学術出版の国際交流
― in search of sustainable publishing ―

竹中 英俊



 本稿は、2006年8月25日に京都で開かれた第10回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナーにおいて同タイトルで発表した内容に手を加えたものである。

 はじめに

 「学術出版の国際交流」といいますと、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。「学術出版」の継続的維持だけで精一杯であり、ましてや「学術出版の国際交流」まではとても、というのが大学出版部関係者の大方の思いではないでしょうか。私自身、その思いを共有します。しかし、私がここで申し上げたいのは、「学術出版の国際交流」とは、日常的な出版活動とは異なる次元にあるものではなく、足下の日々の出版活動が国際交流につながるものである、ということです。日々苦闘されている皆様への激励と連帯の挨拶の意味を込めて、これから申し述べます。

 書籍出版による学術国際交流:その4つのタイプ

 学術出版の国際交流ということをどのように考えるべきか。これは、見方によってさまざまであります。研究者からみたらどうか、教育者からみたらどうか、また学生・留学生からみたらどうか、読者からみたらどうか、などなど、さまざまでありましょう。しかし、ここでは私自身の経験および今回のセミナーの趣旨にそって、焦点を大学出版部にあてて「書籍出版による学術国際交流」に限定します。
 このように限定した場合でも、書籍出版による学術国際交流はいくつかのタイプが考えられます。整理してみましょう。(以下にあげた言語は、例示にしか過ぎません。)
A 相手の地域言語で出版された書籍の翻訳出版による学術交流:たとえば中国・韓国で中国語・韓国語で出版された書籍を日本語に翻訳しての出版
B 相手国・地域を対象とした書籍の出版による学術交流:たとえば中国・韓国を対象とした研究の日本語での出版
C 相手国・地域の出身者の研究成果の出版による学術交流:たとえば中国・韓国出身の研究者の研究成果の日本語での出版
D 同一原稿をもとにした複数言語出版による学術交流:たとえば中国語・韓国語・日本語で書かれた原稿の中国語・韓国語・日本語の複数言語による出版
以上、4つのタイプに分けてみました。

 書籍出版による学術国際交流:その4つの基盤

 そしてまた、書籍出版による学術国際交流にはいくつかの基盤が必要です。一般的に交流・交通といわれる場合の四つの側面、つまりカネ、ヒト、モノ、情報という観点から書籍出版による学術国際交流の基盤を捉えてみましょう。
(1)カネ:書籍出版による学術国際交流の資金的基盤、
(2)ヒト:書籍出版に携わる大学出版部の国際交流の人材的基盤、
(3)モノ:学術国際交流の目的・結果である書籍の(インフラを含めた)物質的基盤、
(4)情報:複数言語による書籍出版の言語情報的基盤、
以上のように、タイプで4つ、基盤で4つに分けて捉えますと、学術出版をめぐって現在の大学出版部の国際交流がどこまで進み、どこが課題であるかが、より明確になるのではないかと考えます。

 留学生の学位論文の出版

 ここで私が中心的に取り上げるのは、上記のタイプCであって、具体的には留学生の博士学位論文の書籍出版であります。
 日本への留学生の変遷がどうなっているのか。その総数は1978年の5849人から2005年の12万1812人と、ここ30年弱で21倍になっております。
 そのうち、大学院への留学生はどうか。1983年は4000人以下(3905人)で、2005年に3万人を突破しました(3万0278人)。つまり、ここ20年余で8倍近くになっております(日本学生支援機構HP)。残念ながら、この大学院留学生のうち何人が博士学位号を取得したかの情報が得られませんでした。
 この留学生の学位論文に東大出版会はどのようにして取り組み始めたのか、そしてそれを支える国や大学の制度はどのようなものであったのか、そのことについてまず触れます。
 東京大学出版会の元専務理事であり(日本)大学出版部協会の幹事長を務めた石井和夫の著書に『大学出版の日々』という本があります。これは、主に、東大出版会のPR誌に連載した文章を中心にまとめたものであり、東大出版会より1988年に刊行されております。
*これも「大学出版部の国際交流」の一事例といえますが、『大学出版の日々』は、北京大学出版社より当時の麻子英代表の序文を得て中文で1990年に刊行されております。また、もとの日本語版は8月に山愛書院から復刊されました。
 これに収録された文章に「留学生の学位論文」と題するものがあります。これは、1974年6月に発表されたものです。石井によりますと、《東京大学で1971年から73年までの3年間に博士号を取得した留学生の数は70人を超えている。問題は、その論文の公刊である。学術論文の出版について(当時の)文部省も科学研究費出版助成金を用意しているが、外国籍の著者は助成の対象とならない。東大出版会独自の出版助成を行っているが、それだけではまかないきれない。留学生の学位論文を公刊できる基金を提唱したい。》という内容です。
 その後、文部省の科学研究費出版助成制度は、現在は独立行政法人日本学術振興会の管轄となりましたが、その間、「留学生の学位論文」の扱いは、いくつかの変遷がありました。
 ひとつは、外国籍の著者は助成の対象とはならないという規程は変えられ、日本国籍を有する代理による申請を認める、つまり(一般的には)日本での大学院での指導教師の名前による代理の申請を認める、ということになりました。これは、大きな前進と思います。評価したい。ただ、私どもは「学術研究は国際文化であり、その発表に国籍限定は不要である」と考えてまいりました。
 そして、数年前、国籍限定がなくなり、科研費出版助成制度はきわめて広く開かれたものとなったのです。ただし、国籍限定がなくなった代わりに、補助事業遂行の主要期間は「日本国内に居住している者」という居住限定が付されており、この面では、本国に戻った留学生や、研究や教育のために他国に移動した留学生の学位論文を基にしたものの申請は不可能であり、まだまだ改善点があると考えております。
 一方、東京大学の前総長である佐々木毅先生が2001年に創設された「東京大学学術研究成果刊行助成」の制度があります。これは、「留学生の博士学位論文」も対象としており、国籍限定も居住限定もありません。これはきわめて理想的な制度といえますが、全国のすべての大学の博士学位論文全体を助成の対象とするのではなく、東大で学位を取得した学位論文に対象を限定しています。

