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行(ぎょう)の建築
東大寺二月堂
松崎 照明
奈良時代に禅師や浄行僧といわれた行者たちは、都の寺院を離れ、「浄処(じょうしょ)」と呼ばれる山中の清浄な場所を選んで、道場・山房を営み、修行を行っていた。奈良東大寺の山際にある法華堂(羂索堂(けんじゃく))と二月堂は、この奈良時代山林修行の建築を今に伝える数少ない遺構である。
山房の浄行僧の一人であった良弁は聖武天皇の帰依を受けて東大寺建立を実現し、大仏開眼の天平勝宝四年(752)、弟子の実忠に、観音に過去の罪を懺悔し罪報を免れる悔過(けか)行(修二会)の為の二月堂を作らせたと伝える。
この二月堂には、不思議なことに大小二体の本尊がある。修二会の前半は大観音を本尊とし、七日目に神輿のような小観音の厨子(ずし)を大観音背後から礼堂に出し、さらに外陣をぐるりと回って、大観音前面にすえて、後半の本尊にする。
建物は、大観音が自然の岩の上に立つため、礼堂部分の床下が、長い柱で支え上げられた懸造(かけづくり)という山岳信仰特有の建築形式になる。
小観音はここで、位置の移動によって、本尊の周りを回って、仏教修行での行道(ぎょうどう)をするとともに、山岳信仰で重要な信仰対象の岩(本尊岩座)のまわりをも回るという二重の巡る行為を行っているのである。
修二会では今も、練行衆(浄行僧)は「南無観世音大菩薩、南無観世音、南無観、南無観、南無観……」と、宝号を繰り返し唱え、礼堂へ出ては床板に体を打ちつける五体投地を行う。そして、いわゆる「走りの行」では宝号を唱えながら、小観音同様に大観音と岩のまわりを、今度は走ってめぐる。
行の最中、凍るような冷たい夜の帳の中でそれを聴聞すると、僧たちの唱える宝号は、地から湧き出る泉のように堂内を潤し、建物は楽器のように響き揺れる。走りの行の沓音は春の眠りを打ち動かすように大地を踏み、行は進んでいく。現在の走りの行は、観音の周りを数回まわって作法を終えるが、平安時代の『七大寺巡礼私記』には、僧は仏壇のまわりを走りめぐり、弱いものは倒れ伏し、強いものだけがなお走り、最後は一人になるまで走るとあって、走りの行が苦行の極みであったことを記している。
神仏のいます岩を巡り回る苦行は、山岳修行の根源となる。江戸時代の芭蕉は修二会を聴聞し、
水取りや 水の僧の 沓の音
と詠んだ。
(建築意匠)
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