東南アジアの大学出版部(上)
―開発をになうその学術出版―
箕輪 成男
マニラ、クアラルンプール、ジャカルタ、東南アジアの首邑はいまどこもビルラッシュだ。1974年に訪れたジャカルタの新市域は日本資金で建てられたインドネシアホテル以外一望遮る物とてない原野であったが、今では高層ビルが櫛比するビジネス街になった。まさに桑田変じて滄溟と化すという古言のとおりである。どの都市も車の氾濫で、渋滞は日常のことになった。新設のショッピングモールやデパートには商品が溢れ、それ以上に人々の熱気が溢れている。
開発の戦略は国によって異なるし、歴史的、政治的背景もとりどりだから、開発成功の度合は一様ではない。独裁政治への不満や、構成民族間のきしみなど、深刻な問題も抱えている。しかし東南アジアの開発は、地球上の他の地域に比べればはるかに成功しているといってよいだろう。
開発に向かって驀進する東南アジア諸国には、高等教育に対する社会の強い信頼と期待がある。「大学は出たけれど」というシニシズムが発生する余地はまだない。より高い学歴はよりよい就職、よりよい給料を約束してくれると少なくとも若い人々に信じられている。例えば、今年来日したマラヤ大学メディア学科のアジザア先生によれば、同学科の今年の卒業生36人のうち、奨学金の関係で義務として教員になった6人を除く30人は、出版社、新聞社、テレビ会社、CATV、広告会社に全員就職し、入学希望者が多いので、いま学科から学部に拡大することを考えているという。だから、どの国でも高等教育は盛況である。大学と学生の数を見ると、4年制大学だけでフィリピン約200校170万人、インドネシア274校、推定150万人、マレーシア31校30万人であり、高等教育が普通教育化した日本の534校(1993年)300万人にくらべても決して少ないとはいえないだろう。
こうした高等教育の拡大にともなって、膨大な教科書需要が発生している。1974年に訪れた、インドネシア大学の学生たちは全く教科書を持っておらず、教授の講義をひたすらノートにとるという作業をしていたが、いまではこれら諸国の出版社にとって大学教科書は最大のマーケットのひとつである。
ところで、そうした大学教科書の出版に関わる東南アジア学術出版社の最大の問題のひとつは用語の選択である。インドネシアとマレーシアは強力な国語政策を実施し、教育の国語化を達成した。しかし、大学レベルの教育では完全国語化はむずかしく、現実には英語が併用されている。とくに、国語化が難行しているフィリピンでは、大学における国語の影が薄い。筆者の国連大学における元同僚ホセ・アブエバ氏は、自国に戻ってフィリピン国立大学の学長に就任してから、同学における教育の国語化を強力に推進したが、教員たちの抵抗にあって成功しなかった。教員たちは英語圏で教育・訓練を受けた人々であり、英語で考えることに馴れ、国語の用語開発が十分でないため、抽象的な表現に困難を感ずるとあれば、抵抗するのもわからないではない。
マレーシアでは国語のみによる教育を目ざしてマレーシア国民大学が設立されたが四半世紀たった今日では、英語の教科書を用いた英語での講義が半分はあるらしい。一般に一国の高等教育の需要を満たすには、3〜4000種の教科書が必要といわれる。マレーシアではデワン・バハサ(国立言語文学研究公社)の強力な国語教科書推進活動によって1990年までに1286点が出版されたものの、その中には陳腐化するものがどんどん出るから、常に自国語教科書不足状態が続いている。
大学教科書出版の第二の大問題は、その価格の高いことである。途上国では市民の収入に比べて書籍の価格が一般に高い。その度合を筆者は書籍への経済的アクセス率と呼んでいるが、日本に比べてその率は10倍も高いのである。すなわち1冊の本を購入するための経済的犠牲は日本人の10倍重いということで、大学教科書も例外ではない。書籍の価格レベルがこのように高くなる第一の理由は流通コストの大きいことであり、第二には競争的マーケットの成立が不十分なためである。
例えばインドネシアではオランダの経済学者キンマン氏が分析したように、広大な国土に孤立分散した小規模なバザール経済によって消費生活が行われ、そこでは価格競争によってでなく、なじみ客関係という経済外的要因によって、購入の意志決定が行われる。そのため資本主義的競争原理が十分に機能せず、企業の拡大・統合は水平的にでなく、垂直的に行われる。すなわち出版社は印刷から卸、小売まで、すべてを兼ねる傾向が強く、垂直的分業による専門化、効率化が起こりにくいのだ。
大学教科書という、一定の販路を確保しうる出版でもこのようにむずかしい問題を抱えている東南アジア諸国だが、一方研究成果の伝達という、本来の意味での学術出版においてはその状況は一層厳しい。第一に著者たちは、研究成果を国内で出版するよりは欧米先進国の権威ある出版社から出版したいと考える。学術文献が普遍的な科学の世界を対象に書かれる以上当然の欲求だ。国内で出版すれば、たとえ英語で書かれたものでも海外への流通がうまくいかない。ましてや自国語で書いたら読者は国内に限られるし、国内に同じテーマに関心をもつ研究者がそれほど多くいるわけもない。というわけで、一次文献的意味での狭義の学術出版については、各国とも極めて厳しい状況にある。各国独自の文化的主張は西洋を中心とする今日的文明(資本主義)の流れの中では、かぼそい存在として、漂うしかないのである。
こうした一般的状況を背景に、それぞれの国で、学術出版の努力が営々として行われている。そうした動きを各国別に見てみよう。
フィリピン
