大学におけるデジタル化と大学出版
― 編集としての大学出版と大学出版としての教育事業 ―

三浦 義博



 I 大学出版と教科書

 セミナー主題「教育と大学出版」から想起されるものは、教科書、教材、副読本であろう。中でも教科書はこの数年の「日・韓・中大学出版部協会合同セミナー」においても、大学出版にとって重要な位置を占めることが顕著に表現されている(注1)
 大学の教科書は戦後の高度経済成長と団塊の世代を成長要因とし、高等教育の大衆化を背景として、安定的収入を齎してきたが、1991年以降陰りが見え始め、採用返品数の増加や採用部数の減少など、不安定要素ともいえる状況が目だってきた。
 その原因は1991年の「大学設置基準の大綱化」に始まる大学改革であり、社会インフラとして定着してきたインターネットの高等教育機関への導入である。

 II 大学改革の中の教科書

 1991年から2001年の10年間における大学の変化を見ると、509大学、1171学部がカリキュラム改革を行い、541大学、1318学部がセメスター制を導入し、513大学が授業評価を実施し、422大学が単位互換性を導入し、616大学が自己点検・自己評価制度を導入したという(注2)。そしてこのような大学改革の流れの延長線上に2004年度にスタートする国立大学の構造改革が位置している。
 四年制大学のほぼ80パーセントが12年間にわたって内部変化を遂げているということは、日本の大学(高等教育界)全体に継続的な地殻変動が続いていることを意味しており、その余波は大学出版部にも及んでいる。教科書の採用返品増加や採用部数の減少などの不安定要素はこのような状況下で起きていることである。
 そして今、このような大学改革の流れにITという流れが合流し、日本の大学教育はさらに大きく変貌を遂げようとしている。
 IT化は日本の高等教育界においても着実に浸透し「2002年には、すべての四年制大学がインターネットのホームページを持った」という(注3)。日本全国の大学は「社会に対して開かれた大学」としての自己表現手法を得て、各大学独自の教育内容や研究成果あるいは所蔵資料などをホームページ上に掲載することが可能になった。
 1991年以来の大学改革という変化にウェブ(高等教育のIT化)という視点を加えて「教育と大学出版」の近未来的な観測をするならば、現在の教科書・教材(また高等教育機関の研究成果)の表現方法が大きく様変わりする未来変化図が見えないだろうか。この未来変化図が現実のものとなるならば、大学出版部は長年培ってきた書籍編集・書籍出版という機能から、また有形物としての書籍を従来の流通形態に依存してエンドユーザーに販売するというパラダイムから、活動領域の一部をシフトする時期が到来している、と言えるかもしれない。

 III 高等教育機関におけるデジタルネットワーク化と教育のIT化

 日本の高等教育機関の急激なIT化の推進母体としては、「メディア教育開発センター」、「国立情報学研究所」、「私立大学情報教育協会」などを挙げることができる。
 なかでも「私立大学情報教育協会」(以下「私情協」)の動向は、大学出版部の活動領域と深い係わりを持つことが予想される(注4)
 「私情協」は2001年に施行された「著作権等管理事業法」の規制緩和を受け、「著作権・著作者隣接権全般」の「電子著作物権利処理」を行おうとするものである。
 加盟大学は2002年現在で176大学(四年制大学152校、短期大学24校)を数え、加盟各大学によって作製された様々なデジタルコンテンツの大学間共同利用を支援・促進することを活動目的としている。
 「私情協」はデジタルコンテンツの2004年共同利用を目標とし、2003年後半には試行運用を開始するが、国立大学や各研究機関を加盟会員とすること、出版社の書籍情報のデータベース化、デジタルジャーナル化を行うことも活動目的の中に含んでいる。この活動目的に上記の「2004年度の国立大学の構造改革」を重ね合わせて状況の推移を予測すると、「大学におけるデジタル化」は個々の大学の不連続な現象ではなく、日本の高等教育機関を包括する大きな趨勢になる可能性が高いと言える。
 「私情協」は加盟各大学に対して「教科書、研究成果、資料」のデジタルコンテンツ化と積極的な自主運用を求めているが、大学間のインフラの違い、著作権や知財管理、デジタルコンテンツの作製と運営など、加盟各大学に課せられた課題と負荷は大きく、「デジタル大学間格差」とでも言うべき状況が生じることも想像され、ネットワークによる共同利用が全国の大学間で本格的に稼動するまでにはまだ時間がかかるであろう。しかし一方では、早稲田大学の「インターネットを利用したオンディマンド授業」や玉川大学の「ICTを活用した大学授業」など(注5)、デジタルコンテンツを用いたe-learningを始めている大学も幾つかあり、教科書がデジタルコンテンツに変貌しつつある現実も見え始めている。

