イギリス・ロマン派と英国旅行文化
価格:3,300円 (消費税:300円)
ISBN978-4-901734-81-3 C3098
奥付の初版発行年月:2022年02月 / 発売日:2022年02月中旬
イギリス・ロマン派詩人たちはウィリアム・ブレイクを除きほとんどが頻繁に旅をしているが、それは英国で18世紀以来発展してきた旅行文化の中で、旅に詩的インスピレーションを求めた行動といえる。本書ではまず英国の旅行文化とその研究について考え、この文化的な流れの中でワーズワス、コールリッジ、キーツら詩人たちの実際の旅のいくつかを取り上げて、その実情を検分している。
まず英国の観光地としてスコットランドと一、二を争う湖水地方に関し、18世紀以来の旅行文化の発展の中で書かれた旅行記やガイドブックを概観した後、19世紀初頭に入って詩人ワーズワスが書いた「湖水地方案内」を詳細に検討している。次いで湖水地方を離れ、ワーズワスにも影響を与えた18世紀の「ピクチャレスク・ビューティー」論の提唱者、ウィリアム・ギルピンが書いた南ウェールズの実践的旅行記、『ワイ川、および南ウェールズ観察紀行』の内のワイ川下りの部分を取り上げて検分、紹介している。
次いでワーズワスとコールリッジが湖水地方に落ち着く前にブリストルで出会い、サマーセットはじめウェスト・カントリーに滞在した時期を評伝的に取り上げ、文化史的な分水嶺となった『リリカル・バラッズ』出版と創作の経緯、そしてその創作場所に関して詳細に検分している。この数年間の最後はワーズワスの妹を含めた三人の、18世紀大詰めのドイツ旅行につながり、フランス革命期末期、ナポレオン戦争下での英国人のヨーロッパ大陸旅行の様子を彼らの旅から探っている。その中で西暦2000年前後に英米の英文学界で論争のあった「ワーズワス=スパイ説」の顛末も取り上げている。
最終の第8章ではイギリス・ロマン派の若年世代の中でも最も若いジョン・キーツが夭折の3年前に経験した1818年のスコットランド旅行に関して、主に彼の書簡集をもとにして旅行記を組み立てている。これは著者が5年前に出版した『スコットランド、一八〇三年』(春風社、2017年)の、コールリッジのスコットランド一人旅を扱った第2章と同じように、文人自身が書いていない紀行文を当該文人の視点で、現代の観点も織り込んで構成する新たな試みである。
以上の研究に関連して、著者は英国の関連現地を自ら自動車を運転して巡り、実地検分をし、」写真を撮影している。これらの成果が著者の手作りの地図とともに添付されている。
本書はイギリス・ロマン派文学研究を英国旅行文化と結びつける新たな試みと言えよう。
二十年ほど前、二〇〇三年の秋に初めての単著『イギリス・ロマン派とフランス革命』を自費出版した。それは私が若いころから五十歳ころまで続けていた英文学研究の内、ブレイク、ワーズワス、コールリッジを一七九〇年代の英国におけるフランス革命論争の中に位置づけることを目指したもので、学位論文の公刊の意図もあった。
その後同書で扱い残した研究も数本の論文にまとめたが、転任した関東学院大学文学部の同僚が活発に自らの研究に関わる現地調査をしているのに影響を受け、私も二〇〇九年に十九年ぶりの英国湖水地方を再訪した。この旅では一九九〇年の夏に訪問できなかったコッカーマスのワーズワス生誕地やコールリッジが住んだケジックのグリータ・ホール、ワーズワスの母方祖父母のクックスン宅があったペンリスや、ダフォディルズの詩で有名なアルズウォーターなども訪問した。その後ワーズワスの評伝的研究を続け、『イギリス・ロマン派とフランス革命』でも触れた『リリカル・バラッズ』初版が創作された場所のウェスト・カントリーも現地調査が必要と思い、続けて翌二〇一〇年に英国を訪問した。本書では第五章と第六章がこれらの地区に該当し、さらに第七章で『リリカル・バラッズ』出版直後の彼らのドイツ旅行も扱った。
英国の現地調査をするに際し、それぞれの地域の情報として国内で出版されている旅行ガイドブックにもあたった。しかしそのほとんどは貧弱に感じられ、その一方英米で出版されている旅行ガイドブックを集めて読むと非常に情報が豊かで、内容も充実していると認められた。こうして現代の英米圏で出ている英国案内のガイドブックを大学の授業でも使ってみたが、私の学生たちにとっては、現代のガイドブックでも英語が難しいことは、十八、十九世紀の文学作品を読むこととほとんど変わらないとわかった。
