|
|
|
ロシアにおける電子出版の幕開け
― 「第7回モスクワ・ノン/フィクション国際ブックフェア」報告 ―
植村 八潮
2005年11月30日から12月4日まで、5日間に渡り開催された「第7回モスクワ・ノン/フィクション国際ブックフェア」に派遣専門家として参加した。国際交流基金(JF)と出版文化国際交流会(PACE)が共同出展するナショナルブースの設営、会期中の各種問い合わせに対する応対、出版事情の調査などを役目としている。大学出版部協会への派遣要請に応えての派遣は、前年の東海大学出版会(当時)の中村晃司氏に続いてとなる。
会として7回の開催を数える今年は、テーマ国のポーランドをはじめ、最大展示となったフランス、ドイツ、ベルギー、さらにフィンランド、ノルウェーなどの北欧や東欧、旧ソビエト連邦のCIS諸国など、13カ国、224の出版社・団体・書店らが参加した。今年の入場者数は3万人で、年々、その数も伸びておりモスクワ市民にもすっかり定着している。
この背景にはモスクワ市民の本好きがある。図書館は劇場街に隣接した市内の目抜き通りにあり、ドストエフスキーの銅像が図書館の前庭におかれている。市民にとってゴーリキーやドストエフスキーなどに代表される重厚なロシア文学は誇りであり、その伝統は今でも市民の間に受け継がれている。
また、現代日本作家の人気も、噂に聞いていた以上のものであった。きっかけが村上春樹であることは、よく知られている。ソビエト連邦崩壊当時、若者の不安とアイデンティティ喪失感がムラカミワールドを支持したという。期間中、新アルバート通りにあるモスクワ最大の書店、ドーム・クニーギを駆け足で訪問したが、ダブル村上のもう一人村上龍、吉本ばなな、さらに『OUT』の桐野夏生ら推理作家の本も村上春樹の本同様に、かなりの部数が積まれていた。
フェア会場でもアズブカ社のブースが藤原伊織の新刊を大きなポスターで宣伝していた。そのキャッチフレーズには「ムラカミハルキのように賢く、キタノタケシのように残酷だ」とあった。これ一つとってもロシアにおける日本ブームがうかがえる。
ブックフェアの特徴やロシア内における位置付け、特に巨大なモスクワブックフェアとの棲み分けなどについては、『大学出版』64号、65号に掲載された中村レポートに詳しい。またロシアの大学出版部についても貴重な報告書となっているので、ぜひ再読いただきたい。そこで本報告では、普段うかがい知れないロシアの電子出版事情を中心に取り上げることにする。
ロシアの電子出版
世界の電子出版は、パソコンやインターネットの普及タイミングで進んでいる。ハードウェア技術の日本、パソコンの基本ソフトウェアやネットサービスでリードする米国、さらに基礎技術やコンテンツのある欧州が、競争と協調関係の中で市場を開拓してきたのである。その結果、日本においても欧米のデジタルコンテンツや電子出版状況については多少なりとも把握することができた。一方、ロシアにおける電子出版については、ほとんど情報がなかったと言ってよい。
ブックフェアを機会に、電子出版物の展示ブースを取材することにした。会場で電子出版物を探すと一番目だったのが、CD-ROMやDVDによるパッケージ系電子出版である。ロシアのインターネット事情やパソコンの普及を考えると、いまのところ容量の多い画像系電子出版物は、オンラインではなくパッケージ販売が中心とならざるを得ないだろう。複数の専門出版社が出展していた。
マルチメディア電子出版
ダイレクトメディア社は、主にCD-ROMによるマルチメディア電子出版物を展示販売していた。その内容は、文学、芸術、宗教、哲学、美術、高等教育用教科書である。親会社はドイツの会社でロシアには02年に進出したという。
ロシアにおける正統な電子出版事業社として現在までパッケージメディアによる電子出版事業に取り組んできた。特に学術・教育の専門分野は市場としては、これからだが期待される分野なので積極的に取り組んでいるという。
制作にはダイレクトメディア社の専門編集者があたり、研究所や博物館、大学などが監修している。デモを見る限りでは静止画に文字情報を付けた作品であったが、音声や動画の入ったマルチメディア作品もあるという。浮世絵などの日本美術の解説CD-ROMがデモ展示されていたが、写真の品質が低く印刷物からのスキャニングデータかもしれない。美術書を画像情報と文字情報に分けて保存しただけの編集ともいえる。
価格は、平均200〜300ルーブル(1000円前後)である。販売は大手書店やウェブサイトからの注文も受け付けている。デジタルコンテンツ出版もウェブサイトから有料ダウンロードできるようにしているという。
オーディオブック
ダイレクトメディア社と同様にブースいっぱいにCD-ROMを並べていたのが、シーディーコム社である。もともとカラオケソフトの会社として95年に設立された。なお、夜の長いロシアでは「カラオケ」はロシア語になっているほど人気である。
ここで扱われていたCD-ROMは、MP3のオーディオブックである。特に小説の朗読をMP3形式で収めたオーディオブックは、04年から市場が拡大している。カセットテープで販売していた朗読をオーディオブックに代えて、人気が復活したという。
