歩く・見る・聞く――知のネットワーク38

国宝 正福寺千体地蔵堂

湯川振一郎



 明星大学(日野校)、明星大学出版部は、東京西郊多摩丘陵に位置する。かつて都区内の大学が郊外へ移転し始めたが、その走りの時期の創設である。多摩都市モノレールを立川・高幡不動方面から多摩センターへ向かい、「多摩動物公園」を過ぎて唯一のトンネル「多摩丘陵トンネル」を抜ければ、最寄り駅「中央大学・明星大学」となる。軌道を挟んで直ぐの向こうが中央大学、少し望めば帝京大学、小高い丘の向こう側には東京薬科大学がある。
 さて本題の、「歩く・見る・聞く」――、大学近隣の高幡不動(真言宗智山派別格本山高幡不動尊金剛寺)や動物公園の案内か、明星大学の稀覯書コレクションの紹介か、そんなことを巡らしながら、高幡不動の仁王門や不動堂が重要文化財であることから連想が飛躍して、「ならばいっそ」と都内唯一の国宝建造物金剛山正福寺千体地蔵堂まで「歩いて、見る」ことにした次第である。所在は下記。多摩北西部にあり、北は埼玉県所沢市と境を接する。
 NHKライブラリー『国宝全ガイド』(1999年3月)から概要を借用する。
 【建】正福寺地蔵堂(しょうふくじじぞうどう) 一棟   室町
   附(つけたり) 棟札 一枚
   方五間、一重裳階(もこし)付、入母屋造(いりもやづくり)、柿葺(こけらぶき)、裳階銅板葺
 正福寺は北条時宗を開基、無象静照(むしょうじょうしょう)を開山とする臨済宗の寺で、弘安元年(1278)の創立と伝える。地蔵堂は応永十四年(1407)の建立。鎌倉の円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん)(国宝)とほぼ同大の、構造様式もよく似た仏殿で、禅宗様建築の典型である。
 8月初めに訪ねてみると、鞘堂のようなテントで覆われ、工事のただ中であった。「三十年に一度実施される」「屋根の葺き替え工事が、四月中旬〜九月末(予定)まで行われ」ると掲示がある。例年、8月8日が施餓鬼会、9月24日はお地蔵供養で、ともに法要行事として扉が開かれ、お堂の内部も公開される。「江戸時代の地蔵信仰が盛んなとき、多くの小さな地蔵尊の木造が奉納され、堂内の天井に近い長押に置かれ、千体地蔵堂の名もここに由来し」、「祈願する人は、小地蔵尊像を一体借りて、家に持ち帰り、願いが成就すれば別に一体添えて奉納する」(案内板の説明)。四囲の壁面に小さな仏の描かれる中国敦煌の千仏洞、京都三十三間堂の千手観音千体仏などをふと思い浮かべる。千体仏は元々インドに由来するというが、遙か時代を下った、その伝播の現れと考えてよいのだろうか。
 今回の葺き替えでは、柿材には椹(さわら)が使われ、その薄い板(幅18cm、長さ30cm、厚さ2.4cm程度)を少しずつずらしながら重ねて並べ、竹釘で止める[東村山ふるさと歴史館のHP]。全体、何枚掛かるものだろう。修復前の全景と、併せて偶々の工事風景をお目に掛ける。
 11月3日は地域挙げての「地蔵まつり」が催される。竣工成れば、文字通り「柿落とし」のお堂が拝観に供され、奉納地蔵の開眼供養や雅楽の舞が行われる。縁日も門前に立つ由。この時期、東京は都文化財ウィークの期間である。
 境内の一画に(隣り合って)、八坂神社の、これも唐様造の小さな祠が立ち、その横に置かれる倉の中には神輿が蔵される。神仏習合、神仏一体の趣もある。
 インターネットで検索すれば、予期せぬ向きの知見が得られる。なまじなことを書いたところで、慧眼の力作群に遼か及ばず。世に好事家多し。この国宝にかんしても、数多の写真、お人によっては動画を付けて、幾らも風流人士のレポートがある。どうぞ、ネットでご参照を。
 蛇足ながら。下関長府にもほとんど写しの、これも国宝、功山寺仏殿が遺される。先の『ガイド』には、時代は鎌倉、「方三間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺」と記される。円覚寺舎利殿(室町・南北朝期)も方三間であるから規模としては正福寺のお堂の方が大きい。「禅味」という言葉がある。それぞれがまことに異数の禅宗建築で、独特の格が漂う。
(明星大学出版部)

所在地  〒189-0022 東京都東村山市野口町4-6-1
交通手段 西武新宿線もしくは西武国分寺線、東村山駅から徒歩10分ほど
参  観 境内自由
     地蔵堂の内部観覧は8月8日・9月24日・11月3日

東村山ふるさと歴史館(東村山市教育委員会)
電  話 042-396-3800
U R L http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/から



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