大学教科書 1980年代の前半に大学の急激な増設がとくに地方を中心に行われた結果、国立私立合わせて200校を越し、学生数170万人を擁することになった。ノン・デグリーコースなどすべての形態の高等教育機関を合わせると1178機関にもなっている。初中レベルの教育でさえ国語の導入が必ずしもうまく浸透し得ていないフィリピンで、高等教育はほとんど全面的に英語に依存する状況にある。
自国産の大学教科書の準備は、大学教育を国語化したマレーシアに比べて大幅におくれている。英語を用いる限り、英米産の大学教科書との競争を避けられないからだ。自国の筆者による英語での大学教科書を出版する代わりにフィリピンで過去20年にわたって行われてきたのは大統領布告285号による強制許諾制である。輸入書が国内産に比べて不当に高価であるとき(発効当時で20ペソあるいは3.3ドル以上)、またリプリントや翻訳の権利を外国の原出版社が妥当な条件で与えないとき、政府が代わって強制許可するもので、1987年までに、1808点がこれによって出版された。
1990年度における大学教科書の新刊点数は433点であり、そのうち60点がリプリント版である。60点には強制許諾のものも通常の出版社間取引を通じたものも含まれている。国内生産で足りない部分は輸入書に頼らざるをえない。アジア各国で作られる途上国向けの廉価版を主とする輸入大学教科書の使用は、国内産の教科書を量的に上廻っており、価格の低下を妨げる原因になっている。
学術書 アテネオ・デ・マニラ大学出版部のパチェコ部長は1986年現在でフィリピン学術出版機関がそれまでに出版した学術書の既刊点数を、大学出版部148点(アテネオ・デ・マニラ大学80点、ラサール大学8点、国立フィリピン大学60点)大学付置研究所86点、財団・政府機関250点、出版社若干、計500点としている(*)。年間ではない、70年代以後の累計でである。1990年代に入っても1年間の生産は大学出版部が25点、その他が25点、計50点にすぎないとパチェコ氏はとらえている。
フィリピンにおける学術書のマーケットは小さい。外国にはあまり売れない。主たる国内市場は国立・州立・町立図書館とその分館等、計490館、専門図書館・大学図書館それに大学職員・研究所員といったところである。2000部売り切るのに3〜5年かかるから完全に採算割れである。商業出版社は名声を高めるために赤字覚悟で時に学術書を出すのである。1972年以後の言語政策によって大学までバイリンガル教育が推進され、大学教科書から学術書まで国語で出版されることが増えているが、国語で出版すれば市場はますます狭くなり採算性が悪化するという矛盾をもっている。このような学術出版状況はフィリピンにおける学術研究の全般的低調を反映している。
大学や研究機関によって出版される学術雑誌については、パチェコ氏は前記論文末に定期的に継続発行されている主要学術雑誌38誌をリストアップしている。もちろんこのほかに不規則的に発行される多くの学術雑誌があると思われるが、これら雑誌の市場は学術書籍の場合より一層小さく発行部数は平均して一誌当たり500冊程度であり収支はもちろん赤字である。
大学出版部 アテネオ・デ・マニラ大学出版部は、大学の業務部門のひとつとして1972年に設立されたもので、出版企画の決定は出版部理事会の権限である。目的はフィリピンに関する学術書、フィリピンの文学作品、そして1953年創刊の学術雑誌「フィリピン研究」の刊行である。同出版部は、著者たちに対してのみならず他の学術出版者に対しても、1)高い基準の原稿の作成、2)すぐれた造本、3)販売促進と流通、についてのサービスを行っている。フィリピンにおける指導的立場にある学術出版者として、全国学術出版の質的向上に奉仕することを使命としているのである。
アテネオ・デ・マニラ大学出版部は現在年に10点程度の新刊を出しているが、1995年のカタログには107点が収録されている。そのうち言語・文学41点、社会科学54点、哲学宗教4点、教科書8点である。
1983年に設立されたラサール大学出版部は1993年の10周年には、すでに既刊66点をカタログに収載しており、内容は人文学、社会科学の諸領域にひろく分散している。出版内容が総花式となるのは総合大学の出版機関として避け難い。パチェコ氏の上記報告では創立直後のことで、わずか8点と記されているが、93年までには66点と順調に発展している。
まだ大学出版部となっていないが、フィリピン最古の大学サント・トマス大学には印刷部があって、学内の各種印刷需要に応えるばかりでなく、教科書の出版に当たっている。1973年の設立というが、25年間に出版された教科書は最盛期で150点あったという。最近のカタログには99点が記録されており、人文、社会、自然の各学科目の教科書である。
フィリピンで最も古く由緒ある大学出版部は、いうまでもなくフィリピン国立大学出版部である。1965年の設立で、印刷所をもち、その収益で出版部門を支持する体制になっているが、最近の活躍は地味であり、国際的にもあまりその姿が見えてこないのは、その経営組織体制と無縁ではないだろう。途上国の大学出版部によくある、大学教員の素人管理がいまも続いているのである。日本のように担がれるに甘んじて実質支配をしないという美風がなく、素人が不必要な権力を行使するために発展が妨げられる例でなければ幸いである。
(神奈川大学教授・大学出版部協会顧問)
*Esther M. Pacheco“Academic Publishing in the Philippines”S. Gopinathaned.“Academic Publishing in ASEAN”Festival of Books Singapore 1986.
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