何が変わったのか ― 国立大学法人化
横山晋一郎
4月1日を期して、全ての国立大学は法人化された。明治時代の帝国大学の創設、戦後の新制大学の発足に匹敵する大改革だ。
全国立大学法人には、役員会が設けられ経営協議会と教育研究評議会が置かれた。メーンバンクが決まり、監査法人が決まり、国から現物出資という形で資本金が定められた。大学の管理運営体制は、私立大学=学校法人に近いものになり、大学の本部機能、学長権限は飛躍的に強化された。職員は非公務員となり、大学病院では超過勤務手当を巡る混乱も起きた。予算の仕組みや、学内の資金分配のルールも変わった。外部から経理のプロを招き、毎月の資金管理を厳格化した大学もある。
多くの大学は、地域社会に貢献する組織を作り、知的財産の管理に乗り出し、産学連携に意欲を示している。大学の広報マインドも高まり、新聞紙上では、大学発信のニュースが一気に増えた。国立大学がやけに元気になってきたな、というのが昨今の感想である。
こうした大学の変化は間違いなく、学生にも伝わっているようだ。大手予備校の河合塾が、OBの現役学生を対象に「法人化で変わった点」を尋ねたアンケートに、そのあたりの事情が垣間見えるので、その一部を紹介しよう。
【教育体制の充実】
・成績評価方法が厳しくなり、保護者に成績表を送付
・学生の授業評価に加え、教員も他の講義を見学して評価
・教員任期制の導入
・各学部でJABEE等の教育評価認定を受ける
・授業数確保のため夏休みの開始が遅くなり、土曜日が授業振替日に
・薬剤師国家試験の合格率向上のため、成績不振学生には集中講義を設定
・学長と直接話ができる学長オフィスアワーが新設
・優秀な学生の表彰制度導入
・資格試験受験の支援体制が充実、予備校の講演会も増加
【学生サービスの充実】
・就職情報の提供が積極的になった
・就職に関する情報をメールで配信
・学生5人に教員1人のチューター制導入
・学生課が学生支援課に組織改革
・事務の受付時間が延長され、事務員の態度が良くなった
・教室に冷房が入った
・学内に銀行のATMやレストランができた
【その他】
・実家に授業料の督促通知が行くようになった
・休学中の授業料が、全額免除から一部納付に変更予定
・産官学連携の取り組みが増えて、教員や企業向けセミナーも増加
・大学講堂の一般向け貸し出し
・図書館の地域開放
・一般向けの夜間講座などの充実、一部有料化
こうした報告からは、学生がきちんと勉強する環境作りに腐心する一方で、産学連携や地域貢献に取り組む国立大学法人の意欲が感じ取れる。また、授業料の督促、減免基準の厳格化を始め、備品管理の見直し、節電の呼びかけなど、コスト意識の高まりが窺える報告もあった。対外宣伝に力を入れる大学もあった。4、5月のアンケートということを考えると、なかなかの対応ぶりと言えよう。
ただ、改めて考えると、こうした施策の多くは、何も法人化しなくてもできたことであることに気づく。法人化というショック療法が、意識改革をもたらしたことは評価すべきだが、それは今までの無策の裏返しとも言える。なるほど、これが法人化効果か、というインパクトとしては、いささか心許ない。
法人化で大学はどのように変わったのか、東京大学の佐々木毅総長に尋ねたことがある。「学内のいろんな意見が総長以下、執行部に向けられるようになった。今までは文科省のせいにしていれば良かったが、これからはそうはいかない。おかげで学内の問題点がたくさん見えるようになった」
東大では毎週2回、総長以下、副学長や理事、副理事、監事ら十数人が集まって拡大役員会を開き、研究・教育の問題から産学連携、職員の採用まで、大学運営に関するあらゆることを議論しているという。議論百出、いつも予定時間をオーバーする。
一方で、この夏の概算要求作りでは、若手教授・助教授クラスからなる評価委員会が、各部局が執行部に要求を説明する場面に陪席、個々の要求を評価して、大学としての概算要求をまとめた。大学のマネジメントが大きく変わりつつあるのは間違いない。
だが、法人化の渦中にいる佐々木総長でさえ、「少なくとも1年はたたないと、法人化後の国立大学の姿は見えて来ない」と話す。国立大学財務・経営センターの天野郁夫教授も、「2004年4月1日はゴールでなくスタート。変化が出てくるのは、これから」と指摘する。どうやら、法人化で、国立大学が変われるのかどうか、本当の勝負はまさにこれから、というのが実情のようだ。
ところで、国立大学を取材していて、どうも気になるところがある。法人化のポイントの1つが、外部人材の登用であった。役員や監事、経営協議会委員、学長選考会議委員として、多くの外部者が大学運営に関わるようになった。だが、こうした外部の人材を大学はきちんと活用できているのだろうか。あるいは、活用する意志があるのだろうか。
