はたして紙はなくなるのか?
天谷 幹夫
当社がインターネットでの電子書籍の販売を始めて丁度10年になります。社名のパピレスは、将来紙が不要になる、すなわちパピルスがレスになるだろうという意味で付けました。しかし、本当に紙がなくなるかどうかは人によって意見が異なります。
「パソコンで本は読まないでしょう……」さすがに最近、ここまで言い切る人は少なくなりました。でも、5、6年前は、いろんな人によく言われたものでした。時がたつと人の言葉も変わるもの、今、皆さんが言われるのは、「電子書籍は増えていくでしょうが、紙を駆逐するとか、そんなことはありえない。紙と共存するか、あるいは紙を補完するものとなるでしょう……」です。ただまれに、「10年後に、出版物のほとんどはデジタル化される」と言われる方もいます。デジタル化はどこまで進むのか、はたして紙はなくなるのか。未来は誰にも分かりませんが、過去を見れば未来が分かると言います。このため、過去に遡って出版の歴史を俯瞰すれば、今我々が直面しているデジタル化の時代を見通せるのではないかと思い、その歴史を調べました。
出版の歴史を紐解く第一弾として、まず文字がどのように誕生し、発展していったのかをみました。文字は今から約5000年前に都市国家を築いたシュメール人により発明されたといわれます。当初は巨大・複雑化する国家を治めていくのに必要な税の徴収、財産管理、情報伝達など実用的な記録を残すために考案されたのです。文字が人間の記憶を補助するだけでなく、時空を超え人々に思想や感情をも伝える文学表現として多用されるのは後代のこと。「必要は発明の母」だったようです。
文字は視覚的な媒体に記録されることで次第に強力なコミュニケーション手段となりえました。ただ誰もが扱えるものではなく、書記と呼ばれる特権階級しか操ることができませんでした。書記は税を免除されるなど一般民衆とは違った特別待遇を受けていました。そのため立身出世タイプの若者は書記になることを目指し、書記養成学校では現代さながらの受験戦争が繰り広げられていたようです。
情報をより広く客観的かつ抽象的に伝える文字は都市国家に広がり、多様化していきました。シュメール人は粘土板に刻んだ楔形文字を用いましたが、エジプトではパピルスに記した象形文字、中国では亀の甲に刻んだ甲骨文字が出現しました。欧米人には絵と映るらしい漢字は、絵文字の形をとどめた表意文字として現存する古代の遺物だそうです。
ただ最も広く使われたのは言葉の持つ音をそのまま表記する表音文字でした。表音文字は記録しやすいだけでなく、異文化の言葉を簡単に取り込むことができたため、様々な人々との交流に都合がよかったからです。それが現在世界中に流布しているアルファベットの誕生につながっていきます。
文字文化の発展の一方で、かつてシャーマンとして国家に君臨していた語り部たちの地位と声による伝承文化は次第に失われていきます。文字は記憶に優れた特殊な人々を必要としなくなったのです。さらに安価で便利な媒体――紙の普及によって、文字文化は一般民衆にも広がっていくこととなります。
現在では当たり前になりすぎた記録媒体である紙は、紀元前200年頃中国で発明されました。当時まだ紙は主流ではなく、木や竹の札を何枚も紐で繋いで重ねた木簡・竹簡が併用して多く使われており、これらには重くてかさばるという難点がありました。
紀元前91年に完成された52万6500字(130巻)にも及ぶ司馬遷の「史記」も木簡に書かれたそうですが、狭いスペースに重ね合わせてこの膨大な量を書き上げるのはさぞ難儀だったと思われます。出来上がった本を持ち運ぶのも一苦労です。おまけに木簡は文字を削ったり、札の入れ替えや挿入が簡単にできたため、改竄や改変が問題視されていました。
広大な中国を治める王朝にとって、正確に迅速に多くの情報を掌握することは大変重要です。紀元105年、後漢の宮廷に仕えた蔡倫という宦官は、より丈夫で安価な紙の必要性を感じ、休暇を利用してコツコツ研究を重ね、数多くの失敗を繰り返しながらも十数年の歳月を経てようやく紙の改良に成功しました。紙は戸籍や公文書の作成、儒教や仏教など思想の普及、詩歌や物語文学の発展に大きく寄与しました。唐王朝で花開いた律令制による中央集権体制や国際文化の繁栄は紙の恩恵を大いに受けていたと考えられます。
製紙法は国家機密とされたため長年中国文化圏以外には伝えられませんでしたが、8世紀戦争をきっかけにイスラーム世界にもたらされると、そこから遅れて12世紀以降ヨーロッパなど世界中に広まりました。紙は、古代エジプト以来4000年以上も使われてきたパピルスや羊皮紙より様々な点で優れていましたが、何より重要だったのは最も印刷に適する媒体であったことです。
印刷術も5世紀頃中国で発明されました。また意外にも現存する最古の印刷物は朝鮮や日本にあり、いずれも経文でした。印刷術は聖書よりもまずは仏典の普及に利用されたようです。ただ、薄く多孔質の和紙の特性から大量印刷には不向きでしたし、すでに11世紀中国で発明されていた膠泥活字についても、数十万種類もある漢字の文字数や材質の問題から一般に普及するには至りませんでした。15世紀ヨーロッパで紙と印刷術をうまく組み合わせ、一度に大量の本を生産するシステムを作り出し、社会に革命的な影響を与えていったのが、あの有名なグーテンベルクによる活版印刷術でした。