一方自分の研究としては、ワーズワス兄妹やコールリッジたちを十八,十九世紀に発展する英国の旅行文化の中でとらえるのも面白いと考えるようになった。まず、英国の旅行文化を学問的にとらえることに関して考察したが、それが本書の「序章」である。
一九九〇年に初めて湖水地方を訪問した時、この地あってこそのワーズワスという認識を得た。また彼の少年時代に、すでに湖水地方は観光地化しつつあり、彼自身当時出まわっていたガイドブックや紀行文を読んでいたと知った。妹のドロシーは彼らの一八〇三年のスコットランド旅行記を書いているが、私は二〇一四年にこの旅行記に関わる現地調査の旅をし、数年前にこれに関する本『スコットランド、一八〇三年――ワーズワス兄妹とコールリッジの旅』を出版した。この一八〇三年の旅の最後の部分でワーズワスが出会ったスコットが、スコットランドの自分の故郷に根付いた仕事をしているのに刺激され、ワーズワス自身十年足らずして湖水地方の案内書を書くこととなる。これらの経緯を第一章から第三章で扱った。
第四章ではワーズワスの名詩の舞台でもある、ワイ川の川下りを描いたギルピンの旅行記を扱った。十八世紀の英国旅行文化ではこのギルピンの存在が大きく、他にも重要文献はあるが、今回はこの一章だけの提示である。五、六、七章についてはすでに述べた。
最後の第八章は、二十代のころから長らく憧れていたジョン・キーツに関する私の初めての論文として、彼の一八一八年のスコットランド旅行を考察した。『スコットランド、一八〇三年』の第二章で扱ったコールリッジのスコットランド旅行と同じく、文人自身が書いていない旅行記を書簡などから構成したものであり、旅行文化構築の一端といえよう。第八章に関しては、ドロシー・ワーズワスの一八〇三年の旅行記を読めば、その十五年後に、イギリス・ロマン派の六大詩人のひとりのキーツがいかなる旅をしたかは興味深い。
なお、同じく多くの旅をしたイギリス・ロマン派の大詩人シェリーやバイロンについて論じるところにはまだ至っていない。
各章の冒頭部には1ページ前後の概要を付している。この概要と本文には重複がみられることをお断りしておく。また英国の地名や人名は綴りと異なる難しい発音をすることが多い。特に地名はケルト語はじめ外国語の綴りや発音が異なる場合や、英語式に替えた表記や発音が存在する場合もある。カタカナ書きにする場合英語式発音にするか、日本国内でよく採用されている現地語発音を優先するかで迷うことは多かった。この面での混乱があるかもしれないが、基本は英語発音をできるだけ転写できるような表記をした。場合によっては両者に加えて時代的な原語表記も加えている。したがって一部日本国内の一般的表記と異なる場合がある。例えばワーズワスは学界での最近の傾向では後半を長音にしない。一方関東の研究者はコウルリッジと表記することが多いが、関西ではコールリッジが多く、本書では後者を採用している。わが国ではエディンバラはエジンバラ、グラスゴウはグラスゴーと表記しがちであるが、本書ではそれぞれ前者の、英語の原音に近い表記を採ったことをお断りしておく。固有名詞に限らず、英語がカタカナ書きになると強勢の位置が出鱈目になり、二重母音が長母音になったり、母音が落ちたりなどして元の英語の意味をなさなくなることがよくある。省略語ともども妙なカタカナ語の氾濫には遺憾な状況がある。
安藤 潔(アンドウ キヨシ)
1951年岐阜県大垣市生まれ
南山大学文学部、同大学院文学研究科英文学専攻修了
純心女子短期大学講師、市邨学園短期大学教授を経て1990~91年ロンドン大学クイーン・メアリ・アンド・ウェストフィールド・コレッジ(ハムステッド)、およびカリフォルニア大学バークリ校客員研究員、2002年博士(文学、乙種)取得、2006年より関東学院大学文学部(現国際文化学部)、同大学院文学研究科教授、2022年退職。
主著
『イギリス・ロマン派とフランス革命――ブレイク、ワーズワス、コールリッジと一七九〇年代の革命論争』(桐原書店、2003年)
『スコットランド、一八〇三年――ワーズワス兄妹とコールリッジの旅』(春風社、2017年)
目次
はしがき
目次
序章 英国旅行文化論の試み
Ⅰ 「旅」を学問的に研究すること
Ⅱ 英国旅行文化とは何か
Ⅲ トラヴェル・ライティング研究へ
Ⅳ 18世紀のトラヴェル・ライティング
Ⅴ 19世紀以降のトラヴェル・ライティング
Ⅵ 21世紀の英国旅行文化論の方法
第1章 英国湖水地方の旅行文化
ワーズワスに至る18世紀の旅行記・ガイドブック
I 英国湖水地方と文人たち
Ⅱ 18世紀の湖水地方旅行記(1)ブラウン、ハチンスン、ギルピン
Ⅲ 18世紀の湖水地方旅行記(2)ウェスト、バドワース、ハウスマン
