装丁の四季−春
『春と修羅』の装丁
大貫 伸樹
4年間勤めた会社を辞め、不安を抱えながらマンションの一部屋を借り、一人で仕事を始めたころ、この本に出会った。今から25年程前の春先のことである。
宮沢賢治『詩集 春と修羅』
(関根書店、大正13年)復刻版
装画=広川松五郎
特にやる仕事もなくブラブラしているところに、訪問販売員が訪ねてきた。抱えてきた沢山の本を広げ、1冊ずつ丁寧に解説をするのを、暇にまかせてうなずきながら聞き入っていた。独立したばかりで払うあてもないのに、気が付くと20冊ほどもあっただろうか、大部の全集を購入してしまった。食べることだけでも大変な時期にどうしてこんなに高価な本を購入してしまったのだろうか。反省はするがなぜか後悔はせず、すがすがしい思いに満たされた。このとき、衝動的に『精選名著復刻全集』を購入することが、進路を示してくれるような気がしたのだ。なかでも宮沢賢治『春と修羅』の説明には大いに感激させられ、ブック・デザイナーになるという願望を萌芽させてくれた1冊となり、ことあるごとにこの本には世話になる。
ある日、ふと「『春と修羅』は大変な思いをして制作した」という販売員の言葉を思い出し、その真偽を確かめてみようと思い立つ。印刷は花巻の印刷所で行われたため活字が十分に揃わず、一折ごとに印刷しては解版し、再度その活字を使いながら印刷したというが、どこかにその証拠があるはずだ。そう思って、比較的使用頻度の高い「五」という文字を全部のページから拾いだし、拡大コピーした。
最初に印刷された「五」と、最後に印刷された「五」を比較してみると、同一活字が何度も使われ、明らかに摩耗し、活字の一部が欠損していくのがわかった。装画を広川松五郎に依頼し、布や本文用紙を手配したりと、この本に注いだ情熱を知り、賢二の世界を少し理解できたような気がしてこの本がさらに好きになる。大切に印刷された本文用紙を慈しむかのように表紙は本文紙寸法より一センチほど大きく作られた。持ち歩くときには大きめの表紙が三方の小口を保護するように折れ、中身を守る。タレ表紙と呼ばれ、聖書や教典などによく用いられる様式だが、まるで本に人格を感じているかのような本に寄せる思いやりに、本作りの神髄を感じ感激させられた。
装丁を専業にしてみたい、と思う気持ちはこのころからますます強くなり、それまでの広告業の収入を絶ち、新たな世界へ飛び込む決断をした。日々の仕事に追われながらも、この数年間、本棚の『春と修羅』を眺め希望の成就を願い続け、やっと胸の中で発芽のチャンスを窺っていた種が、地面を割って夢に向かって動き出した。『春と修羅』はそんな淡い思いを彷彿させてくれる一冊だ。
(おおぬき・しんじゅ/ブック・デザイナー)
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