15世紀グーテンベルクのもたらした活版印刷術は、同じ本の大量生産を可能にし、本の価値を大きく変えていきました。手書きで記されていた写本は、数が少なく高価な貴重品であり、修道院や大学の図書館等に鎖付きで厳重に保管され、一部のインテリ層しか読むことができませんでした。それが広く一般に公開される商品へと変貌していったのです。
また、活字本はそれまでの読書スタイルを根底から変えてしまいました。元来本は聴衆に向けた口述を念頭に書かれており、声に出して読まれるのが通常でした。一語一語の意味を噛みしめながらゆっくりと音読していく方法で、言霊の魔術師である雄弁家を育てていたのです。書体や字間が画一化された活字本は、速読や黙読という新しい読書方法を可能にし、声を介さず視覚のみで内容を伝えていくクールな媒体に変貌していきました。
活版印刷術の誕生から200年近くの間、活字化された題材の大半は古い写本でした。そのため当時の聖職者を中心としたインテリ層の多くは、活字本を“携帯可能で便利な写本”とみなしていましたが、一方で、活字本は“我々から言語力や記憶力を奪い、雄弁術を損なうもの”と考えていました。現代ではほとんど信じ難いことですが、「活字本ばかり読んでいると智恵や教養がなくなってしまう」との不安にかられていたようです。
活字本を積極的に受け入れたのは、むしろ新興の商工業者層だったと考えられます。聖書や祈祷書の普及によって手軽に宗教書が読めるようになると教会への不信感も高まり、それが宗教改革者−プロテスタントを出現させていきます。さらに、視覚偏重の均質で固定化された活字空間は、思考の抽象化・客観化・数量化を容易にしていきました。活字に慣れた人々は次第に“神”から離れ、“紙”を信望するようになっていったのです。
18世紀啓蒙主義の時代に著作権法が整えられ、職業作家が出現してくると、活字本は多様化・個性化していきます。言語の主体が自国語に移り、幅広い読者に支えられた読書界が形成されると、それはナショナリズムや個人主義を生み、西欧独特の自由・平等な国民国家思想に結びついていったと考えられます。活字本はもはや近代的知識人にとって“完成された知”になりえたのです。
しかし20世紀以降エレクトロニクスが発展すると、その強固な知の砦を危うくする様々な新しいメディアが出現しました。そしてその波が紙からディスプレイによる表示に繋がるのです。
今の便利な紙が2000年前に出現する以前に、パピルスや竹簡の時代が4000年近くもあったこと。最初の頃の紙は破れやすくゴワゴワしていて使い物にならず、竹簡や羊皮紙が300年以上も併用して使われていたこと。これらの歴史的事実は、デジタル化が進行する現代の状況を客観的に判断するのに大いに役立ちます。現代は、紙とディスプレイが併用して使われる時代です。情報を紙に印刷して本にして持ち歩く時代から、携帯性のあるディスプレイ端末機器にデジタルで保存し持ち歩く時代に、100年以上かけて移り変わる時期と考えられます。
携帯性のある端末機器として、今はノートパソコンや、PDA、携帯電話をイメージしますが、100年後の端末は、薄い下敷きの様な物かも知れません。仮にイーペーパと呼びますが、その中にディスプレイ機能、メモリ機能、通信機能などのすべてが詰まっています。今のディスプレイは、紙の印刷に比べ見にくい、目が疲れるなどの難点がありますが、どんどん進化し、紙より高解像度でコントラストの高い鮮明な表示媒体になるでしょう。一枚のイーペーパでインターネットを閲覧したり、何百冊もの本を読んだりする未来が来るのです。
さらに大事な変革は、情報の流通も紙のような物理的な輸送でなく、ネットワークを介して電子的に行われることです。紙で配布していた時よりも短時間で広範囲に情報を伝達できます。全世界で1億8000万のWEBサイトが立ち、誰もがそれらを閲覧できるインターネットは、従来の情報の流通形態を根底から覆す可能性があります。グーテンベルクの印刷技術が、民主的国民国家への変遷に大きく影響したように、数百年のスパンで見ると、インターネットの普及は、国民国家の境界さえもあいまいにし、言語や文化、距離の壁をボーダレスにした新しい国家をも生み出す可能性があります。インターネットの持つ情報の共有化、双方向のコミュニケーション特性は、情報を紙に固着した時代から、情報がいろいろな人の手により加工され変化する“知の流動化”の時代を推し進めるでしょう。
冒頭で提示しました、紙はなくなるのかという議論は、人それぞれの捉える時間のスパンが異なるから起きるのです。私たちが生きている50年程度のスパンでは、紙はなくならないでしょう。しかし、数百年のスパンでは、新しい媒体に取って代わられることが十分考えられると思います。
(株式会社パピレス代表取締役)
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