大学出版部の彼方へ
― オーストラリア訪問の経験から ―
竹中 英俊
はじめに
6月15日成田発、25日成田着で、実質9日間の豪日交流基金(AJF)第一回出版文化交流プログラムに参加した。このプログラムによって派遣されたのは、私一人であり、AJFの久松晶子さんが同行してくれ、また現地では小池久美さんが通訳をつとめてくれた。
AJFのアレンジメントにより、ブリスベン、シドニー、キャンベラ、メルボルンの四都市を巡り、名刺を交換した数で百人余の文化関係者と、集中的かつ密度の濃い交流を深めることができた。シドニー・ブックフェアへの参加を含め、大学、大学出版部、一般の出版社、知識人・ジャーナリスト、また文化交流組織の方々と会った。
以下、この経験を踏まえて、オーストラリアの大学出版部の現状と試みについて紹介したい。なお、同国には38の大学があり、国立大学はオーストラリア国立大学と若干の専門技術系大学であり、ほとんどは州立大学である。
1 さまざまな試み
今回会うことができた出版社は、初日の16日にブリスベンのジャカランダ・ワイリー、17日にクイーンズランド大学出版部、18日はシドニーでアレン・アンド・アンウィン、19日はシドニー・ブックフェアで西オーストラリア大学出版部、ニューサウスウエールズ大学出版部ほか、23日にメルボルン大学出版部、24日にケンブリッジ大学出版部オーストラリアである。
また、17日にクイーンズランド大学、18・19日にシドニー大学、20日にオーストラリア国立大学、23日にメルボルン大学を訪問し、アジアリンクにおいて「日本の出版文化の現状と大学出版部の役割」と題して講演を行った。さらに18日には、シドニーの有数の古書店であるグリーブックスに行き、各都市では多くの書店を回った。
(1)クイーンズランド大学出版部(UQP)
大学は、ブリスベン川に沿った場所にある。豪日交流基金(AJF)のボードメンバーであり、クイーンズランド大学オーストラリア研究所の理事、そしてオーストラリア学会会長のデーヴィッド・カーター教授のアレンジによって、UQPを訪問し、Deputy General Managerであるグレグ・ベイン氏をはじめ3人の方とお会いすることができた。
UQPは、過去数十年間の活動において、学術的な仕事からフィクションまで含めて、先端的で革新的な活動を続けてきた。特に、現代詩、小説、またアボリジニによる著作の出版を先駆的に担ってきた。さらに、オーストラリア文学、オーストラリア研究、文化・メディア研究そして歴史や政治学の出版においてリードしてきた、という。
UQPは、現在、POD(プリント・オン・デマンド)に力を入れている。大学内に書店部門を併設していることもあり、その一角にPODの施設を置いて、学生の要望にこたえている。今後は、学内の需要だけでなく、世界大のPODに取り組んでいきたいということであった。
小説の売れ行きが落ちていく状況において、新しい出版スタイルを模索しようとするベイン氏の意欲と目の輝きが印象的であった。
(2)ニューサウスウエールズ大学出版部(UNSWP)
シドニー・ブックフェアの会場でお会いした大学出版部のひとつが、UNSWPである。マネージング・エディターのメリー・ハルブメヤーさんによると、1962年に創設された同出版部は、大学に依存しつつも、理事会と専門の管理部門をおいて独立に事業を行っている。「考える人のための考える本の出版」――議論を巻き起こし、社会的・知的な課題に挑戦する本の出版を意図している。ただし、学術書の売れ行きが不振であって、現在、これが大きな課題となっている。
意欲的な出版を目指していく姿勢に共感を覚えるとともに、今後の課題をどうするか、われわれと共通の課題を背負っていることを実感した。
(3)西オーストラリア大学出版部(UWAP)
同じくブックフェアで、UWAPのディレクターであるジェニー・グレゴリーさんとお会いした。1954年に創設された同出版部は、その地域性を生かして、西オーストラリアの歴史、環境、経済、文化を中心に出版してきた。最近は、特に、自然を研究した本に力を入れている。同時に、ほかの出版社と協力して出版の基盤を広げ、児童向けの図書や一般向けの商業的な出版も対象としている、という。
地域に根ざした出版を継続的に担っている自信を感じた。同時に、出版分野の拡大という新しい挑戦を試みていることに声援を送りたい気持ちになった。
(4)メルボルン大学出版部
出版部名に注意を要する。1922年にメルボルン大学出版部(Melbourne University Press)が創設されたが、2002年12月に、その業務を引き継ぎつつ、新しくMelbourne University Publishingが発足した。略称は双方ともMUPである。お会いしたのは、民間出版社から新しいMUPのChief Executive Officerに就任したばかりのルイーゼ・アドラーさんと新しい4人のスタッフ。アドラーさんは、機関銃のように議論と質問を仕掛けてくる。1時間の約束が2時間半。改組に当たって、旧UPのスタッフ2人を除いて、ほかは全部入れ替えた。
組織名を変えるほどの改組の理由は、要するに、学術書が売れず、そのままでは大学出版部の存続が困難になったからである。「読者は少ないのに、大学の先生は本を出したいことに変わりはない。また、大学も学術出版を続けたい。そのためには補助金がなければ無理である。」
