大学出版部の教科書営業
― 東京大学出版会の事例を中心に ―

依田 浩司



 I はじめに

 日本の大学出版部の一般的な出版活動は、研究者を対象とした学術専門書の刊行、一般読者を対象とした教養書の刊行、大学・専門学校の学生を対象とした教科書の刊行の、三つの柱に大別することができるが、本稿は大学出版部の出版事業のなかでも経済的に中心的役割を占める教科書の出版と営業活動に関して、東京大学出版会の事例を中心にした現場からの一報告である。

 II 教科書出版

 大学出版部の出版事業は、大学や専門学校で使用される大部数の教科書を販売する利潤で、少部数の学術書や資料集の刊行を行っているともいえる。東京大学出版会は年間約130点の書籍を出版しており、半分を学術書が占める。2002年度の新刊刊行点数は123点である。そのうち学術書が67点で全体の54.5%を占める。教科書の刊行点数は21点で全体の17.0%である。教科書の分野は人文科学・社会科学・自然科学の多岐の分野にわたっている。幅広い分野の教科書を制作している強みとして、大学の教科書市場のシェアをある程度占めることができて経営的な安定を望める点や、教科書以外の出版企画の可能性が広がる点をあげることができる。一方、採用者の管理が大変であること(採用者の管理については後述する)や、分野に特化した出版社と比べると営業活動に弱点をもつ。大学・専門学校の教科書の枠組みを超えて、国家試験の基本図書として認知されている書籍もある。司法試験受験生の基本テキストとして認知されている『民法I 第二版補訂版』〜『民法IV』(初版1993年〜2002年)、『刑法総論講義 第三版』(1998年)『刑法各論講義 第三版』(1999年)や、気象予報士試験の基本テキストとして認知されている『一般気象学 第二版』(1999年)などがその例である。
 販売実績でみると、2002年度の純売上冊数は65万3143冊である。売上冊数が5000冊以上のものが12点で全体の21.8%を占め、1000冊以上売れているものが145点で、両者を合わせると全体の60.5%を占めている。書目ごとの売上高をみてみると、1点で500万円以上の売上をあげているものが65点あり、全体の42.4%を占めている。東京大学出版会の在庫書目点数は約2000点であるから、全体の3.3%の書目(このなかには教科書以外の教養書・学術書も含まれる)が売上の42.4%を占めているのである。
 しかし、教科書の売上冊数と金額は年々減少する傾向にある。その理由として少子化による新入生の減少や、大学におけるカリキュラム改革などを理由としてあげることができる。1991年に大学審議会が「大学教育の改善について」という答申を出して、大学設置基準の改正が行われた。それにより一般教育課程と専門教育の区分が廃止された。いままで一般教育として、大講義室で大人数の学生を相手にする講義を行ってきた国立大学の「教養部」が廃止され、前期2年間で「教養教育」を学び、後期2年間で「専門教育」を学ぶカリキュラムから、1年次から専門教育も学ぶカリキュラムへと変更になった。またセメスター制の導入により、1年を通しての講義は減少傾向にある。そのため既存の学問分野を網羅した『心理学』や『政治学』といった重厚長大型の教科書は敬遠されつつある。半年で1冊すべての内容を教えることが日程的に難しいからである。学生による講義内容の評価アンケートを実施している大学も増えているが、そこではアンケートで教科書の高額さを指摘されたり、書籍の難易度を指摘されることも教科書の採用減につながっていないとはいえない(注1)。また大学生の書籍購入費の減少も一因であろう。大学生の1ヶ月の書籍代は2520円で、前年の調査より140円の減少である。1992年に行われた調査と対比してみると、1270円(33.5%減)の減少となっている(全国大学生活協同組合連合会『第三八回学生の消費生活に関する実態調査報告書』二〇〇三年より)。

 III 教科書営業

 このような状況下で東京大学出版会は、より強力な教科書の普及のために「教科書目録の作成、配布」「研究室訪問」「献本の送付」「出荷・返品の管理」の四つの業務を教科書営業として行っている。

1 『教科書目録』の作成、配布
 東京大学出版会では『図書目録』とは別に『教科書目録』を発行している。これは大学・専門学校の教科書を中心に収録したもので、年1回発行している。現在発行中の『教科書目録』2004年版は約430点の教科書の書誌情報を掲載しており、今年の10月に2万5000部発行した。そのうち、3000部は現在の採用者に郵送し、2万部は取次店を通じて全国の大学生協や大学売店に配布した。東京大学の研究室や学部事務室のメールボックスへは、編集者とともに訪問して2000部を配布した。また東京大学出版会のホームページ上にも『教科書目録』のコンテンツを掲載している。

