古書のある風景 4

雄弁な扉

村井則夫



 「もの」としての古書の魅力は、それが出版された当時の雰囲気を濃厚に発散しているところにある。本文テクストそのものは、後に出版されたモダン・エディションで読むことができたり、あるいは批判版によってより信頼の置けるテクストが入手可能な場合であっても、初版やそれに近い版は、同時代のもの特有の要素を身にまとっている点でかけがえがない。そのような意味で、古書を古書らしくしている要素には、時代によってさまざまなものがある。もちろん最も分かり易いのは、木目状仔羊皮トゥリー・カーフや斑模様仔羊皮スペックルド・カーフで包まれたその装幀だろうが、もう1つ目を引くものとして、18世紀中頃までの書物にかなりの割合で挿入されている巻頭の扉画がある。書物に挿入された挿絵の一種ではあるのだが、個々の場面の図解や埋め草的な装飾模様(ヴィニエット)とは異なり、著作全体の理念を象徴的に絵解きするのが、この寓意扉画という習慣である。17世紀のバロック期にとりわけ盛んであったが、18世紀頃の著作でも多くの場合この習慣がなおも踏襲されている。そして、その図案の原案作者や銅版画の彫師としては、当時の名だたる人物の名前を見いだすこともできる。
 例えば、ここにエラズマス・ダーウィンの『植物の苑』(The Botanic Garden 1791年)がある。著者は、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの祖父にして、彼自身も八面六臂の活躍をした18世紀の知的巨人である。『植物発達の営為』と『植物の愛』を組み込んだ彼の『植物の苑』の巻頭には、「諸元素に取り巻かれたフローラ」という寓意扉画が付されている。この扉画の原案作者は、フロイトが好んだ絵画『夢魔』の画家フュースリである。植物の女神である「フローラ」はここで目の前に鏡を掲げられ、自らの姿を見つめ、その周囲には火の精サラマンダー、地の精ノーム、水の精ニンフ、空気の精シルフが配されている。「鏡を見つめる女性」という図像は、古代より「知恵」の寓意画エンブレムとして用いられているが、ここではそれが自然を象徴する「植物」の女性像に託され、自然に関しての「省察」の場としての「植物の苑」を象徴している。このような寓意画で表されたダーウィンのこの作品は、宇宙の創生から始まり、地質学的考察から、動植物や鉱物に関する博物誌的記述を盛り込み、溢れんばかりの饒舌な形容によって飾り立てた壮大な宇宙誌となっている。いわば科学版『神曲』、あるいは18世紀版ルクレティウス『自然学』とでも言えそうな作品である。「理論的」知見をこのような詩作品として表し、しかもその全体を象徴する一幅の寓意画が作られるというのは、18世紀においてはかならずしも珍しいことではない。むしろ文学と思想、理論と芸術が往来するというのが、18世紀の知的な環境を豊かなものとしていた。
 領域の越境という点では、科学と神学も例外ではない。例えば、トーマス・バーネット『地球の聖なる理論』(Telluris Theoria Sacra 1680-89年)などは、近代地質学の出発点となった著作ではあるが、その標題にも示されているように、それは純然たる「科学的」著作ではなく、むしろ聖書の「創世記」の記述を理論的に確証し、神の栄光を讃美するための「神学的」性格を色濃くもっているのである。そのため、その巻頭に付された寓意扉画も、地球の発展段階を円形に配列し、その成立過程を表しているものの、その頂点に立つのはやはりキリストである。こうした寓意画も、近代初頭における諸学の交流のさまを視覚的にはっきりと見せてくれる。
 われわれが当然のようにみなしている理論と芸術、学問と文学、神学と科学といったような垣根がいまだ足枷とはならず、その領域のあいだを自由に往き来する精神が横溢していたのが、18世紀という時代であり、そのことを印象的に示しているのが、書物に付された寓意扉絵であった。現代から見ると未分化で未発達とも思われがちなその意匠の内には、知の力を枯渇を防ぎ、芸術的な想像力をも知的なエネルギーに変換していくきわめて精妙な装置が組み込まれていたようだ。
(明星大学専任講師)



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