 IV デジタルネットワーク化の中で大学出版は何ができるか

 このような急激な「大学におけるデジタル化」を目前にして、大学出版部はどのような対応をしようとしているのだろうか。高等教育機関におけるデジタルネットワーク化をリードしているのはIT産業であり、大学出版部はシステム構築の体力・能力両面において後塵を拝しているというのが現実であろう。
 しかし「国立情報学研究所による研究紀要のデジタル化」、「私情協の教育・学術電子コンテンツのネットワーク共同利用(大学におけるデジタル化)」は、書籍媒体と電子媒体が鬩ぎあう「広大な境界領域」を大学と大学出版部が共有することを意味しているだろう。
 大学出版部は今後、書籍とデジタルの共有境界領域において「大学におけるデジタル化」と係わりあってゆくのか、あるいは従来型の書籍出版のみに行く末を託すのか、大きな岐路に差しかかっている。
 「採算ラインいまだ見えず!電子書籍の現状」という見出しで、電子書籍に苦戦する出版業界50社のアンケート調査が業界紙に紹介されているが(注6)、出版業界における「電子書籍」とネットワークによる共同利用を目的とする「大学におけるデジタル化」は異なった視点から見てゆく必要があるだろう。なぜならば出版業界は市場経済の理論に立脚しているが、大学におけるネットワーク利用には市場外経済の理論が働いているからである。
 大学出版部は長い時間をかけて編集・製作の能力、著作権知識、販売のノウハウを培い、蓄積してきた。この技術と能力は出版人が備えている独自の能力であり、研究・教育機関としての大学には不足している部分でもあるだろう。大学出版部は、「書籍出版」を基本的な活動としながらも、一方において「大学におけるデジタル化」に向き合い、書籍とデジタルの広大な「共有境界領域」に分け入り、編集・製作、著作権業務のノウハウを活用・転用し、母体大学と教育事業を展開することが可能であり、このような可能性こそが大学出版部が持っている優位性ではないだろうか。日本の大学出版人にとって必要なことは、世界的な潮流としての教育、学術情報のデジタル化とネットワーク化が日本の高等教育機関においても本格的に始まりつつある、という事実を認識することであろう。そこで起きる変化の兆候は先ず「e-learningのデジタルコンテンツと教科書」という問題としてたち現れてくることが予測される。
 大学出版部は「大学におけるデジタル化」を傍観するのではなく、大学と大学出版部の間に出現する「書籍とデジタルの広大な共有境界領域」に分け入り、大学出版部としての新たな可能性を見出すことも必要であろう。その中で「編集としての大学出版」に「大学出版としての教育事業」という視点を付加するか否かは、大学出版部としての組織運営論の問題として重要な課題となるであろう。

 おわりに

 いまこの報告書を終えるに当たり、思い出すことが二つある。
 一つは2001年の上海セミナーに「通り魔的に出現」した「北大方正」の報告書であり(注7)、もう一つは2002年ソウルセミナーにおける建国大学出版部の朱部長による報告書である(注8)。ITあるいはウェブを必然の方向性として指向しつつ、それでも不明瞭な近未来の大学出版部像に対してわれわれは抑制的でなおかつアグレッシブな全体展望を持つことができるだろうか。確実に言えることは、東アジア三カ国の大学出版部は、わずかな時間差の中で「日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」において提出された様々な課題をそれぞれの異なる状況下で共有し、かつ体験していると言う事実である。

■ 参考文献
(1)「改革の中、発展を続ける中国大学出版社」彭松建(北京大学出版社)、「第四回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」講演録(2000年)、262頁
(2)「教育家庭新聞 WEB NEWS」 http://www.kknews.co.jp/による。
(3)清水建宇「広告月報」MAY2003、9頁
(4)「私情協」の活動については http://www.shijokyo.or.jp/ を参照。
(5)『ICTを活用した大学授業』小原芳明編、玉川大学出版部、2002年。
(6)「新文化」2003年4月24日、第2498号。
(7)「インターネット出版の発展についての分析」周勁(北大方正電子有限会社)、「第五回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」講演録(2001年)、80−85頁
(8)「デジタル時代における韓国の出版環境の変化と大学出版部の志向目標」朱弘均(建国大学出版部)、「第六回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」講演録(2002年)、79−90頁

(東海大学出版会編集課長)



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