2 研究室訪問
 これは、販売部員が『教科書目録』を持参して各大学の研究室を訪問して、採用のお礼を述べつつ新規開拓を図る営業活動である。昨年は『教科書目録』が出来上がった10月から研究室訪問を開始し、30大学300名の先生方の研究室を訪問した。まずは東京大学出版会の書籍を採用してくださっている先生の研究室を訪問し、採用のお礼を述べ講義状況について話を伺う。そこでは採用してくださっている教科書の問題点(例えば記述が古い、難しすぎるといった点)についても詳しく聞きとる。つづいて新規開拓として飛込みでの研究室まわりも行う。あらかじめ生協や学部事務室で先生の在室や研究分野を調べておくとスムーズに対応することができる。訪問した情報はまとめてデータ化しており、サーバ上で編集者も見ることができるようにしている。

3 献本の送付
 教科書の新刊が出来上がると、既刊の類書を採用してくださっている方に献本を行っている。この献本は著者が主体となって行う献本と、編集者と営業担当者が主体となって行う献本がある。前者の代表的な例として『初等解析入門』(2001年)『多変数の初等解析入門』(2002年)の献本営業をあげることができる。「教科書として広めたい」という執筆者の落合卓四郎先生の意向で、各260冊を自費で買い上げて献本送付してくださった。送付先は東京大学の数学科スタッフ、先生の弟子筋・知人である。献本を送付した結果、2点でのべ15人の先生が採用してくださり、初年度1150冊の出荷実績を残すことができた。また後者の編集者と営業担当者が主体となって行う献本の事例として、『政治学講義』(1999年)の事例をあげることができる。販売担当者が編集者と協力して、刊行前から著者の弟子筋の先生方を訪問して、「目次」と「はしがき」を見せて内容を紹介し、採用促進に努めてきた。その結果、38人の先生が採用してくださり、初年度2000冊の出荷実績を残すことができた。
 一方で、採用促進営業がうまくいかなかった例もある。教科書刊行後に著者が講義を持たなくなってしまい、当初の予定より採用数が大幅に減った例や、しばらく品切れになっていた教科書を重版したのだが、採用促進営業がうまくいかなくて、採用に結びつかなかった例もある。しかし、著者以外の先生にも採用していただくためには、長期的な営業活動も行っていかなければならない。通常、著者は刊行後すぐに教科書として採用してくださるが、同じ分野の研究者は著作を自分で読んでから採用することが多い。『地域看護診断』(2000年)のように刊行後2、3年経ってから他大学での採用数が増えてくる書籍もある。

4 出荷・返品の管理
 これは外に向けた営業活動ではなく、日々の業務作業である。教科書の注文や教科書と思われる注文に対して、東京大学出版会では出荷の記録を取っている。「取次」「取次納品日」「生協・書店名」「書名」「冊数」「採用大学名」「採用者名」の7項目のデータを取っている。返品に関しても同様のデータを取り、「書目ごと」「大学ごと」の採用純売数のデータを作成している。作成したデータは教科書需要の予測に利用でき、重版の決定や、採用の促進活動を図る上で非常に役に立っている。また普段の書店営業の手段にも利用している。大学の近辺にある書店への販売活動のツールとして、書店を訪問する際に大学の採用実績を持参して、書店の棚作りの資料として利用してもらっている。このデータ作成作業は毎日の作業であり、新学期前の3月から授業が本格的に始まる5月や、後期の授業が始まる9月は、教科書担当者はこの作業に忙殺され、通常の書店営業に出かけることが難しくなるほどである。しかし、この作業で作成したデータをもとに先に説明した1から3の採用促進活動ができるのである。

 IV おわりに

 以上「書籍」としての教科書営業に関して説明してきたが、最後に、eラーニングを視野に入れた教科書営業について触れておきたい(注2)。紙幅の関係で結論的なことしか記せないが、私は執筆者ならびに採用者との連携を密にしていくことが必要ではないかと考えている。執筆者との連携では、営業が編集に企画をフィードバックするような、大学の「講義」に沿った内容を「教科書」として練り上げていく必要がある。採用者との連携では、内容に関することから将来の採用予定までを綿密に調査することが必要ではないかと思う。日本における大学・専門学校の教科書市場がこれから減少していくなかで、大学出版部の教科書営業も新たな方策を模索していかなければならないであろう。

■ 注
(1)大学改革とそれに伴う編集のあり方の変化に関しては、後藤健介が「日本における国立大学制度の変化と大学出版――東京大学出版会の事例から」(『第六回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー講演録』、2002年)で詳細に論じている。このなかで後藤は「心理学」の学問分野を例にあげ、心理学自体が「知覚心理学」「発達心理学」「臨床心理学」などに細分化し、研究者自身にも「心理学」としての共通のアイデンティティが描けなくなっている現在、『心理学』という書名の教科書を今後どう改訂してゆくべきか、イメージは描きにくいと述べている。
(2)eラーニングについては、植村八潮「eラーニングとデジタル教材にみる出版社の課題」『出版レポート』(2003年4月号、日本出版労働組合連合会)から学ぶところが多かった。

(東京大学出版会)



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