オープンアクセス方式学術ジャーナルの動向
― 学術コミュニケーションの危機は解決できるか ―
山本 俊明
「オープンアクセス方式の学術ジャーナルが急増」
メール・マガジン「ホットワイアード」は4月15日号で、「急増する『オープンアクセス』方式の学術ジャーナル」をタイトルに、オープンアクセス(無料公開)方式の学術ジャーナルが急速に成長していることを報じている。
オープンアクセス方式の学術ジャーナルを発行する機関としては、日本でも知られているPublic Library of Science(2誌)やイギリスの出版社BioMed Central(100誌)などがある。スウェーデンのルンド大学図書館が管理するThe Directory of Open Access Journalsによれば、このサイトに掲載されているオープンアクセス方式の学術ジャーナルは、現在1529誌あり(4月15日現在)、論文単位で検索できる数が385誌という。商業出版社のエルゼヴィア社のScience Directが発行している有料の学術ジャーナルが2000誌以上(世界の学術ジャーナルの20%という)、ブラックウェル社のSynergyが750誌、ワイリー社が350誌発行していることと比較すると、読者に無料で配信される「オープンアクセス」方式のジャーナルは世界の学術ジャーナルの実に15%ぐらいとなり、確かに点数の上では学術情報流通の一角を占めていることになる。しかも最近のトマソン・サイエンティフィックの調査では、引用回数では、オープンアクセス方式の学術ジャーナルのいくつかは高い引用率を示している(注1)。いまや学術コミュニケーションの新しいメディアとして無料の学術ジャーナルが数多く発行され、速報性が重視される分野では、オープンアクセス方式のインパクトファクターも高いのである(注2)。
「オープンアクセス」の理念は、読者に無料で学術情報を提供し、また著作権をフリーにするなど、さまざまな障壁を取り払うことによって、研究者だけでなく、教師、学生、また関心を持つ多くの人々に対して学術情報にアクセスしやすくすることである。しかし、学術情報の果たす機能は、多くの人々への情報の伝達・保管だけではない。これまでの学術コミュニケーション・システムは、学術情報の選別というゲートキーパー機能、編集による価値付与、業績証明による昇任、終身在職権の獲得基準、また著名な雑誌に発表し、大学出版部から出版することにより研究者が威信を得るという機能も併せ持っていた。
「オープンアクセス」方式はなぜ登場したのか、伝統的な学術コミュニケーション・システムにどのような影響を与えるのか。
オープンアクセス方式の登場の背景
情報を多くの人々に無料で提供するという意味でのオープンアクセス方式は、インターネットの登場とともにはじまったといっても過言でない。しかし、オープンアクセス方式を「査読を受けた学術情報を、インターネットを通じて、だれにも無料で、いかなる制限も設けることなく利用できるようにする」こと、と定義したのは2002年2月に16人の研究者、出版者、図書館責任者などによって宣言された「ブダペスト・オープンアクセス・イニシアティブ」によってであった(注3)。その後、2003年6月の「べセズダ宣言」、2003年10月の「ベルリン宣言」などで著作権、学術情報の定義が明確にされ、また科学・技術・医学(STM)分野から人文・社会科学にまで領域が拡大され、世界に拡がることにより「オープンアクセス運動」への参加者は増加していったのである。
このようなオープンアクセス運動が登場した背景には、学術コミュニケーションの危機の問題がある。第一は「シリアルズ・クライシス」といわれる状況である。学術ジャーナルを発行している大手商業出版者がその価格を引き上げ、研究図書館が購入点数を削減せざるを得なくなり、さらに学術ジャーナルの価格があがり、結果的に、研究者が研究成果を自由に主体的に発表できなくなった状況のことである(注4)。特に価格の上昇率の大きかったSTM系の研究者たちは、PubMed Centralなどのサイトに学術情報を載せ、無料で公開することをはじめていた。「シリアルズ・クライシス」は、大学、研究者、図書館に学術コミュニケーションの適切なメディアは何かを考えるきっかけを与え、オープンアクセス方式の導入の機会をもたらしたのである。
第二に、特にアメリカにおいて顕著な問題であるが、伝統的な学術コミュニケーション・システムが機能しなくなったという状況がある。学術情報の生産者であるともに消費者である研究者、学術情報を選別し価値付与する出版者(多くは大学出版部と学協会)、学術情報を保存し公開する図書館の三者がシステムの担い手として、学術情報と資金を循環させることにより、若手の研究者は業績証明を得て終身在職権を獲得することができた。また新たなる研究資金を得て、研究し、研究成果を出版するという循環ができていたのである。しかしそのシステムが機能しなくなったことが共通の認識となり、2000年前後から、この三者が共同で「学術コミュニケーションの危機」を主題としたセミナーを開催し、盛んに議論がなされている(注5)。2003年12月には、シカゴ大学など10の大学で構成されるコンソーシアム(CIC)が「人文科学と社会科学における学術コミュニケーション」という主題で会議を開いている。その中で、イリノイ大学大学院長のジョン・アンズワースとアメリカ学術協議会(ACLS)会長のポーリン・ユは、「いささか大胆な提言――われわれは2010年に学術コミュニケーション・システムがどのようなものであることを望むか」という主題の講演をしている(注6)。アンズワースは、人文科学と社会科学における学術コミュニケーション・システムが生き延びまた発展するためには、低コストの学術情報の電子化は避けがたく、むしろ無料で、質が高い、査読された学術情報を提供できるオープンアクセス方式を導入するべきである、と提案している。
オープンアクセス方式をめぐるさまざまな議論
