古書のある風景 1
香り立つ十八世紀
村井則夫
長い時代を経てきた古書は、その世紀独特の香りを身にまとっているようだ。私の部屋で少々古めの書物を収めている書棚を開くと、何とも言えない不思議な匂いが仄かに辺りにただよってくる。古い子羊皮やモロッコ皮、ヴェラムなどが放つ独特の匂いなのだろうが、新しい皮とは違って、動物の生命を思わせる生々しさは感じられない。かといって死の香りというほど陰に籠ったものではなく、むしろさばさばとして、時代の流れを生き抜いたしたたかさに裏打ちされた、それなりに味のある匂いである。関心のない人からするとただ単にかび臭いだけの骨董の匂いなのだろうが、私などは、ああ、これこそ十八世紀の匂いだなどと、変に納得して、時代の空気に触れたような気分にもなる。
世紀をまたいだ古書として、最初に入手したのはホガース『美の分析』The Analysis of Beautyの第二版(1772年)だったと記憶する。この書物の特徴は、本文での美学理論を図解するために、ホガース自身の図案による二葉の大きな銅版画が付されているところにある。その図版は、十八世紀的な美の理想とみなされた滑らかな蛇状曲線のさまざまなタイプを並べて提示するサンプル表であると同時に、それらのS字曲線を実際に組み合わせた一幅の絵画にもなっている。古書の「現物」を入手し、折込みになっている図版を開いてみてまず驚いたのは、その銅版画の刷りの明瞭さであった。それまでも複製などでは幾度も目にしたことのある図版ではあるが、これほどまでに鮮明に彫の線が感触できるというのは驚愕であった。圧が加わって紙面に食い込んだ線は、思わず指でなぞってみたくなるような生々しさをもっている。版画というのは、けっして「平面」ではなく、むしろしっかりとした厚みをもった「立体」であるということを意識させられる経験でもあった。さまざまな意味や物語りを詰めこむホガースの版画は、「見る」のではなく「読む」べきものだと語ったのはチャールズ・ラムだが、それに加えて、版画の現物というものは、実際に指で「触る」べきものでもあるらしい。それは本文の印刷に関しても同様であって、当時の鮮明な活版印刷は、古書として古びて見えるどころか、むしろその揺るぎない鮮やかさでしっかりと目に焼きつく。
私の入手した『美の分析』の装釘は十八世紀当時のものではなく、おそらく二〇世紀に入ってから装釘し直されたものである。もちろん古書の場合、こうしたことはけっして珍しくはない。十八世紀にはいわゆる版元製本(パブリッシャーズ・バインディング)というものが成立していないので、買い手は印刷された紙の束を購ったうえ、職人に依頼して思い思いの装釘を施すのが普通であった。そのため、これが仮に十八世紀当時の装釘であったとしても、書物は基本的に一点ものである。大量生産品でありながら、実際に本としての形を取る際には複数の職人の手がかかり、その書物を世に一つ限りの稀有なものとしている。手元の『美の分析』にしても、十八世紀の本文に二〇世紀の赤モロッコ皮で装釘が施され、John Cranchという人物の蔵書票が添付され、別の版画から取られたホガースの肖像が貼り込まれたうえ、くだんの図版には、おそらく前の所有者の手になるものと思える補強の痕がある。古書というものは、このように多くの人の手に触られることで、由来や来歴という意味でも独特の匂いや香りを塗り重ねていくものらしい。
同じく古書好きのごく近しいある人から、私の傍に寄ると古書の鄙びた匂いがすると言われたことがある。十八世紀の香りを身体に焚き染めているのなら、それこそ身に余る光栄というものだろう。世紀も変わって、二一世紀となったいま、その古書の匂いも一世紀分だけ時の厚みを増したことになるだろうか。
(明星大学専任講師)
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