装丁の四季−秋

ガイドブックの装丁

大貫 伸樹



 自慢できる話ではないが、仕事のサイクルが短いせいもあって、私は、関東圏から外へ旅行をしたことがあまりない。それでも旅行用ガイドブックはたくさん持っている。たとえ近所を散策するときでも、しっかり下調べをせずにはいられないからだ。初めての海外旅行でタイに行ったときは、国の歴史や寺院の由来、宿泊施設や食べ物を調べるなど、その大変さは推して知るべしである。
  
上:中澤弘光ほか『日本名勝写生紀行』第3巻
  (中西屋書店、明治43年)
  見返し絵図:中澤弘光
下:「風俗画報」(東陽堂、明治35年)
  挿絵家:不明

 私が大切にしている蔵書に『日本名勝写生紀行』第二巻、第三巻(中西屋書店、明治40、43年)という古いガイドブックがある。明治38年から45年に作られた全五巻のうちの二巻である。黒田清輝門下で白馬会所属の新進画家たち岡野栄、中澤弘光、山本森之助、跡見泰、小林鐘吉の5人が、紀行文と140点に及ぶ挿絵で案内する。第二巻の巻頭口絵には、個性的な5人の似顔絵が岡野栄の筆によって描かれている。挿絵のうち44点は、夏目漱石『心』の木版を彫った名彫師・伊上凡骨の手になる一頁大の手摺多色刷木版画であり、これらの彩色木版画の挿絵だけでも他には類を見ないほどの豪華さである。第三巻見返しの彩色木版画・京都案内図もまさに圧巻といえる。たかが書物のために5人の画家達に全国写生旅行をさせ、たくさんの絵を描かせるなど、制作費に糸目をつけない太っ腹な企画を断行したのは、当時中西屋の支配人をしていた伊村金之助である。装釘を担当した岡上儀正は、明治6年に印刷局に御雇教師として洋式製本を伝えたパターソンの直弟子の1人であり、伊村はキャスティングにも鋭い眼を持っていたようだ。
 『日本名勝写生紀行』定価4円50銭は、同じ頃に発行された豪華な本として知られる夏目漱石『虞美人草』1円50銭や、明治39年の巡査の初任給12円(『値段の風俗史』朝日新聞社)に比べてもかなり高価で、旅費よりも高かったのではないかと思われる。こんなに豪華なガイドブックを携帯して出かける人とは一体どんな人達だったのか? 当時の旅は、一世一代のイベントだったに違いない。などと思いを巡らしていたら、折しも「風俗画報」(東陽堂、明治35年)に、「旅行」という題の挿絵を見つけた。この旅人がガイドブックを持っていたかどうかは分からないが、旅は裕福な人たちの娯楽だったようだ。この絵を見るかぎり、明治になって自由に旅行が出来るようになったとはいえ、交通の便も宿泊所も治安も悪かっただろうし、懐具合は言うまでもなく体力も必要で、私の海外旅行出発よりもはるかに大変な思いで出かけたのではないだろうか、と他人事ながら溜息が出た。
 遠くに旅するのが億劫な私にとって、『日本名勝写生紀行』は、机上にありながら時空を超えた明治の観光地にまで、画家達が案内してくれる最高のガイドブックなのである。
(おおぬき・しんじゅ/ブック・デザイナー)



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