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初版本、ナンセンスなフェティシズム
鶴見祐輔著『母』
酒井道夫
初版本(大日本雄辯會講談社刊、1929、装丁・挿画 伊東深水)ではないが、発行時(1936、519版だって! ホンマカイナ)に着せられたであろう、エグいジャケットに惹かれて購入した。ジャケット自体は相当傷んでいるが、その代わり本体がしっかり養生されていて、刊行当初の雰囲気を良く残していると思う。ざっくりした生成りの布(手織風の絹布かも)で被われた四六判丸背ハードカバーの背と平には、黒の箔押しがくっきりと施されていて、どこにも剥落した部分がない。そのため、装丁者伊東深水の手際良い感性を、今も見事に伝えている。恐らくジャケットデザインの方は深水の手によるものではなく、販促を兼ねて版元が仮に着せた養生紙だと思うのだがどうだろうか? 深水による図版を一葉用いてはいるものの、全体の意匠感覚や表題書体の選び方が、本体装丁のハイセンスとは違い過ぎる。この点が、今日の装丁概念とは遥かに異なるところだ。ジャケットデザインは装丁にあらず。
この本はひと頃、講談社学術文庫に収録されていたが現在は品切れ中。かつては角川文庫にも収録されていたらしい。私はこれまで、この文庫版の存在に全く気付かなかったのだ。たとえ知っていても、手に取ろうとしたかどうか疑わしい。門外漢とはいえ、浅薄な教養科目としての日本近代文学史に全く登場してこないこの「教養小説」が、かつて膨大な数の読者大衆を獲得して成立していたことを初めて知って、恥じ入るしかない。
本年とって97歳になる私の老母が、若かりし頃の記憶として時どき鶴見祐輔について語ることがあったので、彼に対するうっすらとした知識はあった。日本各地に遊説し、民主主義と女性の社会参加を大衆に呼びかけた開明的論客としての鶴見祐輔。そんな思い出を彼女がポツリと語ることがあったほど、彼の言説は民衆に圧倒的に浸透したらしい。4センチほどもある分厚な束を繙くにつれて、深水の口絵と四点の挿画が楽しめる。こうして一気に読み進んだ大正版『金色夜叉』といった趣は、なかなかの収穫だった。
(武蔵野美術大学)
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