フォトグラファーの四季 冬
エーッ! ピストル
堀口 守
写真の修行ならニューヨーク! そしてまず外国人フォトグラファーのアシスタントからだと、大阪からアメリカに単身渡ったのは、25年前の1978年の11月の事でした。トラベラーズチェックを2000ドル、バックパックにはニコンF2を入れ、志と決意を胸に一路サンフランシスコへ。
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ニューヨーク大学の学生証
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しかし到着はしたものの、予約してあったホテルへの行き方が解らない。それならと警官や道行く人に何度道を尋ねても、全く言葉が通じない。学生時代に「日本人になぜ英語が必要なんだ!」と豪語していた自分に後悔しても、ここは既にアメリカ。皆が指差すバスに乗り、ダウンタウンまではたどり着いたものの、今度はホテルが何処にあるのやら。1時間以上歩いた末に、バス停のすぐ近くだったことに気付いてガックリ。日本を発ったときの意気込みも消沈し、最初の1日で、すでに日本に帰りたくなった私でした。
この後、何とか気をとりなおし、当時大人気だったグレイハンドバスでのアメリカ一周写真旅行を敢行。旅行中いろいろなトラブルがありましたが、中でもニューオリンズでの経験は忘れられません。
夜の町を観光していると、大学教授という白人男性に片言の日本語で話しかけられ、車で町を案内してもらう事に。その後、彼のアパートに招待され、ついていくといきなり……。なんと彼はその道の人だったのです。何とか貞操を守り、ホテルに逃げ帰りました。
その興奮がさめやらぬ翌朝5時、次の地へ旅立つため、返金してもらった鍵のデポジット2ドルをポケットにねじこんで、まだ暗い街を歩いていました。途中、1台の車が私の後ろで停止。道を尋ねるのかと思い近づいたところ、そこにはピストルを握った12、3歳の少年が。私との距離は、たったの50センチ。一瞬身体が凍りつきました。車に乗るようにいわれましたが、背中のバックには命より大事なカメラが2台。乗ったら殺されると思い、ポケットに入っていたお札2枚を空中に投げました。雨風で紙幣が舞い、地面に落ちた瞬間、一か八か無我夢中で走り出しました。その瞬間、一発「バーン」……。
「ああ、どこも痛くない、当たらなかった。」私は走り続けました。ホテルまで逃げ帰ったら偶然警官がいたので、一応現場検証へ。ところが警官はたった一言「弾に当たらず生きているから、いいんじゃない。」
こんなことも、ここでは日常茶飯事。日本の治安の良さを再認識すると共に、写真修行に対する覚悟を試されている気がしました。そしてこれが、その後14年も住むことになるアメリカでの第一歩となったのです。
(ホリグチ・マモル/写真家)
筆者の作品は以下のホームページで紹介されています。
http://www.mamoruh.com/
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