学術コミュニケーション・システムの危機を解決することが期待されるオープンアクセス方式であるが、さまざまな批判もなされ、議論が起こっていることも事実である。アメリカ研究図書館協会(ARL)のレベッカ・バーレットは機関誌Choiceでアメリカ大学出版部の部長たちに、オープンアクセス方式をどう考えるかをアンケート調査している(注7)。問題は三点にまとめられる。
第一は、オープンアクセス方式で発信される学術情報の質の問題である。これまでは、大学出版部が個々の研究者の作品である原稿を精査し、編集し、レイアウトなどデザインをし、マーケティングを考えた。回答者のひとりは「このような点を検討しないでウェブに載った原稿は権威をもたない。大学出版部が担当してきた出版物の〈品質保証〉はだれが、どのようにするのか」という。
オープンアクセス方式といっても、寄稿論文すべてが掲載されるのではない。PLoS Biologyの場合、採択率は22%であるというから、厳しい査読は経ている。しかし権威のある論文に編集するためには、原稿のチェック、注の文献、あるいはリンク先のURLが存在するかどうかの確認など、編集者の作業が不可欠である。
これからますますオープンアクセス方式のジャーナルの発行点数が増えたときに、対応できる編集システムができているかどうかが課題である。
第二は、オープンアクセス方式の運営費用の問題である。これまで紙媒体の学術ジャーナルは、主に読者の購読料と広告掲載料で成り立ってきた。しかし読者に無料で提供するオープンアクセス方式では、現在は、著者の負担金が主な収入源なのである。さらに政府、大学、財団などからの助成や寄付によって運営されている。特に著者は、論文一編について500ドルから1500ドル支払う。生物医学など研究資金の潤沢な領域以外では、著者に大きな負担となり、民間の研究機関の研究者が有利であることになる。著者に偏りが生じて「資金、法などの障壁をとり払い、だれもがアクセスできる」オープンアクセス方式そのものが成り立たなくなるのではないかという懸念もある。
長期的に見て、オープンアクセス方式の学術ジャーナルの発行を安定させるためには、運営費用をだれが負担するかは大きな問題である。
第三は研究業績評価システムの問題である。STMの分野だけでなく、社会科学、人文科学の分野でも学術情報の電子化は進んでいるが、研究者の採用と終身在職権の授与に関わる研究業績評価はまだ「紙の本」でなされていて、近い将来変化する兆しはないことである。伝統的な学術コミュニケーションにおける評価システムは長い年月を掛けて成立してきた。オープンアクセス方式による学術情報が評価されるとしても評価システムが定着するまでに時間が掛かることは間違いないが、どのようにしたらその速度を速められるのか。さまざまな提言がなされているが、まだ解決の方策は見出されていないのが現状である。
オープンアクセスは学術コミュニケーションの危機を解決するか
アメリカ大学出版部協会(AAUP)の常任理事のピーター・ギブラーはChoiceのアンケートに、「オープンアクセス方式」に対する公式見解として答えている。「AAUPは、多くの人々に学術情報を提供するオープンアクセスの基本方針には賛成する。大学出版部でも、オックスフォード、MIT、カリフォルニアなどの大学出版部では図書館と協同でオープンアクセス方式による学術ジャーナルを発行することになっている。しかし、オープンアクセス方式はまだ実験段階を出ていない。あらゆる学問分野でオープンアクセス方式が可能であるか、学術コミュニケーションの形態がどのようなものになるのか、また、オープンアクセス方式の学術ジャーナルの発行は長期間、財政的に安定しているかどうかなど、検討すべき問題が多い。これらの問題に確信を持って答えをだすためはまだ時期尚早だ」という。
インターネット上に流れる学術情報の量はますます増加している。しかしそれが伝統的な学術コミュニケーション・システムの危機に答えを与えるか、それともまったく新しい学術コミュニケーション・システムを作り出すかを見定めるにはまだ時間が必要なことは確かである。
(日本大学出版部協会副幹事長・聖学院大学出版会出版部長)
注
(1)Thomson ISI Finds Open Access Journals Making an Impact.
http://thomson.com/common/view_news_release →本文へ戻る
(2)Mary Waltham, "Open Access−the impact of legislative developments", Learned Publishing, Vol.18, No.2, April 2005, pp.101-114. →本文へ戻る
(3)http://www.soros.org/openaccessなど参照。 →本文へ戻る
(4)Lila Guterman, "The Promise and Peril of 'Open Access'", The Chronicle of Higher Education, January 24, 2004, p.A10. →本文へ戻る
(5)Cathy N. Davidson,"The Futures of Scholarly Publishing,"The Journal of Scholarly Publishing,Vol.35.No.3, April 2004. pp.129-134他多数。 →本文へ戻る
(6)http://www.iath.virginia.edu/~jmu2m/CICsummit.htm →本文へ戻る
(7)Rebecca Ann Bartlett,"University Press and Academic Libraries: Both Crisis and Pie," Choice, Vol.41, No.9, May 2004. →本文へ戻る
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