「二一世紀的教養」を求めて
北川 東子
不可解さとの格闘 ―― 個人的体験
「現代思想」やドイツ語など、いわゆる教養課程の授業を教えて19年。この19年間というものはずっと大学に入ったばかりの若い人たち、こちらが息苦しくなるほど生なまな人たちを教えてきた。教育はなんといっても、生身の人間相手の仕事で、こちらも生身の人間だからうまくいったりいかなかったり、ずいぶん悩んだ19年間だった。そして、私にとっての暗中模索のこの19年間のうちに、教養教育はいくつかの変動の波に見舞われた。だから、私の身のうちには「教養教育の動き」を感知するささやかなセンサーがあって、ときどきそれが打ち震える。
最初の頃は、漠としていながらも高邁な「教養理念」に、ひたすら振り回されていた。はっきりした教授法もわからない。研究室も設備もない。あるのは、素晴らしい古典のコレクションと、すごい緊張感だけだった。あの頃、私の悩みを聞いてくれた人たちには本当に感謝している。ドイツの知り合いにも相談したものだが、しょっちゅう聞かれたのは「達成目標はなにか」ということだった。達成されるべき目標がはっきりすれば、なにをやるべきかがはっきりするのかもしれない。ひとつの不可解さに直面したとき、人間が行う合理的手続きである。
けれども、この問いに答えることは不可能に思われた。知識でも方法でもない、「教養」を教えるとは、なにを教えることか。一切の実用性からかけ離れたような教育。私には、必然性も目標もわからない。わかっているのは、若い人たちが一度はこの不可解さを通過するという事実と、この不可解さに多くの人々が、この年もあの年も何度となく、教える立場から、そして教えられる立場から直面してきたという歴史だけである。私のセンサー自体が、めちゃくちゃ振り回される。振り回されているうちに、この「ないもの尽くしの教養教育」が、実は、人間のもっとも知的な想像力を刺激するのではないかという気がしてきた。必然性のないところでは必然性を創り出す作業が求められる。だから、「異文化を理解する」とか「純粋理性の訓練」であるとか、ドイツ語の授業に「教養」のオーラをまとわせる魔術も許された。実際、稀にだが、なにか理念的な次元を共有しているという感覚が生まれ、若い人たちとの不思議な共同性が生まれることがあったのだ。
しかし、じきに、教養教育はこの不可解さのベールを脱ぎ捨てて、はっきりとした輪郭をもった顔を見せるようになる。きっかけは、「大綱化」にともなう教養教育の改革。コミュニケーションに重点を置いた実用語学教育が始まり、『知の技法』シリーズが出版された。「教養」に定義が与えられた。教養は、「技法」であると。コミュニケーションの技法であり、ディベートの技法であり、論文作成の技法である。つまり、「知の技法」であると。この天啓に、私はどんなに安堵したことであろう。多くの疑問が消え、教えるべき事柄が明確になり、不可解さとの格闘が無用となった。まだ一抹の不安はあったにしても、「教養」ではなく「技法」を教えることは可能なように思われたからである。ちょうど、狂気のようなバブル経済が過ぎ去り、誰もが成り上がりの怖さと足元の脆弱さを教えられた時期だった。おとなしくなり真面目になった若い人たちと、「できるようになる」「使えるようになる」ために教育する日々が始まった。私のセンサーは小さなブレしか感知しなくなった。
新しい兆候
ところが、今また、私のセンサーが大きく反応している。「ゆとり教育」のあおりで理系の基礎教育のやり直しが必要となり、基礎教育の充実をめざして大学の教養教育自体が揺れているのだから、当たり前のようにも思われるかもしれないが、私のセンサーはもっと大きな波でも揺れている。
最初の兆候は、若い哲学者仲正昌樹さんとの会話だった。「若い学生さんたちが教養を求めていますね。」という仲正さんの指摘に、正直びっくり。「えっ! 今さら、どうしてなの?」と聞き返すと、「教養みたいなものがないと人間をやっていけないのですよ。今の日本のような社会では、贅沢を言わなければなんとか生きていける。でも、ただ、ぼんやりと生活して食べていくだけでは、動物の生活になってしまう。だから、人間をやっていくには教養が必要だということは、若い人たちにもわかっているようですね。」
この最初の兆候をきっかけに、いくつかの波が感知された。
台湾・国立政治大学の藤井志津枝さんとの話し合いでも、「教養」が問題になる。日台交流史や台湾の原住民族の文化について研究を行っている藤井さんは、さまざまな横断を行っている人である。ふたつの言語とふたつの文化だけでなく、ふたつの国籍のあいだも軽々と渡ってしまう。そして今、彼女はもっとも大きな横断を行おうとしている。環境破壊や軍事破壊にさらされた現実の地球空間と、原住民族の生活形態のなかにかすかな記憶として保存されている人類的な生命の空間との間を横断しようというのだ。そのために人間の精神をもちいての「空間との実験」が必要で、「教養」はそれに関わるような知的営みになる。「精神的な空間で、現実の空間を覆い尽くすことが大事なのですよ。」
そして、『知の技法』の小林康夫さんも「教養」を話題にする。彼は、「二一世紀的な」という形容詞を使う。二〇世紀が、専門的な知識と情報の蓄積というかたちでの教養をめざしていたのであれば、二一世紀の今は、別のかたちの教養が求められている。「やっぱり、二一世紀に生きているという実感はあるよね。」
長年、ドイツ語を通して教養教育に携わり、ミュンヘン大学名誉評議員である辻■(王+星)さんが、やはり「教養」を論じる。「教養」という言葉は、ドイツ語のBildung(形成・育成)に対応する。辻さんによれば、ドイツ語の「教養」にはふたつの背景があるらしい。まずは、後進性。「近代化の後進国ドイツは、ないもの尽くしの状況で、人的資源を育てることで産業化を始めるしかなかった。この事情が、教養教育の背景なのです。」そして、教養の破壊性。「既存の制度内で通用する知識の受け売りでは駄目ですよ。それをもってくれば何かが壊れるような知識であり、破壊が創造につながるような枠組みでなくては……。」
最後に、新しい身体教育の実現のために奔走している身体運動科学の跡見順子さんが、情熱的に「文理融合型・教養教育」について語る。遺伝子レベルでの解明が急速に進んでいるなかで、「人間」という視点がますます希薄になっていく。先端研究と教育とを結びつける鍵は、「身体運動を通して人間を教育する」ということにしかない。「学生の反応を見て御覧なさいよ。ねずみの解剖で筋肉のメカニズムを理解する。そして、実際に自分で走ってみる。走った後で、身体を動かすことで自分の脳が活性化されることをデータで確認する。」ばらばらの情報系が「自分の身体」を入れることでひとつにまとまる。「教養」とは、結束点を発見することだ。遺伝子と自分を結びつける、動くことが動かされることであるのを知る、筋肉の反応と意思の動きを結びつける。
こうした兆候のすべては、「二一世紀的教養」のありかたを示唆している。けれど、「二一世紀的」というのは、二〇世紀の改革のはてに出てくるなにかではない。今、大学やその周辺にいる人間を突き動かしているのは、危機の感覚であって、改革的な感覚ではない。私のセンサーがとらえた兆候のどれもが、「二一世紀的教養」とは、国際的な破壊の流れのなかで生き延びていくための人類的な智慧のことであり、あるいは少なくとも、この智慧を可能とする知的戦略であることを暗示している。
(東京大学大学院総合文化研究科教授)
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