「第六回モスクワ国際ノン/フィクションブックフェア」
派遣報告(後編)


中村 晃司



 零下15度、極寒のモスクワ・シェレメティヴォ第二国際空港に降り立ってから約1週間が経過した。12月5日、「モスクワ国際ノン/フィクションブックフェア」は、5日間の会期の最終日を迎えた。国際交流基金+出版文化国際交流会の日本ナショナルブースは、連日200人を超す来場者で大盛況。日本文化に精通し、日本語を巧みに操る現地アテンダント衆は、そつがなく来場者に対応している。ブースは彼らに任せて、ロシアの大学出版事情の一端に触れてみようと、サンクトペテルブルグ大学、モスクワ人文大学、モスクワ大学文学部、マリア・キュリー大学(ポーランド)の4出版部のブースに向かった。以下に、モスクワ大学に次ぐ規模の大学出版部とされるサンクトペテルブルク大学、同3〜5番目のモスクワ人文大学での取材記録を紹介しよう。

 サンクトペテルブルク大学出版部

 出版部の創立は1939年。組織は大学の一部局、大学職員で構成されている。総発行点数100万以上。年間1000点を刊行し、1点あたりの発行部数は500〜1500部。うち大学本部からパンフレット等年間300点(部数は150〜300程度)の発行を任される。この資金として、大学から300万ルーブル(約1200万円)が付与される。企画は出版部で決定できるが、年2回大学本部に出版計画の承認を得ている。企画は7割が著者からの持ち込み、うち9割が同大学の教員。出版分野の基盤は「歴史書」。年間の重版点数は5〜7点。書籍は電子メールでの注文が可能でモスクワ市内とウクライナに支店(営業所)がある。

 モスクワ人文大学出版部

 10年前に設立された大学の一部局である出版部。50人の職員で販売担当3人、編集者15人ほど。総発行点数は400点。うち図書目録に掲載する実動点数は200点ほど。平均発行部数は500〜3000部と幅広く、市価は平均200ルーブル(約800円)程度。著者の9割以上が同大学。印税は一切支払わない。企画は著者からの持ち込みが殆どだが、自費出版以外は学内の企画決定機関が採択する(何と目録には、次年度の刊行計画が載っている)。モスクワ市内に専用販売所を持つが、営業活動は販売会社に委託。新刊の委託期間は3ヶ月、出荷数の大体25%が返品、75%は書店で売れる。販売会社への卸値を100%とすると、80%が直接原価、15%は管理経費等。本当の利益は数%しかない。大学からの運営資金で赤字は出ないが利益は殆どない。出版部で直接販売する金額(大体、販売会社への卸値)と市価にはおよそ40%の差があるそうだ。

 モスクワ大学出版部訪問

 フェアが無事終了し、展示を終えた寄贈図書を在ロシア大使館員に託した翌日、モスクワ大学出版部を訪ねた。詩人プーシキンをして「自身が大学」と称された科学者ロモノーソフの建言により1775年に創設されたこの大学は、29学部・約4万人の学生を誇るロシアの最高学府である。筆者の所属する東海大学とモスクワ大学の間には、旧ソ連時代から30年以上にわたる学術交流協定がある。そのおかげか、出版部への訪問の約束は、電子メールで簡単に取り付けることができた。出版部は、市内中心のクレムリンに程近い、築150年以上という歴史と風格のあるモスクワ大学の旧館の一角にある。ニコライ・ティモフェエフ部長とエレナ・マニュイロワ副編集長が快く応対してくれた。

 創立は1756年

 250年前の大学創立から1年後、大学の一部局として出版活動を開始した出版部は当時、印刷機能も有しており、マスメディア関連・教材・教科書・古典文学などを出版していた。この20年間で約8400点、2億8000万部製作し、2003年にはロシア印刷文化省から「ロシア出版のリーダー賞」を授与されたロシア出版業界の中心的存在である。所属職員は90名、全員が大学職員。うち雑誌担当も含めた編集者が30人、校正者が6人、デザイナー3人、タイピング(入力者)6名、販売・経理数名、掃除警備員らで構成される。現在の年間刊行点数は約300点。うち100点が教科書、20点が一般読者向け、学術雑誌・学内雑誌が20点、残りが学術専門書を刊行している。

 独立採算で運営

 他の出版部との違いについて、ティモフェエフ部長は「企画決定とファイナンスの機能が大学から完全独立している唯一の存在」という点を強調した。大学予算で製作するパンフレット類・教材等も手掛けるが、一出版社として業を成し、利益を出しているという強い「誇り」を感じ受けた。編集会議は週1回、毎回進行中の4〜6点の編集方針が確認される。全企画のうち半分は学部主導で決定されたものである。著者の約8割は自大学の教員。残り2割が外部だが、教員・研究者には限らない。採算分岐は、発行部数の約6割前後の売上に設定している。年間売上高は2000万ルーブル(約8000万円)。現在、倉庫に4〜500点が在庫としてあるが、殆どが完売するので過剰在庫や断裁など倉庫関連の問題は皆無だという。印税の扱いについて尋ねると、対販売会社・書店の総売上高(卸値)の約5〜8%を支払っているそうだ。出版助成金については、昨年度は7点、政府等から対著者、対出版者の2種類あり、特に有力な助成金は「ロシア人文科学基金」。助成金を受けたものは、日本では市場性の観点から部数を最低限に抑える傾向があるが、ロシアはその逆で、税金が使われたものは、より多くの人に読んでもらうために部数を多くして、定価を下げて販売する傾向にあるという。

 環境の変化へ強い意志

 旧ソ連政権下の出版社登録制が廃止され、自由に出版業を興すことが出来るようになって以来、競争はますます激しくなってきているそうだ。日本の出版不況、特に学術専門書出版の現状が芳しくない状況と伝えると「大学出版部らしい良書を作り続けていくしかないし、それが売れないことはない」と、確固たる自信を漲らせたティモフェフ部長は、会談の最後にこう結んだ。「ロシアと日本、言葉や環境は異なるが、教育・研究の社会への還元という目的では同じであるから、お互いの存在を意識しつつ、環境の変化に負けずに頑張ろう」。異国の地に逢う大学出版人の気概に富んだ言葉は、筆者の胸を熱くしてくれた。

 まとめ――ロシアの大学出版部

 統計によると、ロシアの高等教育機関は約940校(うち540校が国立大学、410万人就学)ある。今回の取材、現地アテンダントらの情報を総合すると、各大学は大小の規模の差はあれども印刷所・出版所のような部門を持っているようだ。うち積極的な出版活動を行っていると一般に認知されているのが、モスクワ大学、サンクトペテルブルグ大学、極東総合大学、モスクワ人文大学、カザン大学、モスクワ国際関係大学、モスクワ教育大学の7出版部という。また、残念ながら、大学出版部を束ねる当協会のような横断的組織はまだ存在していないので、「大学出版部」と呼ぶことの出来る数の把握は事実上困難であろう。

 最後に

 国際交流活動は、早晩あらゆる利益に繋がるものではない。自らの位置を再確認し、他国の仲間達の存在を意識した出版活動へと展開すること。これが国際交流の一義であることを改めて感じた次第である。今回、大変貴重な機会を与えてくださった、出版文化国際交流会ならびに国際交流基金をはじめ、モスクワ訪問に関った全ての方々に深甚なる感謝を申し上げたい。
(東海大学出版会・協会国際部会員)



INDEX  |  HOME