第2章 ワーズワスの「湖水地方案内」
I 「湖水地方案内」初版著述前後のワーズワスの事情
Ⅱ ワーズワスの「湖水地方案内」の5つのヴァージョン
Ⅲ ワーズワスの湖水地方案内初版
Ⅳ 湖水地方の山々の美
V 湖水地方の谷と湖、小川と森
Ⅵ 湖水地方の住民
Ⅶ 湖水地方のコテージ、道、橋
Ⅷ 湖水地方の教会、庭園、邸宅
Ⅸ 湖水地方の共和国
第3章 エコロジストとしてのワーズワス:「湖水地方案内」後半
Ⅰ 湖水地方の様相の変化とその改善の提言
(1)19世紀初頭の新しい定住者たち-湖水地方の美観変質
(2)建物の外観
(3)建物の色彩
(4)植林-外来種のカラマツ、モミに対し、在来種のカシ、トネリコ等の落葉樹
(5)更なる変化:農業者の変質
Ⅱ 湖水地方訪問案内:訪問すべき時期
(1)6月~8月
(2)9月~10月
(3)5月半ば~6月半ばの推奨
Ⅲ 湖水地方への旅程
(1) 1810年初版から1835年版への改訂理由
(2) コニストン
(3) ウィンダミア
(4) アンブルサイドとその周辺
(5) グレイト・ラングデイルの谷への逍遥
(6) サールミア、ケジック、バセンスウェイト
(7) バターミア
(8) エナーデイルとワズデイル
(9) アルズウォーター
第4章 18世紀のワイ川下り
ギルピン著『ワイ川、及び南ウェールズ観察紀行』
Ⅰ ウィリアム・ギルピンとはいかなる人物か
Ⅱ 『ワイ川、及び南ウェールズ観察紀行』出版の概要
Ⅲ 『ワイ川、及び南ウェールズ観察紀行』-全体の構成
Ⅳ 旅の始まりからロス(Ross)を経てモンマス(Monmouth)へ
(1)セクション1 ――旅の一般的目的、ほか
(2)セクション2 :ワイ川―その美の源―そして全体的装飾
(3)セクション3 ―風景に影響を与える天気についての言及
―ロスからワイ川の最初の部分、ほか―コレクルからモンマスへ
Ⅵ モンマスからチェプストウへ
(1) セクション4 セイント・ブラヴァルズ―牧草地がいかに風景に影響を与えるか
(2)ティンタン・アビ遺跡
(3)セクション5 パースフィールド
第5章 ワーズワスとコールリッジの邂逅-
ウェスト・カントリー、1795~97年
Ⅰ ワーズワスとコールリッジの初の出会い
Ⅱ ワーズワスと初めて出会った頃のコールリッジ
Ⅲ ワーズワス:ブリストルからレイスダウンへ(1795年9月~1797年3月)
Ⅳ ワーズワスのネザー・ストウィ訪問(1797年3月末頃)と、
コールリッジのレイスダウン訪問(1797年6月初旬)
第6章 『リリカル・バラッズ』への道 サマーセットのワーズワスとコールリッジ(1797~1798年)
Ⅰ ネザー・ストウィ、コールリッジ・コテージとオールフォックスデン・ハウス
(1797年6月末~7月)
Ⅱ セルウォールのコールリッジ訪問とスパイ・ノーズィ騒ぎ
(1797年7月半ば~8月)
Ⅲ コールリッジのカルボン・コウム(Culbone Combe)漂泊、そして「クブラ・
カーン」、「老水夫行」とその後(1797年10月~1798年3月)
Ⅳ ドイツ行きの計画と『リリカル・バラッズ』の進展 (1798年3月~8月)
Ⅴ ドイツへの旅立ちと『リリカル・バラッズ』の出版(1798年8月~9月)
第7章 ワーズワス兄妹とコールリッジのドイツ旅行: 1798~99年-
ワーズワス=スパイ説の構築と崩壊
Ⅰ ドイツへの旅立ち
Ⅱ ハンブルク逗留
Ⅲ ラッツェブルクとゴスラー
Ⅳ アッパー・サクソニーの旅:ワーズワス=スパイ説の構築と崩壊
(1) ケネス・ジョンストンによるワーズワス=スパイ説の構築
(2) スティーヴン・ギル(Stephen Gill)による『隠されたワーズワス』評
(3) その他の『隠されたワーズワス』評とジョンストンのワーズワススパイ説再確認
(4) マイケル・デュアリー(Michael Durey)によるワーズワス
=スパイ説の打破
(5)ジョンストンのデュアリーへの返答
Ⅴ ゲッティンゲンのコールリッジ
Ⅵ コールリッジのゲッティンゲン退去、そして帰国
第8章 スコットランド、1818年 ジョン・キーツの英国北部の旅
I ロンドンを発ち、リヴァプールから湖水地方に
Ⅱ ダンフリーズ・アンド・ギャロウェイ
Ⅲ アイルランド、ベルファスト~アロウェイ
Ⅳ グラスゴウからロッホ・ローモンド、インヴェラレイ、ロッホ・オーへ
Ⅴ 島嶼部訪問;オーバンからマル島、アイオナ島、スタッファ島
Ⅵ フォート・ウィリアム、ベン・ネヴィス登攀からインヴァネスへ
Ⅶ ロンドンへ帰還
あとがき