そして、新しい方針としては、大学が大学として出版しなければならないものについては大学のサポートを得ることとし、出版部は独自に売れるものを開発して出版し、その利益を還元する仕組みにする。「大学からサポートを受けることは個人的にはうれしくない。」とし、「19世紀型・20世紀型のUPとは異なるものを目指す。」というアドラーさんの意図が成功することを祈りたい。
2 新しい大学出版のモデル オーストラリア国立大学
オーストラリア国立大学(ANU)では、図書館も含んだ部門であるInformation Divisionの方々とお会いした(テッサ・モリス・スズキ教授も同席)。同大学では1986年に大学出版部を廃止している。その理由を直接に尋ねる機会はなかったが、情報部門の学術情報戦略プログラムのディレクターであるコリン・スティール氏の話とペーパーから、大学出版部の現状に対する認識を探ってみると、以下のようになろう。
(1)学術書の原稿はそのまま印刷することができず、リーダブルにするために多大な「報われることのない」労力を必要とする。(Is it really worth the effort?) (2)学術書は需要が少なく、大学出版部の財政(university press finances)に破綻(bankruptcy)をもたらしかねない。(3)そのことは、大学出版部の縮小ないし閉鎖(downsizing or closure)に帰結し、オーストラリア研究の学術出版の未来は、大変に荒涼としたもの(very bleak)にみえる。(4)多くの大学出版部は、自らの大学の研究所の成果の出版に限定していくことになろう。そして、研究成果が公表されないものが増えてきて、まさに "publish or perish" が問われるようになる。(ANUは大学出版部の廃止後、その太平洋アジア研究部の成果の公表は、パンダナス・ブックスに委託して行ってきている。)
以上は大雑把に整理したものに過ぎず、あるいはスティール氏の意図を十分に伝えていない恐れがあるが、学術出版に対する現状認識に限るならば、私と認識を共通にするものがあり、また、オーストラリアのほかの大学出版部の方も、同様な認識を示していた。
その上で、スティール氏は、旧来のUPに代わる「new models」を模索し、そして、ANU Press/(E)Pressの設立を目指している。これについては、十分に説明を受けるに至らなかったが、学術情報戦略プログラムの以下の4つの組織単位をバックとしているところに特徴がある。
(1)情報インフラストラクチャー・サービス。(2)学術(Scholarly)情報サービス。(3)共同(Corporate)情報サービス。(4)学術テクノロジー・サービス
これらのサービスは大学の援助によって行われ、そしてその成果が大学の研究と教育への貢献に還流することを意図しているという。
このANUの試みは大変に興味深いものであり、日本の大学出版部でも大いに学ぶ必要がある。ただし、ANUの試みは、大学の学長(Vice Chancellor)はじめ総体が支援して、図書館の事業と一体となって進めているところに特徴がある。この点、単純にまねることはできない。
3 共同出版の可能性――ケンブリッジ大学出版部
訪問の最終日にメルボルンにあるケンブリッジ大学出版部オーストラリアを訪ね、学術出版のディレクターであるピーター・デブス氏とお会いした。1969年に設立されたオーストラリア支部は、当初は、ニュージーランド、パプアニューギニア、フィジー、その他の島嶼を対象とした流通を中心としていたが、独自の学術書の出版は、1987年から始めた。オーストラリア研究から始めたが、今は、アジア太平洋を対象とした社会科学と歴史とに広げている。現在企画しているのは、東アジア地域の大学の学部を対象とした社会科学の英語によるテキストブックである。英国で出版されている英語のテキストブックは、東アジア地域で使用するには難しい。したがって、独自のものを企画開発している。可能ならば、共同出版を考えてほしい。
港湾地区にある瀟洒で落ち着きのある建物に、それぞれが広々としたオフィスを持って働いている姿をうらやましく思いつつ、日本の大学教育の今後のあり方に可能性を抱いて、デブス氏の共同出版に応えたいと思った。
その後、メルボルン湾に行き、南極に続く青い海を遠望して、9日間の訪問を反芻した。青い空と白い雲そして身のしまる空気に、さらに遠い日本に思いを致した。
4 大学出版部の彼方へ
今回のオーストラリア訪問において私自身は、学術出版において(大学出版においてではない)今後に目指すものは何かについて、かなり明確になったと思っている。それは、「書き手と送り手と読み手が一体となったパブリケーションの世界」をいかに構築するか。参加も離脱も自由な「アカデミック・パブリケーション・ネットワーク」をヴァーチャルに創出して、そこにおけるトランスナショナルなコミュニケーションによって、学術情報が淘汰され進化する仕組みを、今、どう構想するか。これである。
最後に、今回のプログラムを用意していただいたAJFのレオニー・ボクステルさんと久松晶子さん、文化の翻訳者の小池久美さんに、言葉通りの満腔の謝意を表する。
(東京大学出版会)
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