからの戯れ言があるが、イエールの出版物は違う。最先端の学者だけでなく広く文化人の関心を満たすものであるからだ。
(d)こうしてデイは肝心の主題、すなわち大学からの経済的支援の拡充を訴える。かように大学にとって効用大なる存在である大学出版部は、しかしその継続的活動のためには、大学による財政支援が不可欠であり、大学はそのための予算を用意すべきである。残念ながらイエールはいまだ十分な出版のための基金を設立してはいない。「もしイエールが『明知と真理』に与するのなら、明知と真理の普及にも与しなければならない」のだ。
 大学出版部は、大学の一部門としての制度的地位が保証されるべきである。むろん大学から継続的な財政的支援を受けなくてはならない。その一方で、大学から一定の独立性が保たれる必要がある。――相矛盾するこれら諸要件を、「明知と真理の普及」という錦の御旗の下に統一的にまとめあげたのが、デイの論理の真骨頂である。

 「二十世紀大学出版部」の立つ地層

 重要なのは、デイの主張をドグマとして捉えることではない。そうではなく、こうしたデイの論理構築が成立している地層を読み解くことである。結論からいえば、それは、アメリカの大学が紳士教育を中心にした19世紀までの植民地大学的なあり方から、ドイツに範をとる研究至上主義の近代大学の影響を受けて大きく変容を遂げつつあった時代状況を的確に読みとり、そのなかに大学出版部を位置づけることをもって安定的な地位を確保しようと企図したものだった。
 デイの関心がつねに大学に向けられているのは、けっして偶然ではない。デイが大学出版部の有意義性を大学に諄々と説くのは、大学内における大学出版部の位置づけをより明確に、より有利にするためでもあるからだ。「明知と真理の普及」に奉仕する存在としての大学出版部というデイの論理は、1940年代までにモノグラフ出版社というもうひとつの柱を確立して「アメリカ・モデル」としての完成を見る。それは現在にいたるまで一世紀近くにわたって、アメリカ(およびその影響を受けた世界各地)における大学出版部の存在を社会的・文化的に根拠づける「規範」として機能することになった。近代の学術出版において、近代大学におけるフンボルト理念に比肩しうる影響力をもったといって過言ではない。

 「原点回帰論」を越えて

 ところで、大学出版部が困難に直面しているといわれる今日、しばしば「原点回帰」論が唱えられる。たとえば、いまこそ専門書出版へ立ち返れ、などというように。しかしそのときその「原点」なるものの妥当性が問われることは稀である。「原点」とは、あらかじめ「原点」として時間軸上に中立的におかれているのではなく、つねに後のある時点から遡及的に「原点」として設定される。その意味で、いかなる「原点」も、それを「原点」たらしめているパースペクティヴに媒介されてしか存立しえない。大学出版部の歴史に即していうならば、「アメリカ・モデル」を大学出版の「原点」として規範化するまなざし自体が問われなければならない。
 「アメリカ・モデル」では、近代大学を中心とした近代知の布置が安定的に展開することが前提にされている。だが今日経験されていることは、まさにその急速かつ全域的な変容――崩壊とまではいわずとも――である。今日いわれる大学出版部の転換点とは、われわれの投げ込まれている現在の世界を読みほぐし、それを編みなおしていかなければならない契機であるということだ。21世紀の今日デイが現れたとしたら、かれは間違いなく、「アメリカ・モデル」を柔軟自在に読み替えて「二十一世紀大学出版部」という新しいメディアを構想しようとするだろう。
 大学の変化を後追いするばかりが道ではない。大学出版部が新たな知の地平を拓くことに先導的な役割をはたしていく。そうしたことがもっと考えられてもよいのではあるまいか。たとえそれが、いま現在われわれの抱く「大学出版部」のイメージとかけ離れたものになるかもしれないのだとしても。

■ 注
(1)レイモンド・ウィリアムズ『文化とは』小池民男訳、晶文社、1985年。
(2)箕輪成男『歴史としての出版』弓立社、1983年、127−131頁。同じく『世界大百科』(平凡社)の項目「大学出版部」。
(3)詳しい議論は以下を参照されたい。拙著『出版と知のメディア論――エディターシップの歴史と再生』みすず書房、2003年近刊。
(4)G・R・ホウズ『大学出版部――科学のために』箕輪成男訳、東京大学出版会、1969年、69−70頁。
(5)Tebbel, John William, A History of Book Publishing in the United States, Vol. II, The Expansion for the Industry 1865-1919, New York: R. R. Bowker Co., 1975, p. 539.
(6)Kerr, Chester, A Report on American University Presses, The Association of American University Presses, 1949, pp. 20-21.
(7)Kelley, Brooks Mather, Yale: A History, New Haven: Yale University Press, 1974, p. 324.
(8)Day, George Parmly, The New Era of Publishing at Yale, New Haven: Yale University Press, 1914; The Function and Organization of University Presses, New Haven: Yale University Press, 1915. 煩雑を避けるためデイの著作の出典頁を示さない。

(東京大学大学院情報学環・学際情報学府博士課程/メディア論・出版論)



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