意外なことだったが、オーディオブックの売れ筋は小説だけではなくビジネス書などの実務書もあるという。マーケティングの神様コトラーの本や、ロシアや外国のリーダーの本などが人気である。
日本ではニッチ市場にすぎない朗読テープであるが、米国では定番分野である。アマゾン・コムで売れ筋の本を検索すると、カセットテープやCDが別売されていることがわかる。車社会の米国では、通勤途中にハリーポッターなどの小説だけでなくビジネス書もカーステレオで聞いているのである。一方、ロシアにおけるオーディオブックの普及は米国と事情が異なり「レコード文学」という伝統があったことが大きい。テレビ番組も少なく一般家庭の娯楽が少なかったロシアでは、夜、家族が集まって朗読レコードを聴く習慣があったという。
ブックフェアでは、各ブースや喫茶コーナーで作家や詩人の朗読会が積極的に行われていた。ロシアには吟遊詩人の伝統もあり、文学を聞いて楽しむことはロシア人にとってポピュラーなのだろう。
デジタルコンテンツのダウンロード販売については、検討中とのことであった。これは他の電子出版社でも同様である。ダウンロード販売市場の立ち上がらない理由として、個人でパソコンを持つ人が少なく、持っていてもダイヤルアップによるネット接続環境であることが指摘されていた。また、海賊版天国のロシアという社会的状況をあげた社もあった。
ケータイ配信
本格的なデジタルコンテンツのダウンロード販売を行っているのが、文字通りモバイルブックというブランドを掲げて電子出版を展開しているモバイルブック社である。残念ながら聞きそこなったのだが、会期中、同社によるセミナーが行われていた。会場で配布されていたチラシには「eブックは、いつでもどこでも購入して読むことができる」と、どこかで聞いたような惹句が並んでいた。
ウェブサイトによると、ケータイだけではなくパソコンで購入することもできる。その場合、書店でまずモバイルブックカードを購入し、そのコードを入力するしくみとなっている。ブックフェアのセミナーにあわせて、無料コンテンツのサービスが行われていたのだが、うまくダウンロードできなかった。
クレジットカードの発達していないロシアで、誰でも使いやすく、しかも双方にとって安全に少額課金取引ができる方法としてプリペイドカードを使っているようである。これは同じような状況下であった、90年代の日本でも注目された手法である。
ダウンロードできる本の種類は限られているが、その分野は現在進行形で拡大しているとのことである。サイトには常に新しくダウンロードできるようになった本の情報が更新されている。
オンライン書店
オンライン書店オゾンのブースは、大きなロゴマークを壁紙代わりにした以外、わずかな本を並べるだけの簡素な作りである。日本大使館の中村参事官やJFのスタッフに聞くまでは、これがロシア最大のオンライン書店として勝ち組になっているとは思わなかった。シンプルを通り越して殺風景な展示ディスプレイでブースに立ち寄る人もまばらであった。
オゾンのスタッフに聞くと、ロシアにおけるオンライン書店は、大きいところで3社あり、そのなかでもオゾンがリーダーで会社は8年前に設立したという。扱い商品の9割が本で、それもロシア語である。
アマゾン・コムはロシアに参入しておらず、ロシア在住の外国人以外、ほとんど知られていない。購入価格は平均的には書店に比べて5%ほど高いが、ベストセラーだと書店より安く販売されている。ただし、ロシア国土は広く郵便料金は高くついている。
モスクワ市内で在庫があれば、注文日の翌日出荷し3日目に届くという。ただ、あまり在庫は抱えていないようである。在庫がなければ版元に注文することになるが、在庫情報が確かではないため品切れの場合もある。その場合は前金を返却するという。
海賊版天国ロシアにおける電子出版
以上のようにロシアの電子出版ビジネスは、まだCD-ROMやDVDのパッケージ系電子出版である。パソコンの普及が遅れていて、ネット環境が日本に比べ遅れているせいもある。インターネットカフェはどこも深夜まで盛況だった。
残念ながらというべきか、ご多分に漏れずというべきかロシアでは、ソフトやデジタルコンテンツの海賊版が横行している。ベルヌ条約にはもちろん批准しているとはいえ、WTO未加盟のロシアでは、ソフトウェアの海賊版の天国である。
聞くところによるとウィンドウズXPにMSオフィスをいれたCD-ROMが100ルーブル(410円)で売られているという。パソコンはOSやアプリケーションソフトがバンドルされていない状態で販売されている。通常はバンドルすることで安くなるのだが、違法コピーソフトを購入してインストールして使用すれば、それより安くパソコン環境が整うからである。
このような環境にうまく適合しながら、ロシアにおける電子出版ビジネスは確実に進展している。数理学や情報科学において優秀な人材を輩出してきたロシアである。またロシアの若者たちは、ITビジネスのおもしろさに気づいている。いずれ世界の電子出版をリードする時代がくることだろう。
(東京電機大学出版局)
【注】
ダイレクトメディア社 http://www.directmedia.ru
シーディーコム社 http://www.cdcom.ru/
モバイルブック社 http://www.mobilebook.ru/
オゾン http://www.ozon.ru
INDEX
|
HOME
|
|