 東大出版会の軌跡

 以上のような、(1)国や(2)大学の制度があり、さらに(3)東大出版会独自の出版助成制度の下で、東大出版会がこの留学生の学位論文の出版という課題にどう取り組み、どのように展開してきたか、について次に申し上げます。
 留学生の学位論文の出版の軌跡をみますと、東大出版会の場合、4つの時期をみることができます。
第1期:1970年前後から70年代末――始動期
    台湾留学生が中心
第2期:1980年前後から80年代末――展開期
    台湾留学生+韓国留学生
第3期:1990年前後から90年代末――拡大期
    台湾留学生+韓国留学生+中国留学生
第4期:21世紀初頭――転型期
    東アジア留学生(モンゴルを含む)+中央アジア+西アジア
 大学院留学生を東京大学が受け入れて、大学院で教育し、留学生が論文を書き上げ、そして審査を受けて学位を取得し、さらに出版にいたるには、多大な労力と時間を必要とします。さまざまなケースがありますが、10年はかかるのではないか、と思っています。
 東大出版会が留学生の学位論文を出し始めたのは、1969年です。台湾からの留学生です。そして1980年前後から韓国留学生の学位論文の出版が加わります。そして、さらに1990年前後から中国からの留学生の学位論文の出版が加わります。この時間的落差の背景には、東アジア国際地域関係があります。つまり、東大出版会が最初に手がけたのは台湾留学生のものですが、日本は台湾とは1950年代に国交を結んでおります。それに続く韓国とは1960年代半ば、そして中国とは1970年代に国交回復・正常化をしております。この時間的順序が上記の時期区分に対応しております。
 そして、国際的には1990年代初頭の冷戦終焉を受けて、留学生の学位論文出版は、これまでの東アジア留学生にモンゴル留学生が加わり、そして、中央アジア・西アジアからの留学生にひろがる勢いです。この傾向は、アジアを越えてこれからますます強まるものと考えております。
 私がここで申し述べたいことは、他地域からの大学院留学生の研究成果を書籍の形で公開することは、「学術出版の国際交流」の太い柱である、ということです。そして、この留学生の学位論文の出版は、先にあげた「カネ、ヒト、モノ、情報」という「学術出版の国際交流」の4つの基盤のすべてが合成されて初めて成り立つということです。
 つまり、(他地域からの留学生の表現した学位論文だけでなく)一般的に(1)学位論文をもととして書籍を出版するためには、不採算部門であるためカネが必要ですし、(2)ヒトも必要です。そして、(3)モノとしての書籍を製作し流通させるノウハウとインフラがなければなりません。また、(4)複数言語情報を資料として異なる母語的発想によって表現された単言語による表現としての学位論文を評価し公開する言語編集が欠かせません。
 これらを総動員することによって、他地域からの大学院留学生の研究成果を書籍の形で公開するという留学生の学位論文の出版が成り立つのです。
 以上、学位論文の出版、そして留学生の学位論文の出版という、大学出版部の日常的な活動が「学術出版の国際交流」を支えるものであることを述べました。
(東京大学出版会)



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