古書のある風景 3

古版本の語るもの

村井則夫



 世に初版崇拝というものがある。私自身は、何が何でも初版本というほどの特別の思い入れはないのだが、何事にも「初心者の僥倖」というものはあるらしく、18世紀刊本などに興味をもった最初の頃に、「オシアン詩集」(『フィンガル』〔1762年〕、『タイモーラ』〔1763年〕)の初版などを入手する機会に恵まれた。ロマン主義の嚆矢となった著作の初版などを手にすると、200年以上の歳月を隔てて、公刊当時そのままの姿を目にする不思議さに打たれ、やはりそれなりの感慨が湧いてくる。マクファーソンによって公刊されたケルトの古代英雄叙事詩「オシアン詩集」は、そこに謳われる勇壮で壮絶な戦闘、雄大で荒涼たる風景、独自の憂愁と情緒によって、ゲーテを熱狂させ、ナポレオンを魅了し、ヨーロッパの文化的感性を塗りかえるほどの影響を及ぼしたと言われる。こうした経緯を知るにつけ、その発端となった著作の初版には、その後の歴史の潜在的な力が濃縮され、影響の回路がそこから無数に延びているかのような印象を抱いてしまう。
『四季』初版の「春」の寓意画。
自然現象を擬人化して表すアレ
ゴリー的発想が伺える。

 
右:『ニュートン讃』の扉。
  ニュートン記念碑の図版。
左:『四季』初版の「予約者名簿」。
  筆頭にThe Queenの文字が見える。

 初版に限らず、刊行当時の古版本というものは、その版でないと分からないことを教えてくれる場合がある。ここでは、オシアン詩集初版と同時に入手した、トムソン『四季』の初版本(1730年)を取り上げてみよう。神学的・自然学的知見を盛り込みながら、四季それぞれの自然の情景を巧みに描写し、自然の秩序や精妙な機構を称えた『四季』は、ハイドンのオラトリオ『四季』の底本になったほど人口に膾炙し、多くの版を重ねた作品だが、その初版の四折版には、それぞれの季節を表す堂々たる銅版図版が付されていた。しかもその図版は、単に詩の一節を忠実に図解するというよりは、春夏秋冬のそれぞれを寓意的に表しており、感性の点では17世紀のバロックの余韻を響かせながら、絵画の様式の点では18世紀な雰囲気をもった独特のものである。これを例えば、19世紀に出された『四季』の刊本に、当時の挿絵画家として有名なストザードが付した図版と比べると、その感性の違いは一目瞭然である。時代による作品の受け取られ方の相違が、視覚化されてまざまざと看て取れる。
 『四季』初版の図版左下には、その原案作者として、18世紀の英国式庭園の全盛期にあって、つとに令名の高かった造園家ウィリアム・ケントの名が刻まれている。当時流行のピクチャレスク美学とも因縁浅からぬ人物の名前をこのようなところでも目にすると、当時の文化状況が網の目のように入り組んで、あちこちで接触している様子が実感できる。実際のところ、『四季』の本文には、シャフツベリを始め、当時の著名人に対する言及が随所でなされ、「春」の部では、ニュートンの『光学』にもとづいて、虹の発生の自然科学的な記述までがなされている。そのために「春」の図版では、画面を横切って燦然と輝く虹が描かれることとなったのである。それにとどまらず、この『四季』初版には、ニュートンに対する賛歌が一緒に印刷され、その中扉にはニュートン記念碑の図版までが添えられている。詩集とニュートン、文学と科学という結びつきが何の違和感もなく受け取られ、一冊の書物として綴じ合わされているところに、まさに18世紀的感性が如実に表れているとも言えるだろう。
 さらにもう1点、『四季』の初版には、現在の出版物には見られない「予約者名簿」という出版上の習慣が残されている。18世紀半ばの出版では、事前に予約者から資金を募って出版資金に充てるというかたちが取られていたが、その予約者の名前が一覧表として巻頭に掲げられているのである。『四季』の予約者名簿の中には、政治家ボリングブルック卿や、文学者ポープ(しかも3冊予約)などの錚々たる人物が名前を連ねている(その筆頭は「女王」である)。これなども、この刊本のみがもつ、時代状況を伺わせる情報と言えるだろう。本文テクストのみを見ているだけでは気づかない種々の繋がりを、古版本は読者の耳元で囁いているようだ。
(明星大学専任講師)



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