経営協議会委員に話を聞くと、大学側から膨大な資料が次々と示され、その説明だけで会議が終わってしまうという話をよく聞く。
お茶の水女子大では第1回の協議会で、学内諸規則等の資料を次々と示し、同意を求めたため、外部委員の1人が、「大学側の資料を追認するだけの会議なら出る必要はない」と立腹する場面があったという。法人発足直後の混乱はやむを得ないとしても、今後、経営協議会が、何をどう議論していき、学内運営でどのような役割を果たせばいいのか。その位置付けを決めることが、意外に難しい気がする。
「次年度の予算をじっくりと議論したい」「中期目標・中期計画を見直したい」「能力別給与の導入をしたい」……。大学運営の根幹に関わる部分への積極関与に、意欲を燃やす委員は少なくない。一方で、大学からは、「大所高所からの議論を期待している」「細かい話を議論する場ではない」といった声も聞かれ、どうも両者には温度差があるようだ。開催も年に4、5回程度というところに落ち着きそうで、かつての運営諮問会議とどこがどう違うのか、今後の成り行きが大いに注目される。
経営協議会以上に難しいのが、学長選考会議だと思う。それぞれの国立大学は、その歴史の中で、独自の学長選考ルールを確立して来たが、共通の大原則は、学内の選挙で学長を決めるということである。だが国立大学法人法では、学長は学長選考会議が学長候補者を選考することになっている。単純に読めば、学内選挙を実施する必要はない。
だが、それでは大学の内部はもたないのは明らかだ。大学自治の問題にも関わる。そこで、多くの大学はなるべく従来の慣例を尊重、温存できるように、知恵を絞っている。しかし、あまり旧来の慣例に拘ると、学長選考会議の外部委員の存在価値がなくなる。学内選挙の結果を追認するだけなら、とんだ茶番だという声が強まりかねない。実際、北海道大学では学外委員から、学内選挙不要論が飛び出したという。
9月末、東大の総長選挙が行われ、現職の佐々木総長を破って、小宮山宏副学長が次期総長に決まった。ここで注目したいのは、東大は、小宮山氏769票、佐々木氏536票という学内選挙結果は公表したが、総長(学長)選考会議がどのような観点から、次期総長を選んだのか、一切公表しなかったことである。選考会議議長の森亘元総長は、記者会見で質問が出ても、この点に必ずしも明確な見解を示さなかった。一体、何のための選考会議だったのだろうかと、思わずつっこみたくなる対応だった。
良い意味でも悪い意味でも、東大は全ての国立大学のお手本、という側面がある。東大の出方をじっと見ているのである。法人化初の東大の総長選びで、選考会議が意思決定に至る根拠が示されず、旧来型の学内選挙結果だけが公表された意味は大きい。おそらく似たような現象が、各大学で次々と起こるはずだ。
だが、前述したように、選考会議の役割が曖昧な状態が続けば、外部委員の不満が高まるのは避けられない。それでなくても、外部委員には、要職にあって多忙な人たちが多い。自分たちが単なる学内意向の代弁者、追認者の役割しかないとわかったら、とたんに、経営協議会、学長選考会議への関心を失いかねない。いや、関心を失うどころか、国立大学法人制度そのものに懐疑の念を抱き、大学人の旧態依然たる意識構造に不満を持つようになるかもしれない。そのような声が広がれば、国立大学法人は何をしているのだ、こうなればもう一度制度を見直し、一気に民営化=私学化するのもやむを得ず、などといった話が、再燃・拡大する可能性もある。
このように考えると、経営協議会、学長選考会議の外部委員をどう生かすかは、国立大学法人制度の行く末を、大きく左右する問題だということがわかる。
確かに、大学の立場から考えれば、国立大学法人法で義務づけられたから、外部人材を招いたのであって、本心から歓迎できる存在ではないというのが、本音なのかもしれない。実際、大学の特殊性、企業と大学の違いを考慮せず、「民間企業ではこうなっている」「企業のやり方はこうだ」といった具合に、民間風を一方的に吹きまくる外部委員もいると聞く。できれば、実際の意思決定から遠ざけたいという“深層心理”はわからないでもない。
だが、そうだからと言って、あまり外部人材をおろそかにしていると、とんでもないしっぺ返しを食らうおそれがあることは、先に述べた通りである。外部意見と内部論理に、どう兼ね合いをつけていくのか――。それは、大学が本当に社会に開かれた存在になるために避けては通れない道筋である。
実は、これこそが、国立大学法人制度が当面抱える、最大の課題だという気がしてならない。
(日本経済新聞社編集委員)
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